それを楽しみにとっておくのも、きっと悪くない
乾杯は、確かほとんどがささやかだった。
面子は2人ないし3人くらい。
お酒だって別に飲めないわけじゃないのだけども、泣いて笑って汗かいて、多分鼻水も出して声も枯らしてとにかくくたくただから、ひどい酔い方をしそうで、なんとなく控えてしまう。
なんのことかって、私の大好きなアーティスト「BUMP OF CHICKEN」のライブの日の記憶である。
その日はもう朝からずーっと幸せだ。
ただただ幸せ。物販待機時間が長かろうが、買い込んだグッズで荷物が重たかろうが、暑かろうが寒かろうが雨だろうが雷だろうが幸せ。大好きな音楽と、それを真ん中に出会った人たちとの時間。それだけが詰まった一日。色んなものを出し切って、別の色んなものを持ち切れないくらい受け取って、体は前述の通り疲れ切って、あんまりよく回らない頭で、あの曲がよかったいつの誰それが素敵だった演出すごかった楽しかったあー幸せだ、と、もそもそゆるゆるご飯を食べる。そんな、一日の締め。
今私は、そういう時間から少し遠ざかっている。
ライブは基本的に夜で、うちにはまだ小さい子供がいる。2019年秋のツアーファイナル当時、我が子はまだ6ヶ月と少しだった。まだ夜中に起きてミルクをあげねばならないから、アンコールを含めてなんとか最後まで見て、ほとんど立ちっぱなしで重たくなった足をなんとか急がせて、まっすぐ家に帰った。
そうこうしているうちに、世界は未知なる感染症の流行に直面し、沢山の人が集まるライブというもの自体、開催の見通しが立たなくなった。
大好きなアーティストのライブは、自分にとってのご褒美のようなものだ。歌と演奏とお話を生で聴けるということもそうだけれど、会場に行けばほとんどの人がバンドのグッズを身につけていて、みんなにこにこうきうきしていて。普段は遠方で文字でのやりとりしかできない友人とも、顔を見て話ができて。さらに遠征ともなれば、時間が許す限り観光したり、その土地の美味しいものを食べたり。懐はまあ寂しくはなるけれど、それ以上のものをしこたまチャージできる贅沢な出来事だ。
きっと、そういう「ステージに立つ人」を推しに持つ全ての人にとって、ライブあるいは公演は同じようなものではなかろうか。
そんな楽しみがすっぽりなくなってしまったことについて、去年ほとんどライブに行けなかったのが幸か不幸か、私自身は意外とダメージを受けていない。もっとあちこち飛び回って、もっと沢山の幸福な時間を重ねていたら、喪失感はずーーっと大きかったと思う。
とはいえ、丸っ切り平気なわけでもなく。あの日も暑かったなとか、似たような空の色風のにおいだなとか、こんな話してたなとか、ふとした瞬間にぽろぽろといとおしい思い出がこぼれてきて、みんなに会いたくなる。
これまた幸か不幸か、今のところはライブの予定がない。ここ何年かコンスタントにツアーをやってくださっていたから、もしかしたら計画まであったのかもしれないが、少なくとも公式に「ツアーやります!」というお知らせは出ていない。
"次"がいつになるのか、"次"もそこにいられるのか。漠然とした不安がずーっともやもやと漂っているけれど、くすぶっていても腐っていても事態がよくなるわけもなく、変わらず朝は来るし、仕事も子供も待ってはくれない。だからもうできることをしながら、その日が必ず来ると信じて、その"いつか"に近づいて行くしかないのだ。
BUMP OF CHICKENの音楽は、学生時代からの友人に繋いでもらった。
最初はその友人と私の2人だけだった。
彼らの音楽にちゃんと出会って4年と少し。大好きな人達大好きな音楽を真ん中にして、色んな年代の得難い友人ができた。
その日が来たら、みんなと乾杯してみたい。
その日一日の幸せと、そこまで踏ん張って、積み重ねてきた毎日に。
お酒でも、そうじゃなくても。
ああ、きっと格別だろうな。
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