散文(恋愛、正義、人生、等)
「なんで彼女と別れたの?」と聞かれるたびに、聞いてきたやつの顔面を8発ほど殴りたい衝動を抑え、「価値観の違いで〜」「俺が自分勝手で〜」等とよくある言い分を話し、毎回死にて〜と思いながらも気丈に振る舞い、「女の人紹介してくださいよ〜誰かいないんすか?合コンしましょ〜」と全く思ってもいない言葉を発し馬鹿なふりをする挙動まで含めて、はじめて『失恋』と呼ぶのであれば、俺はもう二度と恋愛なぞしたくない。極めてだるい。
よく考えれば、恋愛というシステムは意味が分からないことばかりだ。
種族保存本能、性欲、生殖機能の疼きといった、表面だけ見ればお世辞でも美しいとは言えない事象を、いつしか誰かが恋愛と呼び始め、無理やりそれを外面から美しいものへと変換した。
しかし、美しいものを美しいままで保ち続けるのは正直に言って不可能だ。現代で横行している不倫、浮気、異常性癖など、いわゆる『恋愛』から派生したこれらは決して「美しい」とは言われず、拒まれ排除されるものとなってしまっている。
恋愛を生み出した過去のホモ・サピエンスはこのことまで予測しといて欲しかった。ほんとなんなんだ。
浮気も不倫も異常性癖も、恋愛ではなく本能とすれば全てなんでもないこととして許されるのに。そもそもそういったものを「許す」という概念も、本能として片付けてしまえば存在しないのに。
しかし俺たちは現代を生き、インターネットやメディアに支配された奴隷である。一般常識の中で正義とされたものが正義で、そういったミーム的なものに脳はプログラミングされてしまった。
山崎まさよしのまさよしは「正義」だと思っていたが、「将義」だった。山崎まさよしが唯一、俺の脳内のプログラミングをぶち壊したものだった。
俺は人生において一番大切なことは、一番大切なことを探すことだと思っている。
俺にとって大切なことやものは山程ある。大切じゃないことも沢山ある。さらに言えば、大切じゃないことがあると思える感性が大切なことだとも思う。その中でも一番大切なことを死ぬまでに見つけたい。俺が死ぬ頃には平均寿命は何歳くらいになっているのだろうか。150歳くらいになっていればいいが。平均寿命が150歳なのに80歳くらいで死ぬという贅沢をしてみたい。あと60年弱で何とか一番大切なことを見つけたい。
先述した通り、俺は現代社会に生きる奴隷なので、奴隷は奴隷らしく、普通に生きて、普通の中で大切なことを見つけ、普通に80歳くらいで死ぬ。何とも奴隷らしい人生なのだろうか。
同じ奴隷仲間である山崎まさよしの『One more time one more chance』を聴いて、「恋愛って最高〜」「失恋切ね〜」と思いながら、もう二度と読み返さないであろうこの記事の冒頭・恋愛部分を、現時点をもって全否定する。
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