![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55203713/rectangle_large_type_2_31b3e6acc9cdb5b1fdcf28065540186b.jpg?width=1200)
ローリングストーンの星
夏になると友人と居酒屋で飲む機会が多くなる。
暑さを飲み物の冷たさとアルコールの酔いで紛らわせたいのだろうか、だとしたら阿呆もいいところだが、ぶっちゃけ夏に飲む酒は格段に美味い。
飲んだあとは何故か無性に歩きたくなることが多く、ほとんどの確率で歩いて帰宅している。(決してタクシー代を浮かせたいからではない。決して)
途中のコンビニで缶ビールを買って開け、少しだけ涼しくなった夜風にあたりながら音楽を聴いて帰る。これが何とも言えない心地良さで、このために俺は飲みに出かけているんではないかとさえ思う。
ちょうど2年くらい前の夏、友達と別れていつものように歩いて帰宅しようと、俺の渾身のプレイリスト【酔ってる時に聴く曲】をシャッフルで再生した。流れてきたのはきのこ帝国の『クロノスタシス』もうこの時点で最高。
俺はコンビニで350mlの缶ビールを買い、帰路につく。超絶的なエモーショナルタイムの始まりである。
俺は星が好きで、よく夜空を見上げるのだが、何故か居酒屋の帰りに見上げる夜空は決まって星がない。空が曇っているのか、空気が淀んでいるのか、はたまたアルコールが回り自分の視神経機能が著しく低下しているのか定かではないが、本当にいつも星がないのだ。
その日も例の如く星が見えなかった。少しの悲しさを、道端にあった小石にぶつけ蹴った。
思いのほか遠くまで飛んでいった小石を見て、この小石を家まで蹴って運ぼうと考えた。
酒を飲んだ帰りに小石を蹴って家まで運ぶ。大人と子供両方の心を持っている自分やっぱり大好き!と意味不明なことを思いながら小石を蹴り続ける。やっぱり星は見えなかった。
どうでもいいが、昔東京の高円寺に行った時にコンビニで酒を買って飲みながら帰る女の子がいて、それがめちゃくちゃ様になっていたので、俺も真似をしはじめた。
缶ビールを買う時もあれば、ほろ酔い等の缶チューハイを買う時もある。(小石を蹴って帰った時はほろ酔いだった気もするが、缶ビールの方がかっこいいので缶ビールと書いておいた)
歩いて帰る夜はよく、その日の飲み会の出来事を思い出す。つまんなかったなーとか、楽しかったなーとか、そのくらいの浅いことを思い出しては物思いに耽る。音楽がより一層俺を耽させる。
ハヌマーンの『ワンナイト・アルカホリック』が流れてきた頃だろうか。勢いつけて蹴ったせいか、小石が跳ねてどこかへ行ってしまった。
周りを探してもどこにもない。完全に見失ってしまった。家に届けることができなかった。
あんなに一生懸命になって運んでいた小石の最期が、まさかこんな結末だとは。たかが小石だが、なぜかその時はすごく寂しかった。と同時に、人生って割とこんなんなのかもと脈絡もないことを思ってしまった。
人生の儚さを21歳という若さで(酔いのため)疑似的に体感した俺は、坂本九の『上を向いて歩こう』ばりに頸部を過伸展した。
暗い夜空の中に、ぽつんと、ひとつだけ星があった。
さっきまで全く見えなかった星が、キラキラと輝いていた。本当にたまたまだとは思うが、小石がなくなったタイミングで。
「俺が蹴り上げた小石が、もしかして星になったのだろうか」
素面では考えつかないことも、酔っている時なら容易に考えられてしまう。酒はロマンチック思考回路のガソリンで、今の俺はハイオク満タンである。
絶対にあの星は、俺が蹴り上げた小石だ。
そう思ってやまない当時の俺は、その星を、ローリングストーンの星と名付けた。
今となってはどれがローリングストーンの星なのか検討もつかないが、きっと酔って歩いて凪いだ夜にはまたそっと照らしてくれるに違いない。酔い潰れてうずくまっている学生、ほろ酔いで感傷に浸るサラリーマン、真っ赤な顔で笑い合う男女にだって、ローリングストーンの星は輝いてくれると信じている。
すっかり飲みに行くことが減ってしまった世の中だけど、今年の夏は缶ビールでも買いながら夜空を見上げてみようと思う。