エムバペの政治的発言をどう読むか
サッカーの欧州選手権(EURO)で、フランス代表主将、キリアン・エムバペの発言が物議を醸している。記者会見で言及したのは、試合に関わる内容ではなく、フランスの国民議会(下院)選挙のことだったからだ。フランスで極右勢力が台頭する中、エムバペは「極端な勢力が権力の座を勝ち取ろうとしているのは誰の目にも明らかだ」と述べ、若者らへの投票行動を呼び掛けた。最近はトップアスリートの政治的発言が目立つ。どう考えるべきか。
「分断」の溝を広げると極右勢力を批判
発言が飛び出したのは、初戦を控えた6月16日のことだった。エムバペは「人々を分断させる考えには反対だ」と語り、政党名には触れなかったものの、ルペン党首率いる国民連合を暗に批判。「我々には、国の未来の形を決めるチャンスがある。試合以上に重要な状況だ」と踏み込んだことで大きく注目を集めることになった。
先に行われた欧州議会選では、国民連合が躍進を遂げ、与党連合が敗退。危機感を覚えたマクロン大統領が下院の解散総選挙という手に打って出たが、下院選でも国民連合の優勢が予想されている。
こうした状況に反応したのは、エムバペだけではない。
同じくフランス代表のFWマルクス・テュラムも「これが僕らの社会の悲しい現実だ。投票に行くよう全ての人に呼びかけよう。国民連合が再び勝つことがないよう、みんなで日々闘う必要がある」と訴えた。他にもテニスや陸上の選手たちが、仏紙「レキップ」の論説ページで、極右の勝利を防ぐために1票を投じようという主張を展開したという。
選挙で台頭の極右政党に、サッカー仏代表の主力黒人選手が反攻──エムバペ、テュラムも|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト (newsweekjapan.jp)
多様性を重んじるフランス社会に変化か
フランスはアフリカからの移民も多く、エムバペの父はカメルーン出身、母はアルジェリア系のフランス人である。フランス代表チームには、エムバペのようにさまざまなルーツを持つ選手が集まっており、多様性の象徴とされている面もある。これに対し、極右勢力は移民排斥、自国第一主義などの思想を持つ。今のフランス社会を根本から揺るがすかもしれない選挙を前に、選手たちが立ち上がった形だ。
一方、国民連合の立候補予定者は、英BBC放送のインタビューに「代表チームのスポーツ選手が、どこに投票すべきかを誘導するのは適切とは思えない」と反論した。スポーツ選手も一市民ではあるが、一方でエムバペのようなスーパースターが発する言葉は社会的にも影響力を持つ。極右勢力が警戒するのも無理はない。
米国では人種差別への抗議が相次ぐ
スポーツ界には長く「選手は政治的な発言をすべきではない」という風潮があった。オリンピック憲章でも「オリンピックの用地、競技会場、その他の区域ではいかなる種類のデモンストレーションも、政治的、宗教的、人種的な宣伝も許可されない」と定めている。スポーツが政治利用されるのを避けるため、そのようなルールを決めて政治との間に線を引いているのだ。
しかし、近年はSNSの発達により、アスリートの発信力が強くなってきた。それが顕著になったのは、米国でのブラック・ライブズ・マター(BLM=黒人の命は大切だ)運動だろう。2020年5月、黒人男性、ジョージ・フロイド氏が白人警官による暴行を受けて死亡したのをきっかけに、全米で暴動が起きた。
当時、テニスの大坂なおみもこの運動に賛同し、全米オープンでは白人警官の暴行で死亡した黒人の名前が書かれた黒いマスクを着けて、コートに現れた。これも政治的行動といえるものだった。
その4年前には、アメリカンフットボールNFLで同様の事案があった。サンフランシスコ・49ersのQBコリン・キャパニックが、プレシーズンマッチの試合前の国歌斉唱で起立せず、片膝をついて人種差別へ抗議の意思を示したのだ。「黒人や有色人種への差別がまかり通る国に敬意は払えない」と理由を述べて大きなニュースとなった。キャパニックはその年で49ersとの契約を終了したが、その後は契約を結ぶチームが現れず、プレーの機会を得られていない。
東京五輪を契機に声を上げるアスリートが増え
3年前の東京五輪を機に、国際オリンピック委員会(IOC)は規定を緩和し、「国や組織、人を標的にしないこと、妨害行為とならないこと」などを条件に、アスリートが競技の際の入場や選手紹介の時に、自らの政治的意見などを発信できることにした。人種差別など普遍的な問題に対する抗議はおとがめなしとなったのだ。
サッカー女子の試合では、なでしこジャパンや英国の選手たちが、膝付きのポーズをとる例もあった。陸上競技では、独裁政権で知られるベラルーシの女子選手が、SNSでコーチを非難し、母国からの帰国命令にも従わず、ポーランドへ亡命する騒ぎもあった。人種差別への抗議や国家の圧力に対する抵抗だ。
スポーツは社会と密接な関係にあり、政治と完全に切り離すのは現実的には難しい。むしろ、社会問題に参加していくという意味で、アスリートが純粋な気持ちから発言するのには意味がある。
ただ、注意しなければならないこともある。政治家や政党が、人気選手の影響力を利用しようとする場合だ。今回のフランスではどうか分からないが、選挙が絡むと政党の思惑が動く。そうした勢力と距離を保ち、自らの考えを堂々と発言できるか。トップアスリートは社会に影響を与える存在である。だからこそ、公正で誠実な姿勢が求められている。
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