反骨のスポーツジャーナリスト、谷口源太郎さん逝く
スポーツを社会的視点からとらえ、政治利用や商業主義化を徹底批判したジャーナリスト、谷口源太郎さんが86歳で亡くなった。スポーツを感動的に報じる風潮が強い中で、谷口さんはそれを食い物にしようとするものを許さないという姿勢を貫いた。権力にも屈しない、まさに反骨の人だった。
長野五輪で堤義明氏を徹底批判
1938年、鳥取市に生まれ、早稲田大を中退後、講談社や文藝春秋の週刊誌記者として報道の世界に足を踏み入れた。1985年にフリーランスになった後、闘志を燃やして取り組んだのは、長野冬季五輪と堤義明氏の関係だった。
西武鉄道グループの総帥で、コクド会長である堤氏の権力がスポーツ界を支配していた時代だ。日本体育協会からの独立を果たした日本オリンピック委員会(JOC)の初代会長に就任し、プロ野球・西武ライオンズのオーナーとしても、スポーツ界で発言力を増していた。そして、1998年長野五輪の招致に成功。長野新幹線の開通やスキー場の開発が、堤氏のビジネスと結びついていることに、谷口さんは厳しい目を向けていた。
一企業の利権と結びつく問題を追及していた谷口さんに、西武鉄道グループの中堅幹部から呼び出しの声がかかった。赤坂プリンスホテルの日本料理屋に出向くと、「素直な意見をいってもらう人たちを集めたいと考えており、その一人として加わってもらえないか」と誘いを受けたという。いわば、批判勢力を取り込むためだったのだろう。新聞社の記者にも同じような要請をしていたという。しかし、谷口さんはそれをきっぱりと断り、堤氏批判の立ち位置を決して崩さなかった。
「素直な意見を出し合う、といっても、いったんそうした集団に入れば、ジャーナリスティックな視点がマヒしてくることは、容易に想像できる」というのが、要請を拒否した理由だった。外側から批判対象をウオッチする、それが谷口さんの取材姿勢だった。
「スポーツを殺すもの」は代表作
『堤義明とオリンピック 野望の軌跡』(三一書房)、『日の丸とオリンピック』(文藝春秋)、『オリンピックの終わりの始まり』(コモンズ)など、数々の著作がある中で、強烈なタイトルで注目を集めたのは、2002年に発刊された『スポーツを殺すもの』(花伝社)だろう。
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巨大利権や政治支配がはびこるスポーツ界において、谷口さんは同業者であるメディアに対しても厳しさを忘れなかった。『スポーツを殺すもの』には次のようなくだりがある。
メディアがスポーツ界を守るための監視役とならず、応援団と化して、商業的利益の甘い汁を吸おうとしていることが許せなかったのだろう。メディアの風潮はその後も変わらず、2021年の東京五輪・パラリンピックでは、複数の新聞社がこぞって大会のスポンサーに顔を連ねた。
熱狂と歓声のスタンドに沈潜して
ルポライターの鎌田慧さんは、谷口さんのことをこう評している。
一時代を築いたスポーツ記者から学ぶこと
昨年は朝日新聞の中条一雄さんや、毎日新聞の大野晃さん、荒井義行さんら、スポーツ界のあり方に厳しい視線を送り続けたベテラン記者たちが相次いで亡くなった。谷口さんも含め、一時代を築いた記者たちは組織の枠にとらわれず、スポーツとは何か、スポーツ界を正しく発展させるためには何が必要なのかを常に論じていた。
谷口さんは研究者たちとも交流を重ねていた。森川貞夫・日本体育大名誉教授や寺島善一・明治大名誉教授らとともに立ち上げた「スポーツ政策研究会」もその一つだった。歯に衣着せぬ物言いで知られただけに、衝突する人も多数いたが、それも谷口さんのスポーツへの愛情の強さゆえだったからだと思う。
「スポーツを殺してはならない」という思いは、同じ価値観を共有するジャーナリストや研究者と響き合っていた。東京五輪というビッグイベントが終わり、政治もビジネスも潮が引くように、スポーツから離れていこうとしている。熱が冷めた今、スポーツ界はどこへ向かうべきか。谷口さんらベテラン記者たちが著書や記事に残した言葉を振り返りながら、改めて考えてみる機会にしたい。
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