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ベースを大きくするというMLBの発想

米大リーグ(MLB)、ドジャースで活躍する大谷翔平の「50-50(50本塁打、50盗塁)」という記録達成をめぐって、注目したいルールがある。昨年から米国ではベースを大きくするという規則改正を行ったからだ。なぜそのような変更がなされたのかを考えてみることは興味深い。


わずか11.43センチに見る攻防

MLBでは2023年から一塁、二塁、三塁のベースの大きさが拡大された。日本には、米国のルール改正が1年遅れで入ってくるが、今年、日本で発行された「公認野球規則」の2.03には次のように記されている。

キャンバスバッグはその中に柔らかい材料を詰めて作り、その大きさは《18㌅(45.7㌢)》平方、厚さは3㌅(7.6㌢)ないし5㌅(12.7㌢)である。
【注】《新》我が国では、一塁、二塁、三塁のキャンバスバッグの大きさは15㌅(38.1㌢)平方とする。

2024年版「公認野球規則」より

これだけを読むと分かりにくいが、米国ではベースの一辺の長さは、従来の15㌅(38.1㌢)から18㌅(45.7㌢)へと大きくなっている。しかし、日本ではこのルール変更は採用せず、従来のままとするという意味だ。


この変更によって、何が変わってくるのかというと、塁間の距離である。一塁から二塁、もしくは二塁から三塁への距離は、従来の88㌳1.5㌅(26㍍86㌢5㍉)から87㌳18㌅(26㍍74㌢62㍉)へと変わり、計算すると11㌢43㍉短くなったということになる。

ピッチクロックはけん制3回まで

2023年はMLBで大きなルール改正が行われた。ピッチクロックの導入である。投手は捕手や野手からボールを受け取ると、走者がいない時は15秒以内、走者がいる時は20秒以内で投球しなければならない(24年からは走者がいる時は18秒以内へと短縮)というルールが定められた。さらに打者は制限時間が残り8秒の時点で投手に「注意を向けて」いなければならず、そうしなければ、ストライクが宣告される。

いずれも試合展開を早くするためだが、もう一つ、盗塁に関わるルール変更がなされている。

投手は走者へのけん制球を3回までしか投げられず、3回目でアウトにできなかった場合はボークが宣告され、走者は次の塁に進むというルールだ。けん制球を投げるふりをしてプレートを外しただけでも、1回とカウントされる。それまでは何度でもけん制球を投げてよかったのだ。

盗塁が増えた方が野球は面白くなる

塁間が約11㌢短くなり、けん制球の回数が制限されれば、走者は盗塁を試みようとする。そうなれば、野球はもっと面白くなるのではないか、と本場米国の人々は考えるのだ。

実際に、ファンは大谷の能力を打者としてだけでなく、走者としても認めるようになり、その記録で多くの人々がメジャーリーグを楽しんでいるのである。

野球が考案された当時、投手というものは重視されていなかった。打者は「ここに投げてほしい」と投手に要求し、投手は下手からボールを投げた。そうして先に21点を取った方が勝利チームとなるというルールだった。

ただ、それでは試合が終わる時間が読めないため、試合後のパーティーを準備するコックさんが困る。そのために、今のように9回となった歴史がある。いわば、試合後の両チームの交流も野球の楽しみだったのだ。

公認野球規則の1.05には「各チームは、相手チームより多くの得点を記録して、勝つことを目的とする」と記されている。これが野球の「目的」であり、ルール改正も、より多くの得点を取ることを主眼が置かれている。

ルール改正はスポーツ文化そのもの

さまざまなスポーツにおいて、ルール改正は常に行われている。その知恵と工夫は人類がスポーツという文化を通じて積み重ねてきた営みそのものである。

スポ-ツ社会学の大家と呼ばれた故・中村敏雄氏(元広島大教授)は、1990年に発行された『スポーツルールの社会学』(朝日選書)の中で、次のように述べている。

スポーツは「する」のも「見る」のも面白いし楽しい。しかし「面白過ぎる」スポーツや「楽し過ぎる」スポーツは人間を面白さの虜にし、解放されすぎた心理状態に誘い込む。種々の禁止や制限から自らを解放して、限界を越えて「行き過ぎ」るのである。今日のスポーツはこれを「する」者も「見る」者もともにこのような状態に陥りつつあるように思われるが、それは人間が文化と自分自身を統御できなくなることであり、スポーツに関する情報の提供者や専門家たちがとくに注意しなければならないことである

『スポーツルールの社会学』より

哲学的ではあるが、面白くなり過ぎても、スポーツの魅力は損なわれる。盗塁が増えると面白いからといって、さらにベースを拡大したり、けん制球を禁止したりして、盗塁をアウトにするプレーがなくなれば、それは野球の魅力を減じることになるのだ。

そのさじ加減が難しい。中村氏の言うように、「スポーツに関する情報の提供者や専門家たち」の手に委ねられているのかもしれない。

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