パリ五輪が残した「宿題」とは
パリ・オリンピックが閉幕を迎えようとしている。「花の都」の観光名所を活用した会場設定で、世界の人々に街の美しさや華やかさをアピールした大会だった。ただ、競技を運営していく面では大きな課題が残された。参加選手数が男女同数になったと国際オリンピック委員会(IOC)は強調したが、その半面、ジェンダー平等の環境を実際の競技にどう落とし込んでいくかは見えないままだ。
女子ボクシングの「性別」問題
国際的な論争に発展したのは、ボクシングの女子種目における「性別」を巡る問題だった。昨年の世界選手権で性別検査を受け、失格となったアルジェリアのイマネ・ヘリフが、IOCの判断によって今回は参加を認められた。しかし、試合開始早々、パンチを浴びた対戦相手のイタリア選手、アンジェラ・カリニが危険だと訴えて棄権したのだ。
昨年の世界選手権で、どのような検査が行われたのかは公表されていないが、国際ボクシング協会(IBA)はヘリフに対して「出場資格を得るのに必要な基準を満たしておらず」、「他の女子選手に対して競技上の優位性を有していることが明らかになった」と発表。台湾の林郁婷とともに失格処分を言い渡した。
しかし、IOCはIBAのさまざまな不正をめぐって組織統治(ガバナンス)を問題視しており、性別の検査にも疑義があるとして、両選手の五輪参加を容認した。
IOCのアダムス広報部長は「誕生時も登録上も女性であり、女性として生活してきた。女子のボクシング選手であり、パスポートの性別も女性だ」「これはトランスジェンダーのケースに該当しない」などと説明した。
イタリアのメローニ首相が「男性の遺伝的特徴を持つ選手が女子種目に参加すべきではない。対等に戦えることが重要だ」などと発言し、国際的にも物議を醸した。しかし、最終的にカリニは「IOCの彼女の出場を認めているのなら、その決定を尊重する」と表明し、今回の性別問題はこれ以上、取り沙汰されなくなった。
性分化疾患のある人やトランスジェンダーの参加
とはいえ、これで一件落着とはいえないだろう。今後もこのような問題が起きる可能性は十分あるからだ。
2009年の世界陸上選手権では、女子800㍍で優勝したキャスター・セメンヤ(南アフリカ)の性別が疑われた。国際陸連が医学的検査を行い、その結果、子宮と卵巣がなく体内に精巣があり、通常の女性の3倍以上のテストステロン(男性ホルモンの一種)を分泌していることが判明し、性分化疾患を有していると報じられた。
セメンヤは2度の世界選手権と2度の五輪で金メダルを獲得した。しかし、2018年に国際陸連が「テストステロン値が高い女性の出場資格を制限する」と発表。セメンヤはスポーツ仲裁裁判所に訴えたものの、却下された経緯がある。それでもセメンヤは「私は女性が生まれたままの形で自由に走れるようになるまで、トラック内外で女性アスリートの人権のために戦い続ける」と主張しているという。
3年前の東京五輪では、重量挙げの女子種目にトランスジェンダーのニュージーランド選手、ローレル・ハバードが出場し、話題になった。元は男性だった選手が性別を変え、女子の競技に出場するのは初めてのことで、競技の公平性は保てるのか、そんな懸念の声も拭えなかった。
男性として生まれたハバードは、35歳の頃に名前を変え、性転換のためのホルモン療法を実施。23歳のときにやめた重量挙げを再開して、国際大会に参加するようになっていた。五輪の舞台では43歳だったこともあり、競技の上で突出した力を発揮したわけではなかった。
トランスジェンダーの五輪参加が認められた以上、性別をめぐる問題は複雑化するだろう。トランスジェンダーの選手が女性の実力をはるかに上回る実力を有する場合、競技会は成立するか。ルールの整備が課題となるのは当然のことだ。
性的少数者の「スポーツ権」を守る制度が急務
競技団体は今後、男女のカテゴリー分けをどうするか、検討せざるを得なくなるだろう。
トランスジェンダーの種目を創設すればいいという声もあるが、性自認が尊重される中、その種目への出場を強制するわけにもいかない。性別検査を厳格化するのも、人権上の問題を抱えている。IOCはかつて女性の性染色体検査を行っていたが、1999年に廃止している。
記録系の個人競技なら、競技実績で実力を公平に見ることはできる。しかし、ボクシングやレスリング、柔道のような格闘技では、競技の安全性も確保しなければならない。とはいえ、性分化疾患のある人やトランスジェンダーを排除すれば済むというものでは決してないだろう。
数々の課題がある中で、最も重視すべきなのは、「スポーツ権」の考え方だ。日本では2011年に施行されたスポーツ基本法に明記されている。スポーツをだれもが自由に行える権利は、憲法にも保障される幸福追求権であり、基本的人権といえる。性的少数者を競技の場から除外することなく、どうすれば、みんながスポーツを楽しめるか、社会全体で知恵を絞らなければならない。
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