後輩力は性格ではなく態度。 身につけられる技術である
先日高校のときの友人が数人、我が家に遊びにやってきた。いわゆる宅飲みというやつで、お酒を持ちよってのんびりだらだらお酒を啄みつつ、マリオパーティーをやったり、アナログのカードゲームをやったりしていた。
36歳にもなれば仕事の話も出てくるもの。しかし、みんながみんな、仕事の業界も業種もバラバラなのはおもしろい。自分と似ている世界にいるやつもいれば、ぜんぜん畑が違うやつもいる。
友人のひとりがふと「最近は怒っても響かないから、怒ることもなくなってきちゃったよ」なんて話をした。
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"怒る" と、その中身が相手にまったく伝わらず、ただ「怒られた」という事実だけが残ってしまうのだそう。そして、凹んだり、落ち込んだり、逆に怒ったり、あるいはくさったり。
そして、ちょっとしたスイッチが入ってしまうと、そのままフェードアウトしてしまうこともあるんだそう。スイッチはほんの些細なキッカケでよくて、たとえばちょっとした風邪で一日休んで、そのまま連絡がつかなくなることもあるのだそうだ。
彼の仕事はTHE★IT企業だから、ということもあるのかもしれない。ただ、僕の身の回りでもそういう話は聞くし、めずらしくないことなんだと思う。
怒る側の配慮も大切だし、怒られる側の受け取り方も大事だし、なかなか一朝一夕に語りきれない話である。どこからマサカリが飛んでくるかわからないので、これ以上の言及は控えておこうと思う。
ただ、そんな中で友人と一致した意見が、
というものだった。
そうなのだ。極端に道徳的に欠落している人でない限り、この3つがキチンと揃っていれば、大概の場合は「こいつ、かわいいなぁ」で済むのである。
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この3つ。この3つがあれば大抵のことは許せるし、かわいく思えるものだ。「後輩力が足りてないんだよなぁ」なんて言葉がポロッとこぼれたのだが、ほんと、後輩力なんて極論この3つが揃っていれば十分なのだ。
たとえば美味しいお店を紹介したら、ただただ素直に「うれしい!おいしい!」と言ってくれればいい。そのお店を気に入ってくれたら、今度は自分自身で足を運んでもらえたらうれしいし、その子がまた他の子を連れて行ったりすれば、それが喜びだ。
だから後日「先輩に連れてってもらったあのお店、めちゃくちゃ美味しくて気に入っちゃったんで、あれから何度も行ってるんです」って言われたら、こっちだって悪い気がしない。……いや、普通にめちゃくちゃうれしい。
おすすめされた本が、正直自分の好みじゃなかったとしても、一度は「ありがとうございます!ちょっと読んでみます!」って言って、即Kindleで買っちゃう。
そして試しに読んでみて、それでもやっぱり合わなかったら「言われた本、読んでみました!おもしろかったんですけど、自分はもっと○○なほうが好きでした」って伝える。
そうしたら「おすすめした本、読んでくれたんだ」って嬉しくなるし、「じゃあ、あいつが好きそうな、こっちの本を紹介してあげよう」って、次のGiftを考えたくなる。
それぐらい単純なのだ。
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別に「性格を直せ」って話ではない。性格ではなく、態度の問題だ。
相手に気に入られるための努力はカッコ悪いことではないし、むしろそうやって場所や時間によって「演じる・変化させる」ことは、とても大切な技術だと思う。
「つねに素でいる」というのは美徳ではない。それは単純に、身勝手でわがままなだけ。「ありのままを愛してほしい」というのは通用しないので、人たらしになるための技術はきちんと学ばなくちゃいけないものだと思う。
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最後までお付き合いいただきありがとうございます。
僕は、昔は結構バリアーを張るタイプで、人を寄せ付けない雰囲気があった。でも、それは損するばかりで、何も良いことがないと、妻から散々指摘され、そして身をもって体験し、改めるようにした過去がある。
いまは、昔よりはかなりマシになったなー思う。「あなたは変わったね」と妻がいってくれるたび、妻にこっそり「ありがとう」と心でつぶやくのだ。