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四日市で旅人と再会

11年前、バックパッカーをしていた。
はじめは世界一周と思っていたが、移動して色々見て回ることから、風俗や土地に根ざした生活や風習に興味が移った。
刺繍一つにしても、母から子へ技術が伝えられる以外に、糸や布は、誰がどうやって用意するのか?
そもそも誰が作るのか?材料はどうやって調達するのか?
そんな事が気になった。

旅は道連れ世は情け

当時、ウズベキスタンを旅している時に、3人家族と出会った。
お子さんは2歳。
奥さんは、旅の道中で国が変わる度に、その土地のママ達から子育てについて『良い、悪い』を言われ、少し参っていた。
『2歳にもなって授乳してるなんて甘えている』
『2歳なんてまだまだおっぱい飲ませていいのよ』
土地が変われば、習わしも変わる。
旦那さんとは、酒を飲みながら語り合った。
日本での生活の不便さ。
人間の普遍性とか変わるものとか。

刺繍のお土産を奥さんとショッピングしたり。
スーパーや市場に食べ物を調達しに旦那さんと出掛けたり。
2歳の子が走っていくのを追いかけたり。

あれから11年

三重県の伊勢で再会した彼ら。
あの時2歳だった子は、中学生になった。
もう一人、小学生の子もいた。
ふたりとも白米が好きなんだって。
お兄ちゃんはライス大を2杯も食べた。
松坂牛カルビを食べて『うまっ!』と本気の声が出た。
そんな彼らと一緒に食事をするのは、とても幸せな時間だった。

旦那さんの方は50歳。
元々の性格か、旅人としての生活が長かったからか。
日本の生活に馴染むのが、大変だったと言っていた。
その辛さは『あの頃に戻りたい』というものではない。
家族と日本で。子どもたちが大人になるまで日本で生きる。
と決めた彼の覚悟の大きさの表れのように感じた。
『ギアチェンジが大変だった』
私たちはその辛さを、こう例えた。
考え方を変える時、自分の常識とは違うことを受け入れる。
それは一種、自分の価値観を『古い』『間違っている』と認識する作業にも似ている。
自分を否定する事は辛い。
だから世間で生きるのに、何となく自分が収まるのにちょうどいい居場所や建前を見つける。
自分が大切にしている物を、無防備に晒したり、相手に押し付けることは、自分や相手を傷付ける行為だ。と、心の何処かで分かっているからかもしれない。

けれどいつか、『自分が大切にしている物』を見つめ直す時が来る。
その時、私たちは『辛い』と感じるのかもしれない。
『自分が選んだ』と思っていた居場所が、世間や誰かによって押しやられた(他の人が嫌だと感じて、あえて居座らなかったハズレだったのではないか?)
『ハズレに追いやられていた事に気付かず、その立場に甘んじていた過去の自分』が許せないと感じたり。

何のための『辛さ』か?

旦那さんや奥さんと話していて、楽しいと感じるのは、その『辛さ』の奥に、彼らが目指す『何か』があると感じるからだ。
きっと10年後、20年後に『彼らが目指す何か』が、今よりもはっきりとした形になっているだろう。
それは私も一緒である事を願う。

10年後、ご夫婦と一緒にまた、ウズベキスタンに行きたいね。なんて話したり。

それまでは、お互いの所に遊びに行ったり。
次こそは四日市に遊びに来てほしい。

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