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5. ディジュリドゥの歴史2 - ディジュリドゥとシロアリ 中編

アボリジナル音楽の録音の歴史

実際にオーストラリアでディジュリドゥが演奏される地域を特定するために、ヨーロッパ人入植以降の録音資料に目を向けました。ワックスシリンダー(蝋管)を使った録音が1900年代初頭にはじまり、トップエンドのアボリジナル音楽の収集は1948年に「American-Australian Scientific Expedition to Arnhem Land」によってスタートし、1950年代に登場した磁気テープ技術により1950年代~1960年代に数多くのフィールド録音が残されました。

[Arnehm Land vol.3 - Authentic Australian Aboriginal Songs and Dances]1949年A.P. Elkin録音のLPレコード。初期の北東アーネム・ランドの録音を含んだ音源です。


録音情報からよみとくディジュリドゥの伝播

1960年頃までの録音物をたよりに、ディジュリドゥが演奏されていたエリアを表した「ディジュリドゥの伝播地図」を作成しました。トップエンドのアボリジナルの人々にとってテレビやラジオやインターネットの影響が比較的少ない時代の地図と考えられます。

[ディジュリドゥの伝播地図]Kimberley以西は近年ディジュリドゥが伝播したと考えられれ、Cape Yorkにはかつてディジュリドゥが伝播したという記録があるが、現在では演奏されていない。ディジュリドゥは各地に広がったと考えられるが、その中心地はトップエンドのようです。


シロアリの危険度地図とディジュリドゥの関係性

さらに、シロアリとディジュリドゥの関係性を考えるために、オーストラリアのシロアリの危険度地図を見てみたいと思います。不思議なことに地図上のVery Highのレッドゾーンは、ディジュリドゥの伝播の最大領域とかなり重なる部分が大きいです(NgukurrからRoebourneのライン)。このレッドゾーンがシロアリが食べて空洞になったユーカリの木を見つけやすいエリアだと考えれば、ディジュリドゥの伝播とシロアリの危険度マップの重なりは密接な関係があるように見えます

 

地図の左下の西オーストラリア州最南端、右側のクイーンズランド州沿岸部と北端のケープヨークもレッドゾーンになっていますが、注目したいのは地図の北側中央から左。東はアーネムランドNumbulwarの南部からTop EndとKimberleyの全域を含み、西はRoebourneまでのラインがレッドゾーンになっていることです。現在でも伝統的にディジュリドゥが演奏されている地域はこのレッドゾーンにスッポリと納まります。

後編へ続く

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