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ほくろ取ったのに気づいてくれない誰も
ほくろ取ったのに気づいてくれない誰も
今から2年前の春、大学2年が始まる少し前。
ちょうど世間がコロナ禍に入り始めていたその頃、今となってはそう大したことではないが、その時の自分にとってはそこそこ大きな決断をした。
顔のほくろを取る。
自分の顔には、ほくろが幾つかあった。
小学校から数年間、野球をしていたこともあって増えたのだと思う。
それらほくろの中でも、物心ついた頃からある古株のほくろがあり、このほくろの存在によってこの決断に至った。
特にこのほくろは、鼻の丁度ほぼ真ん中辺りにあり、大き過ぎず小さ過ぎない大きさであった。
小さい頃はそうでもなかったが、そんなところにあるので、思春期に入れば、妙に気になる存在となった。
しかし、別にこのほくろに関して、誰かに触れられることもなく、あだ名をつけられたりして、からかわれることもなかった。
でも気になる。
気になって仕方ないとまでは正直言わないが、あるより無い方が絶対に良い。
しかも、本人はこれだけ気にしているのに周りは何も言わないというのもそれはそれで違和感があって気持ち悪い。
ということで、ついに実家の最寄り駅から近い皮膚科のクリニックに行くことにした。
クリニックの名前にはビューティーが入っていて、患者もクリニックの人たちも皆女性ばかりで、少し緊張したのを覚えている。
そして、少し医師のカウンセリングがあった後、鼻のほくろとその他に幾つか顔のほくろを除去してもらった。
レーザーでジュッジュッと焼かれて、ものの数分でほくろとおさらば、その後患部に小さいテープを貼られて終了だった。
実は術後しばらくテープを貼らないといけないことは、高校生の時に友人が同じようにほくろ取ってテープを貼っていたのを知っていた。
そのため、コロナ禍でマスクを着けないといけないというタイミングに乗じたのだった。
これで、ほくろ1つ5000円、4つ除去してトータル2万円。
これで悩みが取れるなら安上がりだし、同じようにほくろで悩む人は勇気を出して取ってしまえばいいと思う。(もちろん個人差はある)
こうして、ついにほくろから解放されたのだが、コロナ禍でマスクを着けていた影響もあり、全くと言っていいほど誰にも指摘されなかった。
結局、自らほくろを取ったと話し出すこととなり、時には「そんなほくろあったっけ?」と言われる始末。
いや、むしろそれで良いはずであり、指摘されたらされたで恥ずかしい上に、説明をするのもそれはそれで面倒である。
でも、誰も何も言ってくれないと、それはそれで、そんなにみんな私に興味無いのかと思ってしまう。
両親にほくろを取りに行くと言った時は少し驚かれたが、それでも自分の熱量とは差があったし、思ったよりあっさりだった。
そういえば、医師のカウンセリング、というかただの問診のようなものだったが、あの時の女医さんもあっさりしていた。
よくある話だが、結局のところ、コンプレックスをコンプレックスと思っているのは案外自分自身だけだったのだ。
周りはコンプレックスとも思っていなければ、そもそも大して私に興味が無かったことに気づかされる。
ほくろを取るという行為が、私にとってそれなりに大きな決断であっために、それに見合う反応を周囲に期待してしまっていたのである。
カウンセリングでも女医さんから、自分の気持ちに寄り添ったとても優しい言葉をかけてもらえるなど期待し過ぎていたのだ。
私がほくろを取ろうが取らまいが、誰も興味無いのに。
今となっては、誰も気づくはずがない。
かつて私の鼻の真ん中にほくろがあったことを。
あー、ほくろ取って良かった。
なんかこんな感じで、自分なりにそれっぽく、思ったこととか書きます。
ちなみにタイトルは自由律俳句のつもりでつけています。
どうでしょうか。
この頃に撮った空の写真載せときます。