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誰のために介護してる?

最近すっかり夜型生活になってる。
でも、この世界が静かな時間帯が好き。
 
 
本題。
『母の介護をしてます』と言うと、
かけられる言葉あるある。

「大変ですね」

当たり前田のクラッカー。
1ミリも大変じゃない介護をわたしは知らない。
 
 

「お母さんのために、えらいね」

介護してなくても、えらいも〜ん!
 
元々ひん曲がった性格なのもあるが、
心がやさぐれている時は特に
かけてくれる言葉を素直に受け取れなかったりする。
別に親しくない人から言われると
『あなたにわたしの何がわかるんですかねぇ?』
と、毒を吐きたくなったりもする。
 
 
いつもわたしがひっかかるのは、
「お母さんのために」という言葉。
ホンマ?ホンマにホンマ?
 
オチから言うと、

わたしはわたしのために母の介護をしている!
わたしのエゴでやっとる!

ってこと。
そりゃあモチロンいろんな想いがあって、
母のためにという氣持ちもゼロではない。
ただ、わたしの場合はわたしのため。
 
 
え?どういう事ですのん?
わたしのために介護をしている理由。
 
いずれ母にもお迎えがくる。
母がいなくなった後、1000%後悔をするであろう。
『もっとこうしてあげたかった』
『もっとこうしておけば良かった』ってやつ。
その時に、
『やれることはやった!めっちゃ頑張った!
ウルトラスーパーやり切った!!!』って
思えるじぶんでいたい。
後悔しても、最小限の後悔に着地したい。
 
だから、わたしのため。
わたしが氣持ち良く、人生を謳歌するために、
今は不自由をやっている。
自由に際限なく思いっきり羽ばたくために。
 
 
《母のために》と思っていた時、その裏側には
《母のせいで》という思いもあった。
母のせいにして被害者意識を持つことで、
じぶんから逃げていたし、
可哀想なわたしに酔いしれたりもしていた。
 
でも、深く掘り下げていくとエゴでしかなかった。
 
 
結局はじぶんのため。それでいいのだ。
これが母のためにもなっているなら、一石二鳥!



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マドモアゼルちっぺ/OSHO禅タロット鑑定士
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