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竹中少年の体験を、竹中中年が解説する。

約40年前。もう少し精度を上げるなら、43年以上は前(2022年現在)。
『さるとびエッちゃん』を観ていた時のことである。
僕の思想に、多大なる影響を与える大事件が起こったのだった。

ブクという犬が登場する。
ブクは人間の言葉、しかも大阪弁を話すことができるのだ。
彼が話すたびに騒動が巻き起こる。こんにちは~、とか挨拶するだけで「犬が喋った~!!」と周囲は驚きまくるのである。
かつての自分――竹中少年は思った。
「犬が話すのなんかあたりまえやん」と。
いや、竹中少年がちょっとおかしかったわけではない。
アニメの中で犬が話すことは珍しくない。むしろ喋らない犬の方が珍しいのではないか。
竹中少年の映画館デビューは1976年春の東映まんがまつり。その一編として『長靴をはいた猫 80日間世界一周』が上映されている。
主人公のペロは猫で、喋るなんてのは当然、剣士でもあるので悪党どもと闘ったりまでするのだ。
そこまで引っ張り出さなくても、桃太郎では犬やサルやキジがきびだんごをくれと言うし、浦島太郎は亀に助けてもらったお礼を言われるではないか。

つまり、アニメやら昔ばなしやらのフィクションに慣れ親しんできた竹中少年にとって、犬が喋ることくらいで大騒ぎしてどうするのか、と思ったのだ。
『さるとびエッちゃん』では喋る犬・ブクの巻き起こす騒動が、作品の大きな柱になっていることもあって、竹中少年はますます違和感を覚えるのである。
だが、竹中少年は『さるとびエッちゃん』を見続けた。その時の彼の心境はいかなるものだったか。
「これはこれでしょうがない」
と受け入れて、その世界に乗っかっていったのである。

この「一旦は乗っかる」という姿勢は、この後の竹中少年の映像鑑賞に決定的な影響を与えた。
何か違和感を覚えようが、否定して降りるのではなく「一旦は乗っかる」ということだ。

しかし、乗っかったものの別の違和感が発生してくる。
主人公のエッちゃんは魔法使いではないが、それに相当する能力の持ち主だ。
この文章を書くにあたって『さるとびエッちゃん』の第一話を見返してみたが、冒頭から「ワンワンワン」と犬と会話し、いじめっ子グループに襲われても一瞬で全員をなぎ倒し、学校に行けば剣道部や野球部やらの挑戦を受ける羽目になるが、次々と勝利を治めていく(野球部相手には大リーグボール1号、2号まで披露する!)。そして、エッちゃんのトレードマークとも言える電線歩行。道路よりも電線を歩く方が多いのではないか。
原作本も読んだが、エッちゃんの能力について石ノ森先生は「これはみんな科学的に説明のつくことばかりです」と書かれていた。本当か?

ともかく「犬が喋る」のが非常識なのは竹中少年が生きる世界と同じだが、エッちゃんのような能力を持つ子供にはあったことがない(大人もだが)。
何より、犬が喋る行為そのものを見たことはないのだ。

あれはこの世界と一緒で、あれは違っていて...。
と、自分が生きるこの世界と、アニメーション内の世界との比較を色々してしまったので「客観視」というものが芽生えてしまう。
幸か不幸か、提示された世界に心の底から没入することが、これ以降、竹中少年はできなくなる。
「一旦は乗っかる」、つまりは「直ぐに降りる」ことも可。昇降が激しくなるわけだ。

あと、アニメで犬が喋ることに違和感はないのに、実写作品で喋ればそれは驚くよな、という気付き。
アニメーションという表現の優位性、特異性。
これは40数年後、竹中中年が『オッドタクシー』を観るに至っても考え続ける大命題となった。

しかし『さるとびエッちゃん』か。
人間、何から気付きを得るものか分からないものだ。

『さるとびエッちゃん』
https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/ecchan/

『長靴をはいた猫 80日間世界一周』
https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/movie/movie_nagagutsu_80/

『オッドタクシー』
https://www.tv-tokyo.co.jp/anime/oddtaxi/


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