【龍野国際映像祭2022 雑感(0)】
ぶっちゃけた書き方をしていきますが、
芸術やらアートやらは結局のところ「役に立つ」のか、という疑問を持たれている方は多いかと思う。
僕なりの答えは「生きていくうえで役に立つのかどうかは知らんけど、関係なくはない」。
龍野国際映像祭のような地域密着型の上映の良い点は、マニアではない人々が会場に居ることだ。
どこからか「何のことやらさっぱりわからへーん」という声も聞こえてきたりする。まあ、確かにそうなのです。特に短編アニメーション、実験映像を扱っている本映像祭は「分からへん」ものがあふれている。
しかし重要なのはそこであって、芸術とやらに触れて「分かる」「共感する」のも快感ではあるけど、「分からへん」ものに触れることに、より主眼を置くべきかと思う。
「分からへん」ものにも何故か優劣が存在する。音楽で言えばジャズを思い起こしてもらえれば。できればボーカルは無い方がよい。
何か1曲聴いてみる。また別の曲も聴いてみる。繰り返す。すると不思議なことに良い・悪い、凄い・たいしたことない等、その差が歴然として現れる。明確なテーマや主張やメッセージがあるわけではないのに。後付けで説明できるかもしれませんが、実際のところ良いものは良いし、あかんものはあかん。言葉に還元される意味や理由はない。
そこで言うところの「良い」「凄い」ものを、龍野国際映像祭はセレクションされているし、充実しています。これは色々と各地の映画祭やら上映会を巡ってきた私の経験上の嗅覚です。
作品のレベルは映像祭を信用するとして、そこで上映されている「分からへん」ものにどう接していくか。
作家は相応のパワーを注ぎ込んで作品を作り上げたはずなのに、なぜ観客である私は「分からへん」のか、を重要視するべきです。
これは作品(引いては作家)とのコミュニケーションであり、観客にとっては自らの経験や知恵や知識を問われる戦いでもあります。
そこで言えるのは作品は作家は答えではなく視点を提示している、ということ。
つまり、作品のテーマは、伝えたいことは、など極論どうでもいいことです。より重要なのはものの見方、視点です。(殆どのプロパガンダ映画がつまらないのはそういうことです)
で、矛盾しますが、世の中は分からないもので溢れているのを実感するのも大切です。
俗なことを書くと、優秀なビジネスパーソンはアートに注目する的な啓発本を見かけますが(知らんけど)分かる気がします。
個人の視点、発想なんてものはたかが知れていますから。
良い・凄い―何というのが適当か、とにかくクオリティの高い「分からへん」ものにしっかりと向かいあうことは「生きていくうえで役に立つのかどうかは知らんけど、関係なくはない」のではと思います。
#龍野国際映像祭 2022 11/13(日)~20(日)
https://tatsuno-fest.com/
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