
なまもの、ガラパゴス諸島へ行く9 〜地球の裏から届けたい〜
気がついたらサンクリストバルの港街、プエルトアヨラに入港していた。
イサベラを出港する時に隣のKちゃんに促されて救命胴衣着用チェックに寝ぼけなまこで対応したところまでは覚えている。爆睡だった。
よろよろと荷物を抱え、例によって渡し船に乗り、入島チェックを受けて気づいた。
帽子がない。
船の中に置き忘れたのだろう。これからまだ数日赤道直下のこの島で過ごすには帽子は必須なのでとり戻したい。
みんなには1kmほど離れた宿に先に行ってもらって探すことにした。
タクシー乗り場に並ぶも次々と順番を抜かされて、なかなか乗れないみんな。
順番抜かしの人々にクレームつけるもなんの効果もない。タクシー戦争だ。
我々の前に並んでいる欧米風の老人もずうっと抜かされ続けている。
とりあえず健闘を祈ってバンビは港の奥の方にたくさん船が停まっているエリアへ向かった。
乗っていた船の名前を告げ、その船はどこへ行ったか?帽子を忘れたので戻りたいんだ!と伝えると
他の場所でおそらくお片付け中だろからチケットオフィスに行けば連絡つくと思うよ、とアドバイスをくれた。
イサベラに行く前に手続きしたチケットオフィスで事情を話すと、どんな帽子?色は?と聞かれ「グレーのキャップ」と伝えると
しばらくしてカピタン(スペイン語でキャプテン=船長)が10分後に戻ってくるからそれまで待っていて、と言う。
本当に10分後にカピタン(かその手下)が現れバンビのキャップが戻ってきたのだ。
Muchas Gracias!!
みんなは無事チェックインできたかな、と思いながら宿へトボトボと歩いていると”ボナ”に会った。
「みんなうまくチェックインできなくて困ってるから早く行ってあげて!」
なんと、なにごと?
ボナはお土産探しへと街へ下りていった。彼女は明朝、単独日本へ帰るのだ。
宿に着くと宿のお父さんお母さんとみんなが困り顔で議論していた。
人数と宿泊数が聞いていたのと合わない…と困惑していたらしい。
彼らが戸惑うのも当然のこと。これから我々はボナ、りさこちゃんとKちゃん、ひごっちとHくんとミッシェルとバンビ、というように少しずつ人が帰っていくのだ。
初日の1泊だけ2部屋に分かれるが、残りは2DKのアパート様の部屋に全員で暮らす。
紙に書いてプランの詳細を説明すると、なんだそういうことか!問題ないよ!と承諾してくれた。
夕飯は安いローカル食堂のあるストリートへ向かう。やはりガラパゴス諸島の中心地として観光客向けのおしゃれなお店もたくさんあるが、地元民が集うローカル食堂もあるらしく、夜定食セットのようなスープ+ライス+メイン=4.99ドルを一人一人頼んだ。もちろん、ビールも。
これが全員で食べる最後の夕食。
それでいて2024年最初の夕食。
ずらりと並ぶ食堂の軒先に出されたひしめき合うテーブルで夜風に吹かれながらひと時を楽しんだ。
早朝にKちゃんの「ええ!」と言う声で目が覚めた。
今日はボナが帰る日。早朝に島の北端の空港へ向かうため、タクシーを予約してある。
すぐにKちゃんの声の意味はYahooニュースが教えてくれた。
また日本で痛ましい事件が起きてしまったのだ。羽田空港での飛行機事故。
新年から日本は立て続けの災いに見舞われて大きな悲しみ包まれていることだろう。
ガラパゴスはどこもネット接続が悪く、年末や日本時間の年明けに色々メッセージをくれていた友人たちに返事をできていなかったが、とてもじゃないけど今はなんと返事をすれば良いのかわからない。
「私は今、ガラパゴス諸島で楽しく過ごしています!」
そう言うのは今は憚られた。
今、羽田空港の国内線は閉鎖されているらしい。
国際線のボナの飛行機は無事着陸できると願って彼女を見送った。
午前中は近くの市場で野菜を買ったり洗濯物をランドリーに出したり。
料理用の青いバナナと生食用の黄色いバナナをそれぞれ1房買った。
バナナ売りのおばちゃんとバンビはbeso(頬キス)をした。彼らのbesoしたくなる時がいつくるかわからないが、きっとなんらかの親愛の情を示してくれているのだろうからバンビはありがたくbesoする。

みんなで麓のダーウィン研究所へ行き、前回参加できなかった無料所内案内ツアーに参加する。
ガラパゴスの動物たちはみんなのんびりしていて、人間がいても気にしていない。警戒心が少なすぎて、それが個体減少の要因となってしまった種もいるようだ。
しかし、研究所のガイド曰く、「ガラパゴスの動物の警戒心が薄いのはこれまで外敵が少なかったからではない」。
ガラパゴスは水や食物が多くはないため、みんなエネルギーを節約した保守的なライフスタイルを選んでいるのだと言う。ほんとに?
真水は少ないだろうけど豊かな植物からは食糧難には思えないけど…
まあ、本当のところは動物本人に聞いてみないとわからない。
聞いても本人たちも知らないかもしれない。自分にとって当たり前のことの理由は案外わからないのだから。
プエルトアヨラにはあの、有名な魚市場がある。ガラパゴスの象徴の一つと言っても良い。
手際よくその場で魚を捌くおじさんやおばさんの手元をペリカンやアシカが今か今かと熱い眼差しを向けている。

そのみんなの視線の先にある、赤い皮をした棘の立派な、ややギョロ目の魚を買った。今晩の晩御飯だ。
この魚、内臓や鱗は取っておいてくれたので捌くのはどうってことはないと思っていたけど骨がものすごく硬い。太い。Hくんが日本から持ってきてくれたミニ包丁でもなかなかきれない。最終的に手で折るようにして鍋に押し込んだ。
バンビとHくんが格闘している間にみんなは何やら会議をしていた。
どうやら残りの日数をいかに過ごすか、何に会いたいか、どこへ行けば会えるのかをまとめていたようだ。
これまでに会えた生き物は、アオアシカツオドリ、ナスカカツオドリ、ガラパゴスゾウガメ、ダーフィンフィンチ、ウミガメ、ガラパゴスペンギン、ガラパゴスウミイグアナ、ガラパゴスアシカ、エイ、グンカンドリ、サメ…たくさん会えた。
会いたい、けどまだ会えていない生き物は、ガラパゴスリクイグアナ、ハンマーヘッドシャーク、アカアシカツオドリなど。
そこそこの出費をこれまでにしてきたので、いけるとしても100ドル程度のツアーに1回、あとは自力で散策することにした。
そうと決まればツアーを探しに行かねば。そもそもどんなプランのツアーが今旬なのかもわからない。そろそろ夜も更けてきたので魚の調理はみんなに任せてバンビとりさこちゃんが代表してツアーデスクへ向かう。ついでに飲み物を買い足しながら。
一軒目、Googleマップにも掲載されている高評価のデスク。流暢な英語でお兄さんが現在催行中のツアーと残席、価格を教えてくれる。140ドル以上はしそうだ。
机に「ガラパゴスで見れる魚」のようなビラが置いてある。
あ、今日の晩御飯。
「これ、今日のうちの晩御飯」と指差すと、彼は
「めっちゃ美味しいよ!」と口元で指をすぼめて投げキッスのような弾けさせるジェスチャーをした。
そんな、愛を込めるように言うほど、サイコーにうまいのか。楽しみだ。

二軒目、たまたま見かけたツアーデスク。ここにカルロスはいた。
カルロスは小柄な、少しチャラついた印象のあるスタッフだ。
ガラパゴス諸島のブルーノマーズといった雰囲気。
明後日のツアーの残席はわずかだ。提案された2つにりさこちゃんと交渉し、いくばくかのディスカウントをしてもらってみんなに持ち帰った。
*サンタフェ島とその近海ツアー130ドル
*ダフネマイナーとピンソン島160ドル(少し泳力上級者向け)
ダフネ!!!!バンビが日本にいる時から調査した結果、シュノーケルでいける最も大物に会えるチャンスがありそうな場所。バンビの心はダフネに決まった。
帰るとサイコーにうまいアクアパッツアが出来上がっており、おそらく最後のツアーとなるであろう2つのプランのうちどちらを選ぶかを各々が考えながら寝た。
翌朝デスクに行くと昨日から席が埋まってしまい少し状況が変わっていた。
ダフネ行きの船は島全部で一艘のみで、もう明々後日の2席のみらしい。
ひごっちはダフネ行きを決めていたが、バンビの固い決意を察していたのか
「最終日はゆっくり体を休めながらショッピングもしたいから明後日のサンタフェ島の方にする」と言い、H君とバンビに席を譲ってくれたのだ。

おおよそ手続きは終わったので念の為、この店をのシエスタの時間を聞いておこう。何かあったときに困らないように。
「あなた方のシエスタは何時から何時?」
「え、お、俺のシエスタの時間を知りたいの???」と戸惑うカルロス。
いや、あなたの個人的なシエスタでなくてお店としての営業時間の話よ。英語のyouは単数も複数も同じでややこしい。
「ごめん、個人的な質問をしたかった訳ではないよ」と慌てて誤解を解くバンビ。
お店にはシエスタはなく誰かしらいるから大丈夫とのこと。本当かいな。
じゃーあ、もう質問はないかな?大丈夫かな?とまとめに入ろうとするカルロスにりさこちゃんが聞いた。
「ねえ、教えて。あなたのその服はどこで買ったの?」
想定外に超個人的な質問だった。
そのままプエルトアヨラの最も有名なビーチTorutuga Bayへ行った。ひごっち曰く、かの有名な動物写真家:岩合光昭氏が散歩していたらしい。
サンタクルスについてからの日々は日差しが強く、よく晴れて暑かった。Tortuga Bayまでは徒歩で片道30分程度かかる。
汗だくになって到着したビーチは美しい真っ白な砂浜だった。

泳いでいると浜にいた一匹のウミイグアナがまっすぐ海に向かってくるのが見えた。
これは一緒に泳げるチャンス!
サンクリストバルでもイサベラでも、アシカもイグアナも浜に寝そべって日向ぼっこをしていることが多く、一緒に泳ぐことは叶わなかった。
今思えば日差しが弱く寒かったのだろう。1月に入って本格的に乾季へ入ったからか、サンクリストバルの降水量が少ないのかはわからないが明らかに日向ぼっこ率は低下していた。
ゆっくりとウミイグアナの想定進路を見定めながら海中で構えているとひごっちがその進路にまっすぐと横から向かってきているのが見えた。
彼女はおそらくウミイグアナがこちらへ向かっているのに気づいていない。
海上から「ひごっち!」と叫んだが泳いでいる彼女には聞こえない。
まっすぐ彼らは互いに進み、ちょうどひごっちが頭突きする形になった。
幸いウミイグアナには何の怪我もなかったようだし、ひごっちも気づいていなかった。
海に顔を沈めると目の前をウミイグアナが泳いでいる。少し離れたところを並行に泳ぐ。その構えは意外にも無行で、だらりと垂らした手は何だかおじさんっぽい泳ぎ方だった。舵取りは全て尻尾で行っているのだろう。

街に戻ってきて腹ペコになった一行はローカル食堂ストリートでAlmuerzosと呼ばれる昼定食を食べた。
若いスタッフがどこからきたの?と聞いてきた。
日本からだよ、と言うと「この度の日本での出来事に心を痛めているよ」といってくれた。
そうか、こんな地球の裏側の若者が心配してくれているのか。
その言葉を、今、日本で過ごしている人々に何よりも伝えたいと思った。