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こんにちは!ばんびです☺️
今日はタイトルにあるように、最近看護師人生の目標となったことについてお話ししてみたいと思います✨

看護学生時代、
「看護師さんになって、困っている人のそばにいて何か少しでも力になれたらいいな」
と思っていました。

そして4年目の今、さらなる目標ができました。それは、

「自分がどのように生きて最期を迎えたいか話し合う大切さを広めたい」

というものです。
キャッチフレーズは「人生会議(ACP)を広めたい!」
です!
人生会議って何?と思われる方も多いかもしれません。だからこそ広めたいんですけどね笑


看護師としてたくさんの患者さんをみる中で思ったこと

私は病棟で4年間働く中で、たくさんの方の人生の最期にも立ち合わせていただくことがありました。

本当に色んな方がいて、一言では言えません。

でも、その中で何度も思うことはありました。

それは、
「この方にとって、最期の過ごし方は本当にこれでよかったのかな?」ということです。

歳を重ね、少しずつ死に近づく過程で
人は一つずつ持病が増えたり、機能が衰えたりすると思います。

その中で、例えば肺の病気になって、自分の肺で呼吸ができない状態になったら
人工呼吸器を装着するかどうか医師から説明を受けることがあるかもしれません。

または、何らかの理由で口から栄養を取ることができなくなって、
鼻から胃までチューブを通すのか、それとも栄養は与えず、点滴だけ投与して穏やかに最期を迎える道を選ぶのか
選択を迫られるかもしれません。

認知症や脳の疾患、病状により認知機能が低下していて、その選択を本人ができない場合、
選択をしなくてはいけないのは、旦那様・奥様や、
息子さん・娘さん、あるいは親戚の方など
その方にとって大切な方が選択をすることになります。


いきなりやってくる決断の時。最善の選択とはなんなのか…

そんなときに、本当に自分にとって大切な方に「少しでも長く生きてほしい」と思うことは、
もちろんあると思います。

でも、そのような方をたくさんみる中で私が思うことがあるのは、
「果たして本人にとってそれは望んでいる選択なのだろうか」
ということです。

これは医師から指示された治療を行ったり、
患者さんの生活のお手伝いをしている私の目線になってしまうのですが、

治療をするということは、
チューブを体に入れる、薬を投与するなど
少なくとも何らかの異物を体内に入れなくてはいけません。

認知機能の低下がある方は、
「治療のために異物が必要」という状況を理解できないため、
それを抜いたり逃げようとしたり、時には「こんなことするなら死んだ方がマシだ!」
と叫ばれることがあります。

治療を安全に継続するために、
「行動制限」
と言って、
手首を小さいベルトで巻いてベッドの柵にくくりつける、お腹にベルトをしてべっどにくくりつける、手の動きを制限するためにミトンをつける
ということを行ったりもします。

「死んだ方がマシだ」
その言葉をそのまま鵜呑みにするというわけではないのですが、

「その治療をして、どれだけの期間また元気に暮らせるのか」
「人生の最期の大切な時にその苦しい治療に耐えて過ごすこと。それ以上に良いことが、その治療にはあるのか」

と私は考えてしまいます。

治療をとるか。自然な形で穏やかに過ごすことをとるか。
もちろんどれくらいまで改善の可能性が見込めるかという時と場合によることもあります。

でもその答えは、
個人の経験や人生によって形成された価値観にもよるものも大きいと思います。

だから、どういう選択をして欲しかったのかは、
本人にしかわかりません。

そして本当に苦しいのが、
本人の意見を聞けない場合、どんな選択をしても、
選択したご家族や大切な方にとっては、「これでよかったのだろうか」という後悔が残るのではないか

と私は思うのです。

だから、
元気なうちに、自分がどう生きてどう最期を迎えたいのか
自分の中で考えておくだけではなく、
大切な人と入念に話し合って、
いざというときのイメージトレーニングをしておく
ことが大切なのではないかと思うのです。

医療技術・治療の選択は日々進歩し、
してもらおうと思うなら治療はどこまででもできてしまうのかもしれません。

意識がなくても、栄養剤や点滴を投与して、
呼吸や腎臓の機能も機械でまかなって、
生の期間をのばすことも可能です。

だから、どこまでの治療を望むのか、
自分がどういう人生にしたいから、最後はどこでどんなふうに誰と過ごしたいのか

それを考えて大切な人と話し合う、
それが人生会議です。


死を意識することで、今を大切にできる。


私は最近、どうやったら人生会議が広まるかということをよく考えています。

その中で思ったのは、
死という人生の締め切りを意識することで、
自分の人生には終わりがあるんだという実感が持てるのではないか。

そしたら、「いつまでには何をしたい」「いつできなくなるかわからないから、あの人に伝えておこう」
など、いつかやる先延ばしも少なくなるのではないかということです。

人と話してる中で、「これは我ながら秀逸な例えだ!」
と思ったのが、
「夏休みの宿題」です笑

私は宿題を後回しにするタイプで
「夏休みはまだこんなにあるから今はしなくていいや」
と思っていました。

そしたら夏休みはあっという間に過ぎ、気づけばあと一週間。
終わりが見えて急に
「宿題終わらせなきゃ!」と焦って宿題をするので、
夏休みの最後は、宿題が終わるのだろうかという不安と焦りでいっぱいになり、
悲しい幕下ろしになるのです笑

人生も似ているのかもしれません。
まだまだある、と終わりを意識しないことで、
本当にやりたいことを後回しにして、大切な時間を無駄に過ごしてしまうことがあるのかもしれません。

だから、人生会議は近寄り難いと感じるかもしれませんが、
誰にとっても身近であるべきで大切なことだと私は思いました😊


自分の人生だけでなく、大切な人とのこともそうです。

例えば私の大切なお父さんとお母さん。
考えたくはないけど、私より年齢は上なので、
基本的には先にこの世界からいなくなってしまいます。

その事実から目を背けていたら、
2人にしてあげたいこともできないかもしれないし、言いたいことも言ってあげられないかもしれません。

だから、自分の大切な人の人生にも終わりがあるということを意識するのは
とても大切だと思います。



今後やりたいこと

かなーり長くなってしまいました笑

人生会議の大切さを、
たくさんの方の人生の最期を見てきた私目線からお伝えできていたら幸いです。

とはいえ、
「大切ということはわかったけど、実際に面と向かって話すのは勇気がいる…😣」
と思われるかもしれません。
私もそうです。

そこで、話のきっかけとなるツールやコンテンツを、
人生会議を広めたいと考える仲間が集まる「AC&LP」というグループで、
あれこれ考えているところなんです😊✨

これから、この目標を達成するための私の活動報告も
このnoteでしていけたらなあと思っているので、
またチェックしていただけるととても嬉しいです✨


長くなりましたが、
最後まで読んでいただきとても嬉しいです。

今日も素敵な1日を過ごされるよう願っています😊🐾

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