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10年ぶりに東方神起に会った夜


2020年1月11日のナゴヤドーム。私の視界いっぱいに広がる赤。その景色を見たのは10年振りだった。

2009年7月5日の東京ドーム。
4th LIVE TOUR 2009 ~The Secret Code〜 FINAL in TOKYO DOMEで初めて東方神起のコンサートに行った。そして、これが私にとって最初で最後の5人の東方神起になった。
正直、この日の記憶はもうあまり無い。ずっと好きだった東方神起のコンサートへついに来ることが出来た興奮と、彼らのあまりのかっこよさに圧倒されて、大好きなSecret Codeで始まったオープニングと、大好きなTAXIのステージ、Somebody To Loveで私から近い花道を推しのユノが駆け抜けたことをぼんやりと覚えているくらいでしかない。


東方神起が大好きだった。中学〜高校にかけて本当に夢中になったアイドルだった。ファンクラブに入り、初めてブログを開設して想いを綴り、韓国語を勉強して、YouTubeを毎日開いて、出演する番組は全部録画した。
HEY!HEY!HEY!に出演した時にユノが教えてくれた「이거 얼마예요?(これいくらですか?)」というフレーズ。未だにピンポイントで鮮明に覚えているのは、ユノが教えてくれたから絶対覚えようと必至に刻み込んだ結果だろう。(今思うとものすごく実用的な言葉のチョイス)

茶の間オタクとして数年溜め込んだその想いは、東京ドームで弾けた。初めて見る生の東方神起は圧倒的なカリスマで、ドームに響き渡る5人の歌声は当時高校生だった私の心にジンと染み込んだ。そうやってずっと東方神起のファンでいると思っていたのに、私はこの後10年間も東方神起から遠ざかった。


東方神起の分裂

夢のようだった東京ドーム公演の3週間後、ジェジュン/ユチョン/ジュンス(以下JYJ)の三人が「専属契約の効力停止仮処分申請」を提起した。年末の紅白こそ5人で出演したものの、それは実質5人最後のステージだった。年が明けた2010年からJYJは個人活動を開始。新事務所の問題等々によって4月には3人が活動停止し、11月にユノとチャンミンだけでカムバックすることが発表され、以後東方神起は世間が知る体制となった。私はそのあと何度も何度も「あの時東京ドーム行ってよかったな」と思うのである。

このような事態に陥った理由は、JYJの3人が中国の新しい化粧品ブランドに投資をし事業を始めたことによる契約のもつれだった。SM側は当初「個人投資なら問題は無い。東方神起の肖像は使用しないこと、理事などの役職にはつかないこと」を条件にブランドへの投資を了承した。しかし実際には5人全員の肖像が使用され、JYJの家族が化粧品店を開業。ファンから問い合わせを受けたavexがSMに事実確認を求めたところから実態が明るみに出た。それと同時期に、JYJはSMに対し契約内容の不当性を理由に専属契約の解除を求めたのだ。これが化粧品事業問題の存在なしに提起されていたかと言われると怪しいが、JYJからすると化粧品事業問題と専属契約解除申し立ては別問題という主張だった。(契約について話したいのに化粧品事業の話を持ち出して濁されるから裁判所に解決を求めたという主張)
ネット上に残されている記録を読めば、JYJ本人達よりご家族のほうがちょっとな…と思ってしまう。「SMとはもう仕事しない」と言い捨てたジュンスのお父さん…。だから3人が心の奥底で何を望んでいて何を思っていたのかは分からない、と逃げ口を作っておきたい。というのも、JYJはユノとチャンミンに「一緒にSMを出よう」と話をしていたらしい。彼らが2人と離れたかったわけではないであろうことは明記しておく。でも最終的に2人は「東方神起を生んだのはSMであり、SMと共に目標に向かって活動していく。SM以外で東方神起として活動するつもりはない。」という立場表明をして分裂する結果となった。

この件に関してはユノとチャンミン連名の声明文および2人のお父様が出した声明文を読むと2人の決意の固さが痛いほどわかる。あまりにも波に乗って異常なほどの忙しさと共にアジアを席巻していた日常が急に止まったもどかしさ、これからも5人で…と描いていた未来が消え去ったこと、長い間苦労も分け合って共に歩んできた3人と分かり合えない悲しみと戸惑いと怒り。たくさんの感情が文章から伝わってくる。(人様の記事なので転載はしません。調べてみてください!)


私がここまで事の経緯を調べて理解したのは分裂後7~8年は経っていたと思う。分裂当時の私はオタクとして未熟だったし、詳しく調べようともしなかった。あの頃の感情を掘り起こすなら、「ショックすぎて受け入れたくない」という気持ちだろうか。たぶん。よくわからないうちに2人の東方神起が「Why?」をリリースし、歌詞を見て「ヒィ…」と思っていた(感情の浅さたるや)

私はユノが推しだった。今でも私にとってユノは全ての原点として尊敬しているKPOPアーティストだ。そんなユノが東方神起として活動する以上に5人の東方神起が好きだった。5人が作り出すハーモニーは唯一無二で最高の芸術だったから。
だから、2人の東方神起を受け入れられなかった。もちろん嫌いではないけど、見るたびに「5人がいい」という感情が生まれてしまうのに疲れて、見ることができなかった。5人じゃないなら東方神起じゃないな、なんて思って。私は東方神起から離れた。KPOPは見続けていたけど、東方神起の活動は見なかったしどんな歌を歌っているかも聞かなかった。心底惚れたグループがその形を失うことを恐れて、ボーイズグループはほぼ見なくなり、少女時代やT-ARAなどのガールズグループには「かわいいな」という感情だけをもってYoutubeを眺めるにとどまった。そしてハロプロ畑に腰を据えた。


そうして7~8年が過ぎてBTSの活動が目立ち始めた頃、私の興味もだんだんと戻ることになる。そろそろボーイズグループも見てみるかと思ってすぐにSEVENTEENにハマり、東方神起時代以上の沼入り。

KPOPの世界にどっぷりと浸かった私はものすごく久しぶりに東方神起を見た。それが何だったのかは覚えてないのと、瞬間的に何かが湧きあがったわけではないけど、「あ、東方神起やっぱりいいな」と思えるようになっていたのは確か。2人のコンサートにも行っていた知人から話を聞いたり、リリースしていた曲を聴いたりしながらだんだんと「好き」という感情が戻った私は、雑食オタクとして年間30以上のコンサートに参加した勢いのまま「今年なら2人の東方神起を見れそう」「今年は東方神起のコンサートに行こう」と母親を誘ってチケット抽選に応募した。


2人の東方神起

そうして2020年1月11日、当選したチケットを持ってナゴヤドームへと向かった(東京は外れた)。国内外問わず散々コンサートの現場にいっていた私の気持ちは割と冷静で、ペンライト買って~飲み物も買っておいて~席はここ~広いね~ドーム久しぶりだね~くらいのもんだった。

だがコンサートが始まってすぐ、「あ、これはやばい」と思った。2人があまりにもかっこよすぎて。最推しSEVENTEENのコンサートで感じる圧とはレベルの違う圧を感じた。圧倒的なカリスマ力と実力、ステージ力。アルバムはあまり聞き込んでなかったから知らない曲もあったけど、そんなもの気にならないくらいに次から次へと「東方神起」に引きずり込まれた。兵役も終えて大人になった彼らはあの頃とは違う強烈な魅力を身にまとっていた。すさまじい安定感と余裕、そして緊張感。ドームを埋め尽くす赤いライト。とっくの昔に私の中で過去となっていた景色は何も変わらずにそこにあった。2人になってからのファンも多いだろうけど、デビューから15年間、特に私が離れていた10年間もたくさんのファンがこうして支えていたから今日があるんだと強く感じた。

LIVE TOUR 2019 ~XV~は15周年を記念するものだったから、必然的に5人時代の曲もたぶん普段より多めにセットリストに組み込まれていた。ネタバレ平気族の私はセトリをチラ見していて分かってはいたのだけど、およそ10年ぶりに聞く東方神起のソレは私の心をこれでもかというほどかき乱したのだ。


本編中にあった「My Destiny」。東方神起の中でかなり上位に入ってくる私の大好きな曲。このMV収録時ジェジュンは膝を怪我してダンスシーンに参加していない。今でもすぐにカットを言えるほどMVを何度も何度も見ていた(当時MVくらいしか映像無かったからね)。そんな思い出と共に大好きだった気持ちが溢れて懐かしさに涙が出た。JYJのパートを2人が歌っても、それは「5人の方がいい東方神起」ではなくて「私の大好きな東方神起」だった。


ああ、2人でも東方神起なんだ。2人になってからも、彼らは必死に東方神起を守って東方神起としての道を作り上げてきたんだ。私の知らない10年間もずっと東方神起は東方神起だったんだ。

本当にやばいな。めちゃくちゃかっこいいな。来てよかった。本編を終えてずっしり心に芽生えた感情はうまく言葉にできない。勝手に離れていたのは自分であって、彼らはただ必死に生きてきただけなのだけど。


私が本格的に崩壊したのはアンコールだった。中央のLEDスクリーンのセットが左右に開くと同時に流れてきた「Stay With Me Tonight」のイントロ。東方神起のデビュー曲。その瞬間、嗚咽交じりに泣きながら立っていられなくなった私は椅子に座り込んだ。隣の母も泣いていた。

大好きだった。初めてハマったKPOPアイドル。どんどん大きくなる彼らを見て誇らしくて、かっこよくて、日本以外の国に触れるきっかけになって、日常の大部分を東方神起に割いていたあの頃。その懐かしさと、彼らが変わらず東方神起として存在し続け、こうしてデビュー曲を歌ってくれていることへの有難さ。そして10年間受け入れられなかった申し訳なさ。いろんな感情が一気に押し寄せて、ステージを見ることも忘れてわんわん泣いた。


KPOPオタクを再開して改めて感じたグループ存続の難しさ。いつしか私はアイドルに期待することを諦めて「いつか無くなるから」と言い聞かせながら応援していた。正直言ってその予防線は取り除くことはできないけど、それでも存続することの凄さを痛感したし、やっぱりできるだけグループは存続してほしいと思う。人数が減ってもメンバーが変わったとしても、続けてさえいればいつか一緒に過去を振り返って懐かしんで楽しむことができる。私みたいに長い期間を経てまた楽しみたいと思ったときに楽しませてくれる。ユノとチャンミンの2人が東方神起であることを諦めずにずっと走り続けてくれたから、この日私は人生においても特大ネタといえるほど大きな幸福に包まれることができたのだ。

本当にありがとうと心から思った。そしてごめんねと何度も謝った。きっと私は2人が一番苦しかった時にファンとしての立場から降りた。正当化するわけではなく、その選択も仕方がないしこれからもそういう選択をする人を非難するつもりはないと思っているけど、私は2人のコンサートに行って初めて「5人じゃないと東方神起じゃない」なんてことはなかったんだと当時の自分を悔いた。

その日はずっとふわふわした感覚だった。体中で響いて鳴りやまない感動をうまく処理できなくて。ずっと胸の奥でつかえていたしこりが取れたような気がして清々しくもあった。もう、「5人時代が好きだったんだよね。今は見てなくて…」と暗い顔をする必要もない。5人の東方神起が、口にするたびにチクリと痛む過去ではなくなった。こんなに世界が開けることになるとは思っていなかったから、「東方神起ってすごいよ!2人のコンサート行ったんだ!」とすれ違う人みんなに大声で伝えたい気分だった。


Youtubeやあらゆるプラットフォームが増え、何十年昔の曲でも指一本で調べて楽しむことができる時代になった。だから5人時代の東方神起の曲もステージもいつだって見れる。でもリアルタイムで気持ちを共有できるコンサートという空間で味わう懐かしさはレベルが違う。彼らの人生と自分の人生全部がその瞬間に濃縮されて全身を駆け巡る。抱えきれない感情は叫び声や涙となって溢れるだろうし、それによって得られる充足感はなにものにも代えがたい。

奇しくもこのコンサートがほぼ最後となって世間はコロナ禍になった。コンサートに行けなくなって1年以上経つ。現場最優先オタクだった私はびっくりするくらいのんびりした毎日を過ごしているけど、いつかまたアイドル達のコンサートに行けるようになったら、体中でその感動を味わいたいと思っている。きっと今度は、全身を包む爆音とリアルで見るステージの迫力に涙すると思う。




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