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東寺駅〜石清水八幡宮駅②(鳥羽街道)

鴨川を小枝橋で渡り、左岸の堤防沿いを少し歩き1つ目の曲角左折、城南宮道を歩き直ぐ画像の交差点で右折。
交差点脇には、鳥羽伏見勃発の地説明板と石碑に城南宮道標石、右折直ぐの場所に愛宕燈籠。

少し歩いて左手に鳥羽離宮跡(鳥羽離宮跡公園) 鳥羽離宮→Wikipedia (14:39)

少し歩き赤池交差点過ぎた所に又もや愛宕燈籠。

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下鳥羽城ノ越町地蔵尊

おっ!ここのお地蔵さんは化粧してる!
この日はじめての化粧地蔵。
この後、数カ所で化粧されたお地蔵さんを確認。

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戀塚寺。[ホームページ]
ん?さっきも①恋塚浄禅寺って似た名前のお寺さんがありましたね。
どちらも同じ内容(由来)のようです。
芥川竜之介の[📖袈裟と盛遠]の元ネタ。
原作?元ネタは夫一途な女性ですね。

今出川菊亭右大臣鳥羽殿跡 [説明]

増田徳兵衛商店(月の桂)[ホームページ

下鳥羽前田町 地蔵堂

又もや愛宕燈籠発見。京都市内だけによく見かける。
愛宕燈籠ばかりを写真に撮ってまとめてるサイトがあったような…。
少し進むと鴨川と並行する道になるが、アスファルトが疲れるので土手を歩いて行く。
田中神社御旅所、法傳寺通過(寄らない)

まだ土手を歩いてます。鳥羽伏見の戦跡石碑。

一念寺(鳥羽の大仏) 土手を下りて寄り道。大仏(丈六阿弥陀如来像)を拝む。

一念寺
寺伝によれば、天武天皇即位二年(六七四年)僧道昭が創建し、奈良の元興寺に属する法相宗の寺あったが  (一四二九から四一)に、後亀山天皇の皇子であった真可上人によって再興され浄土宗に改められたといわれている。 
本堂に安置する本尊阿弥陀如来像は、定印をむすんで結跏趺座すろ丈六の巨像で、俗に「鳥羽の大仏」と呼ばれ人々から親しまれている。この大仏は、当寺の再興に当って、東大寺念仏堂から移されたものと伝えられている。
門前の鴨川畔は、永享二三年(一四四〇)六六歳で没した真阿上人遺命により遺体が水葬されたところで、「真師ヶ淵」と呼ばれ、以後、永く殺生禁断の地とされてきた。
京都市

現地説明板より
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土手には戻らず千本通を歩く。
藤田権十郎邸 藤田四郎右ェ門邸跡。
古民家カフェ?みたいになってます(お店ホームページ)
調べても藤田権十郎 藤田四郎右ェ門なる人物のWikipediaなど無し。
たぶんこの辺りの庄屋ですかね?

この辺りは旧街道の雰囲気が残る道ですね。

千本通は再び土手と並行する。
迷わず土手の上へ。少しでもアスファルトを避けて歩く。
川の名前が、鴨川から桂川に変わる。
日が傾いて来ました。(15:46)
③へ…つづく
(2024年1月下旬)

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