【ジョン・ウェットンの個人的傑作12曲 (を選ぶことで、敬愛していた彼への追悼とする文章) 】
2017年1月31日……またも、偉大なるミュージシャンが亡くなった。
ジョン・ウェットン、享年67歳。
大好きだった。でも、近年はあまり追わなくなってしまっていた。
いつでもそこにいて、またすぐ日本に来てくれると思ってしまっていた。
ウェットンは2000年代からアルコール依存症の苦しみを越え、晩年は癌と闘い、摘出。その時期にして結婚し、みるみる痩せていったものの、常に笑顔の写真を発信し続けてくれた。
こうした逝去の折、よく「名曲10曲」などのページが組まれる。今回は自分でもそれを、だいたいベスト盤CD1枚に編集できるだろう分数の「12曲」でもっておこなうことで、ジョン・ウェットンの追悼とすることができれば……という想いで、この文章を始めることとする。
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01. The Circle Of St.Giles ~ The Last Thing On My Mind (from ARkANGEL)
そもそも僕がジョン・ウェットンを最初に聴いたのは、例に漏れずキング・クリムゾンからだった。
ほかの時代とは明らかに質の違う、くぐもった声質。英国らしい湿り気のある「永遠のイングリッシュ・ヴォイス( [C] 市川哲史)」が、クリムゾンの一時代を築いたという話は、実に納得できた。
プログレを模索していた大学生当時の僕は、やがてウェットンのソロ作『ヴォイス・メイル』を中古盤1600円で購入し、そこに広がる優秀なポップスを耳にして「プログレって何だ?」と悩んだものだ。
しかしそこに広がるのは、間違いなく優秀なポップス・アルバムの世界。プログレ出身者ということで購入したそれとの違和感は、その後の僕のプログレ観というか、ロック音楽観を一気に改革してくれた。
「プログレじゃなくたって、いいものはいいじゃないか」
ただそれだけの命題を、ウェットンは自ら表現してくれた。
続けて購入した、当時のソロ最新作『アークエンジェル』のイントロ曲から続く「ザ・ラスト・シングス・オン・マイ・マインド」は、ウェットンの楽曲のなかでも最上位に位置すると言っても過言ではない。ポップなメロディ・ラインと夢見そうなギター・リフ。ややノイジーなギター・リフの上で踊るそれらを、「プログレじゃなくてもいいものはいい」の指標として、僕はその後の音楽人生を歩むことになった。
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02. Caught In The Crossfire ~ Easy Money ~ In The Dead Of Night (from CHASING THE DRAGON)
かつて僕は、音楽中心のサイトを運営していた。
さまざまに興味があるものをコーナー化していったが、設立当初からあったコーナーのひとつが「ジョン・ウェットン研究所」というもの。
そこではウェットンのレア曲を簡易的な解説でデータベース化したり、訳詞がついていないアルバムや曲を無理矢理自分のつたない英語スキルで意訳し、発表したりしてした。
そのころには様々なレア曲やレア盤も手に入れ、中古相場が高騰化していた『コート・イン・ザ・クロスファイア』も3800円の価格をよしとして購入。表題曲の「北酒場イントロ」に笑うものの、そのライヴ・ヴァージョンとなるこのテイクではカッコよくシェイプされ、クリムゾン時代およびU.K.時代の代表曲とメドレー化する手腕に唸った。
そう、多くのプログレ出身者がプログレありきの作風に埋没してしまうなか、ウェットンは「プログレの過去」も「ポップな現在」に活かせる一要素として昇華していた。
違和感なく聴かせるその展開は、プログレというより、やはり「ポップス」だ。
「12曲」じゃなくて「12トラック」になってしまう反則技だけど、これでもってバンド時代からソロへのブリッジになるので、お許し願いたい。
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03. Night After Night (from U.K. - NIGHT AFTER NIGHT)
しかしサイトなどを通じて交流していったウェットン愛好者の多くは、「クリムゾンのウェットン」「U.K.のウェットン」、つまりは「プログレを演奏するウェットン」ばかりが好きだった。
ウェットンが明らかにポップス志向になっているのに、それをまるで見ずに「プログレの魂はどこへ行った?」「『スターレス』を歌えよ」と紛糾していた。
ウェットンその人自身のファンになっていた僕は、哀しい気分ながらU.K.のライヴ盤に収録された表題曲にして新曲であった「ナイト・アフター・ナイト」を愛聴していたが、そうした方々にとっては「ごく平凡な曲」だったらしい。
この楽曲は、プログレを期待されながらもポップ志向のウェットンが放った、見事な「プログレとポップスの境界線」だ。間違いなくこの楽曲の指針をもって、ウェットンはエイジアの構想に着手したはずだ。
僕にとってU.K.は「ウェットンが大好きなポップスを堂々と歌えるようになるためのブリッジ」でしかなかった。
言いすぎというのはわかるし、もちろんU.K.自体も大好きだけど、ウェットンを軸に考えると、どうしてもそう思えてしまった。
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04. Daylight (from Asia - Single B-Side Song from GOLD)
そのウェットンが最大に魅力を発揮できたバンドは、もちろんエイジア。
プログレ・フィールドで大きな功績を残してきたメンバーたちで結成されたスーパー・グループだったため、「新世代のプログレ」を期待されながら、ポップスに大きく寄った曲調に落胆されたというのは有名な話。さながら『ディシプリン』を発表して復活したクリムゾンのように、作風がガラッと変わって旧ファンから勝手にガッカリされたわけだ。
こうした話を聞くたびに「少しだけど後世に生まれて、後追いになってよかった」と感じる。リアル・タイムの流れのままに聴いていたら、きっと自分も落胆したかもしれない。
しかしその後の様々な音楽を聴いてから入ることができたエイジアは「プログレの雰囲気を残しながら、実に優秀なポップス」だった。敬愛する音楽ライター、市川哲史の言う「3分間プログレ」の意味がとてもよくわかった。
だがエイジアを受け入れられるファンはファンで「ハウがいないとエイジアじゃない」という意味のことをよく口にする。だからこそ『アストラ』は評価されないし、リユニオン後のギタリスト交代からも同様の発言を耳にした。
しかし僕はエイジアといえば、ハウの存在感が希薄なこのシングルB面曲にこそ、エイジア表現の極北を見る。
ウェットンが指針としていた「3分間プログレ」の要素は、この曲に凝縮されている。それこそU.K.の「ナイト・アフター・ナイト」に続いて、ウェットンの音楽的パーソナリティを最も体現した1曲だ。
そしてポップネスに自信を持ったウェットンがポップ回帰して発表したセカンド・ソロ『ヴォイス・メイル』。
そのアルバムが傑作となったのには、この「ナイト・アフター・ナイト」「デイライト」の2曲があったからこそではないだろうか。
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05. Battlelines (Movie Version from CHASING THE DEER)
その『ヴォイス・メイル』によって僕は意識を改変してもらったわけだけど、中でも代表曲といえばこの曲。
『ヴォイス・メイル』というタイトルは日本盤のみで、英国盤でのアルバム名はこの曲のそれだった。その後の日本盤再発にあたっても、こちらのアルバム・タイトルに移行した。
それでも僕にとっては、そのアルバムは『ヴォイス・メイル』だ。また「ウェットンの10曲」を選ぶのであれば、『ヴォイス・メイル』収録の10曲だけで充分とも思えてしまう。
そうした実質的な表題曲、「バトルラインズ」はイギリスのTV番組サントラとして発売された5曲入りミニ・アルバム『チェイシング・ザ・ディア』にも収録。オリジナル・ヴァージョンと別ヴァージョン、インスト3曲とで構成されており、価格の割に充実度が低いものだったが、おそらく僕が「ウェットンのソロで、初めて買った新品」だ。だというのにコーヒーをこぼしてジャケットをヨレヨレにしてしまったことも思い出深い。
そしてそのミニ・アルバムの目玉であるはずの「映画ヴァージョン」も、アルバム・ヴァージョンとほとんど変わらないというのが、後年の「粗悪ライヴ盤乱発」を許してしまうウェットンを予言しているようだった。
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06. Emma (from NOMANSLAND)
ウェットンは、ソロ・スタジオ・アルバムは6作程度しか制作しなかったものの、ライヴ盤はとにかく多発された。メーカーとの関係や資金面の問題が大きかったのだろう、ブートの再利用やブート同然の音質をオフィシャルで発表したりするのには、ファン全員が首をかしげていた。
だが、そのなかでも優秀なライヴ盤、それが『ノーマンズランド』。
ソロ代表曲を中心にバンド時代の楽曲もまじえた選曲、音質も良好で、この充実していた時期のウェットンを実によくあらわしていた。
なかでも、ウェットン生涯の歌であっただろう「エマ」。
焼き鳥と日本酒が好きで、まるで日本人のようだと言われた彼の、また日本人的な「タメ」も味わえ、その楽曲の美しさと歌詞の純粋さが胸に迫る。
多くの「女性の名前を冠した歌」を書いたウェットンだったが、そのなかでも頂点に位置する楽曲だったことは間違いないだろう。
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07. Christina (from WETTON/DOWNES)
もう1曲「女性の名前曲」から、僕はこの曲がどうしてもはずせない。
「クリスティーナ」とは、盟友ジェフ・ダウンズの愛娘のこと。ほぼアコースティック・ギターのみで演奏される曲を、ウェットンの声とやさしい歌詞が包み込むようにカヴァーする。
もともとは「ウェットン/ダウンズ」のソングライティング・デモの録音の一環で制作・録音されたものだったので、初収録だった『アクスティカ』ではライヴ中の1曲として組まれているものの、この曲だけどうにも音質が違い、こちらの盟友タッグの音源集をあわせて聴くと、スタジオ録音あるいはスタジオで大きく補正した音源ではないかと思われる。
このふたりが一度は袂を分かっても、音楽活動の最後まで一緒だったことを喜ばしく思うとともに、ジェフ・ダウンズの胸の裡を思うと、とてもじゃないがやり切れない。それでも気高くがんばっているダウンズに、「ウェットンの意志」を見出してしまう。
だからこそ、そのタッグの象徴となるこの曲を、僕はどうしても選びたい。いや、選ばずにはいられない。
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08. Walk On Heaven's Ground (from JACK-KNIFE)
ところでウェットンは、ソロ・アルバム発表前にもう1枚、実験的に変名でソロ作品をドロップしていた。
それがR&Bカヴァーを中心とした友人バンド「ジャック・ナイフ」名義でありながら、実質的には「ジョン・ウェットンのソロ0枚め」に位置している。
お世辞にも、ウェットンが歌っていてもまったくもって普通の、平々凡々としたR&Bナンバーが並ぶ。そのなかで、唯一と言えるほど秀逸な楽曲。それがこの「天国の散歩」。
テクノじみたハイ・ハットとスネアのリズム、ワウがかかってひょろひょろ鳴るギターなどは平凡かもしれないが、とにかくそのメロディ・ラインが秀逸で、それこそ「ウェットンのソロ・キャリア出発点」と言える楽曲かもしれない。この曲があってこそ次のステップ『コート・イン・ザ・クロスファイア』があって、U.K.とエイジアを経たからこそ『ヴォイス・メイル』が生まれた。
となれば「元祖ジョン・ウェットン・ソロ」であるこの曲を、はずすわけにはいかない。
これも『コート・イン・ザ・クロスファイア』と同じく中古相場が高騰していて、同じく3800円で購入して、満足だった『コート~』に対して、だいぶガッカリした記憶がある。
現在はデモ音源集の『モンキー・ビジネス』と2 in 1編集で再発されていて、いい時代になったものだ。
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09. Laughing Lake (from MONKEY BUSINESS)
さて、その『モンキー・ビジネス』だが。
「ウェットンとクリムゾンの作詞家リチャード・パーマー・ジェイムスが残した奇跡のデモ音源集! あの『スターレス』も収録!」
といった当時の煽り文句で購入し、残念に思った方も多いだろう。僕もそこまでではないが「こんなものか」と思ったおぼえがある。それは「クリムゾン時代やその周辺に書き溜められていた作品」を期待してしまったからこそであり、「カセット録音の雑なデモ音源」である事実を受け入れられなかったのだろう。他のガッカリした人の多くは、クリムゾン時期の音源が入っていると勝手に期待したようだ。クレジット見ろよ。
しかし何度も聴くうちに、そこに収録された目玉の「ピアノ演奏で歌部分だけのスターレス」よりも、そこにしか収録されていない未発表楽曲の魅力に気づいていった。
なかでも制作3段階と、完成デモと言える4トラックが収録された「ラッフィング・レイク」は、この編集盤中の白眉と言えるメロディを持った楽曲。アコギ1本での歌に少々の鍵盤の効果音を乗せた程度の、ヨレヨレのカセット録音だけど、それこそ湖のようにおだかやに光るメロディが、ウェットンの作曲センスが随一であることを証明している。
あまりに大好きすぎて何度も聴きながら歌い、久しぶりに流してみてもだいたい歌えるぐらいだ。サイトで歌詞を訳詞していたことも懐かしい。
この曲がU.K.結成によって完成を見ず、デモ段階で終わってしまったことは残念に思う反面、それでよかったという想いのほうが強い。
なぜなら「完成していたなら、どこで発表されて、どんな曲に仕上がっていたのだろう」と夢想することができるから。
喩えばエンディングがフェイド・アウト処理で終わる曲、その奥に「この無音では、どんな演奏がされていたんだろう」と想像してしまうのと同様、完成しないことで「その後」を想像させてくれる。
だから僕は、もしも「ウェットンの1曲」を選ぶとしたら、この曲がいい。
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10. You're Not The Only One (from AKUSTIKA)
乱発されたライヴ盤のなかでも優秀な部類に入る『アクスティカ』は、アコースティック演奏に絞ることでウェットンのポップ・サイドの魅力を最大に引き出したもの。前述の「クリスティーナ」も収録しているが、あえて僕は、その最終曲であるこの曲も選びたい。
この曲は、くだんの傑作『ヴォイス・メイル』の最後を飾る楽曲でありながら、ライヴ演奏された実績は多くない。どうしても「バンド時代の曲」を求められてしまうために応えてきたウェットン、ライヴで演奏される自身のソロ曲は、多くが「バトルラインズ」のような代表曲ばかりになっていった。
だから珍しい音源であると同時に、アコースティック演奏により素朴な魅力が最大限に引き出されている。結果アルバムとは違う魅力を持ち、同様にほかの曲もさまざまなアルバムで聴き較べたくなる。
ウェットンの多作ぶりやさまざまな音楽側面、しかしそこに一貫して貫かれている「ポップネス」を象徴しているような1曲に思える。
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11. After All (from ARkANGEL)
気づけばこの12曲は、バンド~ソロのキャリアを洗いながらも『アークエンジェル』からの選曲が多いように思う。それはきっと、僕がウェットンの大ファンになった時点での最新作がそれであるのと同時に、その後のソロ作は、まだ「現在」としてとらえているからだろう。だからこそその後の3枚のソロ作からは、1曲も選曲していない。
ジェネシス曲のカヴァー「ウッォッチャー・オブ・ザ・スカイズ」や、『ウェルカム・トゥ・ヘヴン』で実現したスティーヴ・ハケットとの共作「リアル・ワールド」、唯一ライヴで観ることができた時期の『ロック・オブ・フェイス』、遺作となってしまった『レイズド・イン・キャピティヴィティ』など……それらはまだ、僕のなかで「今のウェットン」として生きていて、消化しきれていない。
またオムニバス盤やトリビュート・アルバムにヒョイッと参加して「またウェットン参加かよ」と購入を悩む、そんなことがありそうに思えてならない。
そしてソロの遺作となってしまった『レイズド・イン・キャピティヴィティ』には、なぜかこの友との友情を歌った傑作曲「アフター・オール」の普通のスタジオ・ヴァージョンがボーナス収録されていた。おそらくビジネス的な意味合いがあったのではないかと思うものの、それがまさか、遺作の最終曲になってしまうとは……。
……ウェットン逝去の報を聞いて僕が真っ先に思い浮かべた曲は、この曲だった。だからこそ、ほとんどの作品を今の住居に持ってきていなくても、その作品が手もとにあって、本当によかった。
そうしてすべては、ウェットンのソングライターとしての才能を感じて、つくづく惜しい人を亡くしてしまったとの想いに帰結する……。
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12. Heat Of The Moment (from LIVE IN TOKYO 1997)
……いや、それでは淋しい。
やはり、僕が個人的なベスト選曲をするにあたって必ず最後に収録していたこの曲のこのテイクを、残しておきたい。
ライヴ盤頻発期にリリースされた、この(1枚のCDに収まる分数なのに、なぜか初回盤のみ2枚組にされ、また通常盤を見たこともない、ミス・プリントだらけの)ライヴ・アルバム、最終曲。それはエイジアの代表曲にして、場内大合唱が恒例となっていた「ヒート・オブ・ザ・モーメント」。
しかしこのライヴ盤は、デヴィッド・キルミンスターにジョン・ヤング、トーマス・ラングという最盛期に近いウェットン・バンドの演奏ながら、ブートレッグの再利用であり、また音声トラブルがあってギターの音が出なくなった部分もそのまま収録されていて、とにかくどのサイトやブログを見ても大酷評されている。
だが僕は、このテイクが大好きだ。
キルミンスターのギターの音が出なくなり、察知したウェットンがコーラス部分を何度も、客を煽りながら歌い続けていく。「もっと歌えるだろう?」と声を投げかけ、女性コーラスとともに会場がコーラス部分を連呼。やがて機材トラブルから復帰して、ギターの音がかぶさってテンションの高いエンディングへ導いていく――アルバム自体はよくないかもしれないが、このテイクだけは、感動さえおぼえるものだと思う。それも東京でのライヴだ!
このエイジア時代の代表曲は、ソロでもエイジアでもゲスト参加でもウェットンのライヴ曲代名詞のようになってしまったけど、ここまで「楽しそうに」歌っているテイクはない。いつも事務的に感じてしまう側面があるのに、このときだけは、トラブルからの復帰があったからこそ、最大にドラマティックに感じる。
演奏終了後に「まあいいや、よかったよかった」というような調子の '' Oh, well '' というつぶやきがきこえる。その瞬間まで、堪能できる偶発的優秀テイクだと思っている。
そう、これがウェットンだ。
気まぐれだけどとにかく陽気、声をかけられたら断れず、非難されても前向きにとらえる。
このライヴ盤は、それを感じるためだけにでも、持っていてもいいぐらいだ。いや、この1曲だけでも。
そんなウェットンがいつもそこで笑っているような、「ゆるいあたたかさ」を感じさせてくれるから……。
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……これが、僕のセレクトした12曲になった。
こうした選曲は、やはり選者の思いやバックグラウンドが反映されるので、万人に受け入れられるものはまず存在しない。個人的にはベスト・セレクションと呼んでも差し支えないけど、どうしたって「バンド時代が少ない」という声はあるだろうし、逆にソロでのウェットンの熱心なファンなら「『ウェルカム・トゥ・ヘヴン』以後のソロ時代は入れないの?」といった声もあるだろう。
しかし、僕はこの12曲を選んだ。
それは「僕がウェットンを敬愛するにあたって、重く踏みしめて歩んできた12曲」だから。
あなたも、ウェットンのベスト盤や何かのセレクションなどを、編んだり考えたりしてみるといい。「ベースがすばらしい選曲」や「バンド時代のベスト」、「すばらしい歌曲」など、さまざまな視点で考えられるだろう。
そうしてきっと、ウェットンにはさまざまな側面があり、しかし一貫して「ポップ」だったことが、つよく再実感されるだろうから。
市川哲史の命名により「ベースを抱いた渡り鳥」という呼称が日本でが定着していた、ウェットン。
今回、渡っていった新しい表現の場は、自身のソロでも思い描いたことのある「天国」だ。
先にそちらで楽しんでいる面々は、強豪ぞろいだよ。ジミ・ヘンドリックスのギターとキース・エマーソンのオルガンで演奏できるなんて、夢みたいだろう? 歌の代わりはデヴィッド・ボウイまでいるよ。
そちらでも、うまく渡っておくれ。
そしてたまには、そのくぐもって湿った歌声をきかせておくれ。
いつでも「ラジオをつけたら(Turn On The Radio)」、歌が流れるように……。
どうもありがとう、ウェットン。
しばらく、おやすみなさい。
(2017.02.05 村瀬健二 拝)