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つかめ! V系のターニング・ポイント

 
 90年代~2000年代初頭、数多く存在したV系バンド。
 彼らはすべからく「もとV系」と「そのままV系」に二分した。そして成功または失敗につながり、その後に展開している。

 何のことか。いちばんわかりやすいのはラルクだ。なお「L'Arc~en~Ciel」なんて入力するのは面倒だし、マスコミに強要した「ラルク アン シエル」(←半角スペースを使う、スペースを省略してつなげない、ナカグロを使わない)も面倒。だから「ラルク」と書くよ。
 ラルクは有名な「sakura脱退事件」以後、一気に売れた。「虹」を経て、もとDIE IN CRIESのyukihiroパイセンが正式加入した「Winter Fall」が大ヒット、そのままポップ・サイドを強めてシングルを多発したのち『arc』『ray』のアルバム2枚同時リリースを強行。あれよあれよとスタジアム級のバンドになっていった。
 次にGLAY。GLAYはCMソングとなった「Yes, Summerdays」を皮切りにタイアップをつかんだシングル曲でジワジワ売れていき、やがて初のベスト盤『Review』が恐ろしいほど大ヒット。音楽界サバイバルに成功してあっという間に幕張で20万人を動員するほどのお茶の間バンドになっていった。ついでにTERUもPUFFYの大貫亜美と結婚した。時めいてたねぇ。
 でもどちらも、出自は「V系」。ラルクは間違いなくV系として売れていったのに売れたら「俺たちヴィジュアル系じゃありません事件」があり、V系のつもりもなかったGLAYだってYOSHIKIプロデュースというレッテルにより長いことV系扱いだった。
 以前THE SPACE COWBOYSなどでも記したけど、怖いのだ。V系という「村」は。
 V系雑誌に掲載されるとV系ファンばかりが食いつくので、そうじゃない人はリスナーも雑誌関係者も「なんだV系か」とくくって見てしまい、一般音楽誌への掲載は程遠くなる。そうしてV系雑誌にしか載れなくなる。当然、ファンが増えてもV系ファンばかり。そんな時代だったのだ1990年代末期は。
 だからタイアップは重要だった。たとえV系でも、そうじゃないのにV系とされてしまっても、とにかく「一般層」の耳に届くからだ。バンドのヴィジュアルではなく、楽曲が。
 ラルクが一般層の耳に大きく触れたのは、おそらくアニメ『るろうに剣心』のエンディング曲となった「The Fourth Avenue Cafe」ではないだろうか。サントラにも収録され、オリジナル・アルバム『TRUE』も大ヒットしたが、残念ながらこの曲のシングル・カットは予定されておきながら前述の「sakura脱退事件」によりボツ。20年ぐらいしてからシングル群再発の際にめでたく発売され、メンバーがパート・チェンジした「D'Ark en Ciel」によるカップリング曲がようやく陽の目を見た(ところで櫻澤って、現在は頭だけ大文字の「Sakura」になってるけど、当時は全部小文字の「sakura」じゃなかったっけ?)。
 GLAYは、タイアップをつかむのが上手かった。デビューからシングル曲のほぼ全曲がアニメなりCMなりドラマなりとTV媒体に起用されていたが、中でも「Yes, Summerdays」「グロリアス」がCMソングとして一般TV視聴者の耳に残り、そこから「BELOVED」がドラマ主題歌となって80万枚を越えるビッグ・ヒット。やがて「HOWEVER」がじわじわと売れていたところに、またドラマのエンディングテーマに起用されて大爆発。そうしてくだんの『Review』である。売れに売れ、中古に流れても売れた。回収騒動があったBUCK-TICKの『Six/Nine』初回盤を仕方なく中古CDで探していたB-Tファンが、見つけたと思って引き抜いた青いプラケがことごとくGLAYの『Review』だったという話も聞く。
 どちらも「売れてアルバム2枚」「売れてベスト」とタイミングを逃さなかった。それができるキャリアもあったし、作品クオリティもあった。イキッてるだけじゃなかった。
 そして何より、どちらのバンドもそこで「脱・V系」をやってのけた。
 ステップ・アップに成功したのだ。村から都会へ抜け出ることに成功したのだ。そうしてV系信者たちに「今さら何言ってんの」と鼻で笑われたラルクの「俺たちヴィジュアル系じゃありません事件」も、実は功を奏して一般層へ溶け込んでいく。つまりは「決別宣言」だったのだ、あれは。V系村への。その間、スプーンで牢獄の壁を掘るがごとく地道にこっそり脱出に成功していたGLAYは実に世渡り上手である。

 次に黒夢。これは別項ですでに詳しく書いているけど、端的に言えば売れた「BEAMS」をきっかけに「パンクにシフト・チェンジ」していったのが成功した。そうしてV系無関係で「男だけでライヴができる」という快挙をV系村に見せつけてやったのはそちらに記した通り。なので割愛しちゃうよ。
 では同時期のLUNA SEAはどうか。間違いなく「ROSIER」のヒットで地上に姿を見せた彼らだったが、その明るい地上でウケたのは「真矢のキャラとベシャリ」だった。これは『HEY! HEY! HEY!』でどんなにスカした野郎さえイジッてくれたダウンタウンさまさまである。ちょい太ってきた真矢をストレートに「ブーちゃん」呼ばわりだもの。
 しかもその後、インディーズ時代はトゲのような髪型だったヴォーカルのRYUICHIが「カジュアルなお兄さん(一応化粧はしている)」としてポップス畑で大ヒット。これには「実はバンドというより歌手がやりたかったのか」と納得したような驚いたような。しかも作品にSOFT BALLETの藤井麻輝がちょこっとだけ関わっているのはさらにビックリだったが。あの機械しか愛せない坊主が、ポップスに。
 そしてLUNA SEAとして再集結する頃には、河村隆一として「歌のお兄さん」でヒットした甲斐もあってリスナー層を拡大。一気にスタジアム級のバンドに成長していた。各人としても真矢はベシャリが上達し、Jは限界まで男臭く進化。SUGIZOは麗人に磨きを重ねたあげくXに加入「させられた」。あ、相変わらずINORANは髪を切っても地味でしたが。
 ここも「ヒットしたのをきっかけに」動いてるんだよねぇ。そして成功している。ともにピークのまま活動停止したけど、すでに「もとV系」と呼んでも差し支えなかった。

 では次世代はどうか?
 前述の先輩たちが築いてくれた土壌のおかげで、後輩たちは仕事がとてもやりやすくなっていた。何せ今までは「V系村」だけでしか評価されなかったのに、明るい地上でも自分たちを見てくれる時代になったのだから!
 SIAM SHADEはラルクに続き『るろうに剣心』のおかげでヒットし、バンド名よりも「1/3の純情な感情」という曲名で有名になった。
 FANATIC◇CRISISは世間にメンバーの名前を誰ひとり知られていなくても「火の鳥」がヒットした。V系村では若くて時代の寵児のような扱いだったんだけどねぇ、石月努。
 La'cryma Christiも「南国」がヒット。露出が増えてからヴォーカルのTAKAよりドラムのLEVINのほうが人気となり、ラルクのhydeと同じく「小さくてカワイイ」とまで言われてしまった。
 その他にも「街」が小ヒットしたSOPHIAや、V系村にくくられることが多かったCASCADEなども含め、人気のあるバンドは少なからず「1曲ヒット」を飛ばしている。
 その代表格が、SHAZNA。あとから思えば、SHAZNAの「Melty Love」「すみれSeptember Love」と輪をかけたヒットによる「V系のポップス化」は、その時代にあった「最後のチャンス」だった。ここで一気に大きくポップスに寄ったり、シュト・チェンジがうまければ生き残れたはず。そうやってきたのが、道を切り拓いた先輩たちの方法論だった。
 だがしかし、ここまで名を挙げたバンドは先輩たちのように「大きく音楽性や方向性を変える」ことはしなかった。
 よく言えば「既存のファンを大切にする」。悪く言えば「現状維持」。まぁそりゃそうだ。先輩たちは方向転換して成功したけど、その結果として活動停止してるバンドも少なくないしね。せっかく成功しかけているのに、逆に失敗したら大変だし。まーね。
 そうして彼らの大半は「細々と活動を続け、やがてしゅるしゅると消滅」していった。V系というだけで注目してもらえる時代が、終わってしまったのだ。その後、自分たちもファンも落ち着いた年代になったら再結成するのは先輩たちと同じだけど。
 そのためさらに下の世代、わかりやすい例ではペニシリンが「ロマンス」を大ヒットさせたのに「売れなくなるのが怖いからファンを囲って音楽性を大きく変えない」という法則にのっとり、V系村を細々と引き継いでいくことになる。なので前述の「SIAM SHADEというより1/3の純情な感情」のごとく「ペニシリンというよりセクシーコマンドーマサルさん」という形で、時代の記憶に残っていく。
 Janne Da ArcやDir en Greyなどの「V系村なぞ関係ない猛者たち」も増えてきたし、あげくゴールデンボンバーなんていう「V系を騙ったエアバンド」が登場し、V系そのものを諧謔的に嘲笑うようなスタンスでお茶の間まで大ウケ。こうなるとV系はもはや「昭和」という言葉と同じニュアンスである。
「V系のまま」でいるとずっとはうまくいかない、ということを、このあたりの世代そのものが示してしまった。うーむ。
 あ、ちゃんといろんな挑戦なり何なりしているのはわかってますよ。端的に言ってるだけですから、悪しからず。

 ただひとり、そのあたりの世代で、他とは違った形で成功した人物がひとりだけいる。
 それはMALICE MIZERの2代めヴォーカル、Gackt。あ、GACKTでもガクトでもなくこれで書きます。
 今や金持ちかつ「毎年正月に浜ちゃんの番組で全問正解するがっくん」として有名な、埼玉解放戦線のリーダーである。だいぶおかしいぞ表現。
 当時はマニアックな人気しかない「ヴィジュアル系に毛が生えた表現バンド」だったマリスを、がっくんの歌唱力と表現力が「舞台的かつ歌劇的でドラマティック、時にプログレッシヴ・ロックのジェネシスと比較される玄人好みのバンド」に変貌させた。いやもともとリーダーのMana様が趣味でやってることだから昔から変わっていないのだが、がっくんが具体化させて一気に注目されていったのは事実。
 順風満帆だったかのように見えたマリスも内部問題が多く、がっくんはモメて「脱走」。以後は実力があるためソロでも成功し、ルックスから俳優、キャラクターからバラエティ番組でも活躍。なんとV系村から「タレント(芸能人)」が輩出されたのだよ。
 これは革命的だった。たとえば黒夢の清春をして「ファッションリーダー」という人がいたとしても、がっくんの知名度には敵わない。ラルクのhydeだってテレビに出ても「ラルクのヴォーカル」と言われるのに対し、Gacktは「あ、がっくん出てる」である。
 なので、もしかしてV系村出自で最も成功したのはGacktだったのではないか? なんて思ってしまう。それが純粋な音楽表現としての成功ではなくっても。
 ただ、がっくんのシフト・チェンジこそがV系最大の方向転換であり、最大の結果をもたらしたのは揺るぎない事実だろう。そしてそれも「もとV系」だった!

 こうなると、V系って何なのかわからなくなる。成功するための踏み台なのか、注目されるための手段なのか。
 けど時代が味方してV系が評価され、その後の音楽業界もシフト・チェンジしたのは事実。おかげで人生を賭けなくてもバンドは組みやすくなったし、どんな歌詞でもどんな曲でも表現しやすくなった。そりゃそうだウジウジして情けない男が振られただけのことも世界だ悪魔だ死だ破滅だ! などと誇張表現して楽曲レベルにまで仕上げていたんだもの、V系って(←極論)。
 その先に現在の「誰でも家で曲が作れて配信できる時代」があるわけで、その大きなスタート地点でもあるんじゃないかと思うのだよ、V系村ってば。

 ただ、正直に――
 ひとことで言えば、V系。それは「青春」かな。
 やってる人にとってもファンにとっても。ああこれ書きまくったソフバの総まとめと同じになっちゃうけどね。そしてそこに時代があった、というのは他のジャンルとも同じ。ただ当時は奇特に見られていただけで、現在から考えればお笑いのネタにも真剣な音楽のネタにもなる。
 いやー、今でも忘れられないネタがあるんですよ。『とぶくすり』だったかなぁ?
 よゐこの濱口が「ヨシキ」という白塗り金髪のキャラで登場して、紛れもなくYOSHIKIっぽく振る舞って、いちいち聞かれたことにボソッとつぶやくネタ。
「どっから来たんや」
 と聞かれて返すのが、
「……ソドムの街」
 ってのが忘れられない。いつまでも。これが「世間のV系への目」だったのだよ。いやー可笑しい。
 と思えばさすが令和。YouTubeにありましたわ。
   ↓
「1993 下校のくすり」

 まったくもって、時代も含めてV系は青春である。むしろ書いてる自分の、だが。
 なお、簡潔にまとめられた「V系史」が以下にあったので、こちらも勝手ながら参考にしていただけると今回の内容がわかるかと思う。ていうか参考にしました。わたしが。
   ↓
「初心者向け歴史講座!簡易版90年代ヴィジュアル系年表」

 やっぱみんな、2000年には「V系は終わった」と感じてるんだねぇ……しみじみ。

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