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俯瞰する牛――星野英彦というスタイル

 星野英彦。素敵な名前だよね。ロマンスの主人公みたいだよね。
 しかしその実、彼が髭の剃り跡が濃くて四角い顔をしたBUCK-TICKのギタリストであることを知っているのは、ファンまたはそれに近しい人ぐらいだろう。これはバンドの宿命で、中心人物やキャラが目立つ人物の認知は高い。しかしドラムやベースといった「屋台骨」はとかく名前が知られず、メディアにも「バンド代表として」出ることもない。樋口兄弟は広報役として出ることもあるのに。
 バンド全体を「調和させる音」担当に徹するがゆえ、星野は目立たない。結成時「バンドといえばギターだから」と希望した楽器を持ったのに。得てして不憫である。が、本人はきっとそうでもない。
 たとえばLUNA SEAで言うとドラムなのに真矢が目立って、常に隅っこだったINORANに近い。いやSUGIZOもテレビなどでは充分隅っこだったけども。Xで言うとPATAか。いやPATAはキャラが濃い。あと顔も。そこへ星野は塩顔で影も薄い。一緒にライヴを見た僕の奥さんが最後にメンバー5人揃ったところで「あの人いた? えっ、ギターって2人なの?」と言ったぐらいだ。ごめんヒデ。
 というように、どうしてもB-Tでは今井寿の存在感が強すぎる。ギターというパートにとっては。大多数の作曲を手がけ、常識的ではないフレーズや展開を駆使。メイクやステージのパフォーマンスでも常に目立つ。ヴォーカルの櫻井敦司と2枚看板、それこそがどうしてもBUCK-TICKのパブリック・イメージではなかろうか。
 ところが、である。
 30年来のファンである自分が言うのも難だが、櫻井敦司逝去に際して「せめて四十九日までは」とBUCK-TICKしか聴けない体になってしまい、聴けば聴くほど星野の重要さが身に染みた。今さらでゴメンよ、ヒデ。
 というのも、実は今井ってばライヴ映像を見ればよくわかるのだけど、印象的なフレーズなどは一手に引き受けているが、その実「リフとかリズムとか曲の根幹を成す部分」についてはほぼ弾いていない。そう思って今までの曲を聴くと、総じて基本的にメロディとコード、あとギター・シンセにテルミンなど、ほとんど飛び道具状態。つまりは「BUCK-TICK楽曲の印象=今井寿」であることは間違いないのだけど、それって「星野のギターがあったうえで」だったのだ。
 各人のソロ期間、今井主導のLucyに薄々感じてはいたが、今井は「王道の楽曲が弾けない」。つまりはブルースやロックンロールが。それは本人も自覚してるし周囲も言及していて、「今井は邪道、ヒデは王道」とはドラムのアニイも言っている。なので楽曲「Climax Together」のエンディングにはびっくりしたものだ。まぁ今井はやはり「雰囲気」を弾いていたのだが。
 だからもしハイレゾの要領で5人の音を別々に聴ければ、今井だけならスッカスカなはずだ。転じて、実は「星野だけでも曲の雰囲気は成り立つ」ことがわかるだろう。たぶんだけど。
 そのぐらいヒデは、リズム・ギター以上にリフ・ギター、王道のスタイルでもって邪道なBUCK-TICKを成立させるために各人を「中和」させる存在なのだ。飛び出しナイフみたいな今井が好き勝手できるのも、櫻井が伸びやかに歌えるのも、星野の地盤があってこそ。すべては淡々と同じリフを正確に弾ける「職人」いてこそ、だよ。ってまるでベースの役目だけど、それ。
「どんなライヴも、あっちゃんと今井が走っても、ヒデとユータが冷静なら何とかなる」(ヤガミ)
 あぁ、やはり(楽曲としての)ベースなんですね。ベースの樋口豊は小さくてカワイイと人気ですが。
 
 さて。
 ここで初期から、BUCK-TICKを振り返ってみる。その中で星野が、どうしていたか。どういう立ち位置だったか。実はそれを見ることで全体を俯瞰できると思う気がして。この文章のタイトルは決して後付けではないんですよ。むしろ先行なんですよ。
 スターリンのコピー・バンド「非難GO-GO」から脱却して「BUCK-TICK」に改名し、ヴォーカルのアラキ脱退により、今井は新しいヴォーカリストを外部から探そうとしたという。結果的に当時はドラムだった櫻井が熱いアピールによりヴォーカルに転向、ドラムにアニイを呼んで再編成することになったのは周知の事実。
 しかし一時期、星野をヴォーカルに立てる案もあったという。そりゃ身長も高いから映えるしコーラスもするから多少歌えるし、顔つきが何より「昭和のハンサム」だものね。そもそもユータは当初、星野をヴォーカルにしたくてバンドに誘ったはずだ。
 しかし無理なのだ、星野には。
 初めてのレコード『HURRY UP MODE』のジャケット撮影で、なぜか「牛柄のブルゾン」を選ぶ星野が、刺繍入りで真っ白な特攻服を特注した櫻井敦司に勝てるわけがない。そうだろう?
「なぜその服を選んだ?」というのは、再発『HURRY UP MODE』のブックレット写真を見たほぼ全員が思ったはずだ。きっと。
 きっとその時から、星野の「俯瞰する牛」のスタイルが始まっていたのだ。特に苦悩することもなく。
 
 初期の星野は、とにかく「曲の埋め合わせ」状態だった。チャカチャカ鳴ってるサイド・ギター専門で、特に目立った印象もなし。それこそ「ギターを弾いているベーシスト」みたいなものだった。その実聴き返せば重要なのは、この頃から同じなんですけどね。それ以上に今井のインパクトが強かった。
 そこから突き抜ける最初のきっかけになったのが、インディーズ時代の楽曲「ROMANESQUE」のリメイク。ミニ・アルバムで発表されたその曲で、星野は初めてアコースティック・ギターのソロ・パートを請け負った。今まで「ソロといえば今井」だったところを、である。デビュー写真に牛柄のブルゾンを選んじゃう地味男にとって、なんという重責だろう。心中察するに余りある。
 そのソロ・パートは可もなく不可もなく、一部のファンから「伝説のアコギ・ソロ」と呼ばれるぐらい「フツー」だった。それだけ「今井以外」への期待値が高かったということなのだよね。しかも続けて今井がエレキでソロをすらすら弾いてしまうし。
 しかし、ここでくじけないのが星野のすごいところ。それこそ牛のように気にしない。
 これをきっかけに、自然と「アコギはヒデ」になった。『TABOO』の「SILENT NIGHT」でその基盤を確立し、「ANGELIC CONVERSATION」で具象化、やがて『狂った太陽』の「JUPITER」にて花開く。以後、まるで「三つ子の魂百まで」かのごとく、普段はリフ職人なのに「星野=アコギ主体」というイメージを定着させるのに成功した。地味にすげえじゃん。
 その『TABOO』の頃には立てていた髪が伸びて四散、まるで「カニ」みたいになってしまった星野だが、ここでBUCK-TICKに「今井寿の逮捕」という試練が訪れる。土曜の8時54分あたりのニュースで流れてびっくりしたよ当時。風呂上がりで。
 で、謹慎後に発表した『悪の華』。ここで復帰直後の今井の負担を減らそうと各人が作詞・作曲面でも積極的に参加したわけだけど、中でも星野は作曲とリード・ギターで貢献した。
 あの星野がリード・ギターですよ。ソロですよ。「DIZZY MOON」で前に出てソロを弾いてるんですよ。星野なのに。耳では意外と違和感がないのに、映像で見るとすっごく違和感がある。星野が前に出るのが。
 今までアルバムで1曲だけだった星野曲が『悪の華』ではいきなり3曲。がんばったねぇ、ヒデ。そのどれもが「シングルA面ではないが、B面やアルバム曲では充分」なもので、ここで星野の素質が開花したようにも感じる。いや実は重要なんだよ。展開のための穴埋め曲。いや本当に。
 しかし以後、ソロは作曲者関係なく今井になったことで星野も肩の荷が下りただろう。ちょっと無理したよね。
 そうして星野は修練を経て『狂った太陽』で「単純なカッティングからの脱却」に至った。全体の雰囲気を支配する、ギター・リフを一任される位置に立った。現在に続く「雰囲気リフ・ギタリスト」というBUCK-TICKならではの地位を確立したのだ。いや実際、このアルバムから星野がなかったらスカスカ極まりない。そのぐらいアルバムの根幹を成している。
 やがて『殺シノ調ベ』にて互いのレベル・アップを確認し、星野も「自分が求められている演奏」を繰り広げた。結果、今まで以上に「星野がいないと成り立たない」ということが認識された。いや少なくとも僕にとってはですけど。ジャケではマッド・サイエンティストみたいですけどね。
 ここで今井は全体をコントロールすることを学び、きっと星野の重要さを知ったのだと思う。だって「ORIENTAL LOVE STORY」のリメイクなんて、今井だけの音ならヒューヒュー言ってるだけだよ。ホントに。
 
 ここへ、大きな転機。髪を切ってオバサマみたいになった星野は『darker than darkness』にて習って1年のキーボードを自分の楽器に見出した。
 そこで名曲「ドレス」が誕生したわけだけども、今井は星野がキーボードを担当することに懐疑的だったという。自分のギター相棒がいなくなるんだもんねぇ。やっぱ「ギターとギター」「ギターと鍵盤」って絡みが全然違うし。ギター・シンセ使ってる今井が言うなという感じもするけど。そうしたサウンドの立ち位置への懸念か?
「これからはライヴでも、ギターとキーボード半々でやれればいいと思う」
 と星野は語ったが、現在ネット視聴できる動画でも当時はけっこうボロボロな演奏が目立つ。中でも伝説的な「ズダボロ青の世界」はテンポどころかタイミングから全部がズダボロだった。リップ・シンクのテレビではごまかせるけど、生演奏では目立ってしまうのでストップかかっても不思議ではなかったぐらい。この時期のライヴが映像化していないのはそのせい……ではないよね、さすがに。契約の都合上だよね。しかしやはり、ギターと鍵盤は別物なのだ。弦楽器と打楽器だし。
 一応はアルバム3作ほど鍵盤を担当したが、それ以後はやめている。相当悩んでいたらしいが、決めたら潔い。そのおかげでヌルリと前の体制で復活したところが、BUCK-TICKならではの「いい意味での付和雷同」なのだと思う。
 だがその3枚、『darker than darkness』『six/nine』『COSMOS』の仕上がりは尋常でなく濃密で、試行錯誤と変遷する作風と手法が入り混じった、段違いに作り込みが深い時期だった。古くからのファンでも、この時期が最も好きという人も多い。現にわたしもそうです。ええ。その一端は星野の鍵盤だったと思うと、貢献度は実に高い。
 そんな中、星野はスタンダードな弾き方の中に「変態的な曲の才能」を発揮する。「愛しのロック・スター」「IN」「BLACK CHERRY」「CREAM SODA」など。他にも「SURVIVAL DANCE」「ダンス天国」などなど、つまりは「ロックンロールではない怪しげなミドル・テンポ曲」を武器とすることができた。もともとロックンロールではないBUCK-TICKに、それっぽいのにそうではない曲調。今では「スキマ産業」の確信犯だと思う。
 その一方で「アコギ職人」としての腕は磨き、シングル向けの曲は得意でないものの「JUPITER」の方法論でもって「ドレス」「ミウ」「幻想の花」と立て続けにバラード・シングルを多発。これは「飛び道具・今井」にはできないことである。
 メンバー各人がソロ活動に転じた時期でも、ヒデは「自分はメインではない」を貫いた。初ソロ曲の「Jarring Voice」がフツーすぎてトラウマになっているのではないだろうと思うけども。本格的なソロ、dropzでも自分は歌わず、ギターで泣かせるのでもなく打ち込みで踊らせようとした。そこは素直になってもいいんだけども。
 
 そうして気づけば髪型も自然体になった星野は、実はBUCK-TICKの重要な部分を担ってきた。聴いている側からすると「無意識側の部分」を一手に引き受け、今井の変態性を際立てる役目を担った。同じギタリストなのに、こうも違う。それが同居するのが、BUCK-TICKのすごさでもある。
 で、なんと「各アルバムのカラー」って、実はイコール「星野の音色」だったりする。最もよくわかるのが『極東I LOVE YOU』と『Mona Lisa OVERDRIVE』の差。ファンには有名な同時期に進行した双子アルバムなのに、まったく音色や雰囲気が違う。音色が隅々まで優しい前者と、どこまでも暴虐な後者。その雰囲気を全体的に作っているのが、実は星野のギター・サウンドだったりする。
 たとえば今井はメロディの天才だけど、音色は「けっこう似たり寄ったり」。特にライヴの音やパフォーマンスなど、初期からそんなに変わっていなかったりする。
 転じて、星野の音は明らかに「アルバムごとに大きく違う」。あるいは楽曲ごとに。だからこそライヴでも、アルバム同様の音が再現できるわけだ。そこへ今井のアドリブが乗って。
 まるで「BUCK-TICKのおっかさん」ではないか。さながらヤガミがドスンとした親父で、あとは3兄弟。彼らが物思いにふけることも、自由奔放に動き回るのも、おっかさんと親父あってこそ。ユータはその家族をつないでは隙間を埋める「気が利くよくできた末っ子」だ。
 かくもまるでベーシストのようなギタリストだが、とうとうアッパーな星野曲がシングルに採用された。BUCK-TICK、というより櫻井敦司が何度も作詞モチーフに用いてきた「イカロス」、それを前面に打ち出した「太陽とイカロス」が。
 星野初の、アッパーな曲のシングルだった。テレビではその後に発売された「無限LOOP」を演奏していたが、この曲こそ演ってほしかった。だって純粋にクオリティ高いもの。「NEW WORLD」の路線を継承しつつも。
 そんな曲をドロップできたのも、常に「俯瞰していた」星野ならではあったはずだ。バンド全体を見つめ、必要性を感じ取って供給し、時には牛のように、じっとして。
 それなのに
 それなのに
 
 まさか、そこで夢が途切れるなんて……。
 
 星野も、無念だろう。きっとこれから、今まで以上にBUCK-TICKで存在感を誇示できて、今まで以上に必要とされたはずだ。「ヒデのシングル曲はアコースティックもいいけどアッパーな曲もいいね!」とあっちゃんに言ってもらえるような未来が、そこにはあったはずだ。
 それぐらい「太陽とイカロス」は素敵だった。アルバム収録で別ヴァージョンになっていない時点で、バンドにとっては「まだまだこれから」の可能性提示曲なのかとは思うけども。
 しかし何より、櫻井敦司は絶対的存在だった。今井寿はその代弁者だった。だがそれは、星野のギターあってこそ。リズム隊は別枠として、星野の存在も特別枠にあるはず。櫻井敦司ソロ『愛の惑星』を聴き直して感じるのは、飛び道具の今井不在よりも「堅実な星野不在」だった。役目を果たすべくそこにいるセッション・ミュージシャンではなく、バンド全体を俯瞰し、必要な音で全体を包み込む、星野が。
 気づかなかった? あまりに自然体だからね。
 じゃあ、聴いてみようよ。もう一度。いや何度でも。
 BUCK-TICKは、聴けば聴くほど気づかされるんだよ……!
 
 櫻井敦司の四十九日に、この文章を捧げます。
 ヒデ、牛のように強くじっと我慢強く俯瞰してくれて、いつもありがとう。

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