ツールに操作されるアイデンティティ(メモ)

①「自分の思っていること」を表現するのは難しく、ある程度の技術があればその程度に依ってその意識的なものを敷衍して表現することはできても、頭の中で思っていることとは違う、っていうのはよくあると思う。
②そこで言うところの「考えたこと」的なものを表現する程度にも難しいものがあり、作業の過程である種の脱線が起こっていく的な、インプロビゼーションのようなものが実際の作品的なものの面白さになったりするので、結局は作品をコントロールしようしすぎてしまうと面白くないこともあるよな、と思う。
③何が言いたいかと言うと、「ツールに描かされている」あるいは「ツールの大きさに自分の方法を合わせる」的なことは画一化された「それっぽさ」に繋がるんだけど、本当の表現はそういうことじゃない、っていうことを建築の本で読んで、それをぼんやり思い出したと言うことです。
④それと、今の若い人っていうのは、思った以上にPCを「便利ツール」的に使いたがるんだなっていうのを感じた。具体的にはGoogleで画像検索をして切り貼りして加工ソフトで色調や表現方法をいじれば何となく「それっぽく」見えると言うこと、
⑤少し前にイラストレーターさんが描いた絵を加工する「加工屋」という人がツイッターで話題になっていたけど、写真を元に水彩画っぽい絵をかけるツールもあるし、格段に「それっぽさ」は手に入りやすくなったんだけど、それは飽く迄ツールのそれっぽさであって、
⑥表現かと言えばそうではない(一概に「そうではない」とも言えないとはいえ)んだけど、表現方法としてのコラージュではなく、コラージュが表現方法になっているような、何と言うか、何者かの皮を借りて自分の表層をなぞろうとする、それが断定を避ける「ゆとり」世代的なものなのかな、と思ったのです。
⑦何だかそれは自分自身は何者か的な、思ったよりも現代的な明大だなって思ったのでした。ツールの存在が個々人の進歩を妨げている。けれど、ツールの存在は作業の効率化をはかるわけで、簡略化されるのもが良いのか悪いのか、何とも言えないんだな。

16/04.18 @clairminnows ツイッターのメモ

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