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対岸、超越、外部(フリードリヒ・ニーチェについて)

フリードリヒ・ニーチェは1844 年のドイツはライプツィヒのリュッケンにある、比較的裕福なポーランド系の家庭で生まれた思想家である。1900年に亡くなるまでに記された彼の著書は過激な社会風刺を含み、出版時にセンセーションを巻き起こしたが後世に至るまでに多大な影響を及ぼした。

ナチス・ドイツ時代にナチスによる彼の思想の引用があって以来少し影を潜めていたが、近現代になって彼の思想は再び評価され、社会的な革命の中枢、特にポストモダン系のハイデカーやバタイユ、ドゥルーズなどに影響を与えたと言われている。

なお、彼が生きていた当時のドイツの情勢としてはドイツ帝国の繁栄にともなうドイツ人的な民族的な感情の高まっていたことがあり、思想面でもドイツ人的な側面を打ち出したものが隆盛していたが、この辺りの考え方にニーチェは影響を受けていたと思われる。(ニーチェは“川の向こうのルール”などの例を持ち出してそれらを批判しているが、これについては後述する。)

牧師の父親を持つニーチェはキリスト教的な文化に幼少期から多く触れてきた。彼はボン大学で神学と文献学を学んだ後にライプツィヒ大学で哲学を学ぶかたわら、ショーペンハウアー、ワーグナーとの親交を深め、ショーペンハウアーの著書『意志と表象としての世界』に接し、

絵画、彫刻的(=形のある)芸術、或いは非形象的である(=形のない)音楽的芸術両者の統一をはかるものとしての思想を見出し、『悲劇の誕生』を書き上げ、大学で教鞭をとる傍ら、自身の著書でキリスト教的規範に則ったヨーロッパ的文化に対する懐疑やそれらの「外」で生きることについてなどを語った。

ニーチェはキリスト教的規範の逸脱からドイツ帝国のあり方、ひいては「社会」全体のあり方についての再検証を訴え“不自由な精神によって国家や社会の秩序が維持されている”としたが、その根拠としては、

・それが英国的であるのは英国を選んだからではない。それはキリスト教と英国的あり方を目の前に見出し、根拠なしにこれを受け入れたのである。
・後になって、自分がキリスト者で英国人であったとき、自分の順応のためにいくつかの根拠を見つけたのだろう。

などが挙げられる。

『ツァルトゥストラはかく語りき』にてニーチェはペルシャの宗教であるゾロアスター(=ツァルトゥストラ)教をタイトルに持ち出したが、この辺りからも感じられるキリスト教批判はともかくとして、

彼はその中でいわゆる「一般」的な人間と「超人」とを区別していた(知識や外的な刺戟に対して受動的な一般的な民衆に対置するものとしての、能動的な「超人」の意でもある)。このようにニーチェは幾つかの著書で“ツァルトゥストラ”(=神は死んだの意)的考え方を引用し、

キリスト教徒によるヨーロッパのキリスト教的な文化の排除を試み、これによって民衆の「超人」化の啓蒙をはかろうとしたと思われる。

また、そうした著書の中で登場する引用にはツァルトゥストラが市場を訪れる場面があり、サーカスの綱渡りを見ていた彼はサーカスの綱渡りの役者の墜落を目にし、人々が見守る中、墜落した役者を抱えて市場をあとにするという一節が記されているが、これは明確に市場(=マーケット)からの脱却、つまり拝金主義からの脱却をはかることのメタファーであり、さらに言えば拝金主義的なものの考え方を物事の本質を見逃してしまう人々に投影し、それ対する明らかなアゲインストを提示しているともいえる。この辺りは後のマルクス〜社会主義的思想に対する影響も窺える。

さらにこうした「(遠くから、)見る」という行為についてはニーチェが提示するもう一つの側面であり、それは自分自身と距離を置いて見ることによって物事の本質に近付くという彼自身の思想体系に根ざしている。

また、物事を「笑(嗤)う」という行為性についても同じようなことがいえる。(事実としてニーチェは対象物についての侮蔑や嘲笑的な表現を頻出する。)ニーチェが“川の向こうのルールは、川の向こうを越えた場所では通用しない”として当時流行していたドイツ国民的な考え方をきらったのもその影響であり、

そこにあるのは物事の「正しい」在り方を見極めるという明確なねらいと、「自分自身」の意見を持たない「一般」的な人間との差別化をはかることによって対岸に「超人」の輪郭を書き出すための意図があったと思われる。

ニーチェの時代には大きなパラダイムシフトが幾つかあって、その中の一つにダーウィンが著した『種の起源』の中に登場する進化論があるが、これは元々フィンチの研究をした過程でダーウィンが見つけた淘汰と環境の条件による任意の種の進化についてを表すものだったが、

これは後に「社会的ダーウィニズム」に転向し、この思想下では優秀な「人種」と劣った「人種」は区別され、ニーチェも道徳感について優越性の感情から生じる支配者(主人)道徳と、キリスト教的なルサンチマンに根ざす奴隷的道徳とに区別されるとした。

奴隷的道徳とは本質的に功利主義であり、有用性を善悪の基準とする考え方のことを指す。

ニーチェの場合はキリスト教的な文化の批判のために持ち出したものだったが、反して社会的ダーウィニズムは政治的淘汰やナチズムの思想的基盤となった。さておき、ニーチェは“死後の世界のことを話す人間(=宗教の伝道師)を信じてはならない”(=「大地」に忠実であれ)とし、キリスト教的弱者のルサンチマンを脱却したものが「永劫回帰」する「超人」であり、強者であるとした。


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