『パパラギ』酋長ツイアビの西欧文明へのまなざし
ドイツ人画家兼作家のエーリッヒ・ショイルマンによる『パパラギ』。西サモアのウポル島の酋長ツイアビが先入観の無い視点で初めて触れた西欧文明について演説した内容をまとめたとされている。
・・・されているんですが、読了後に調べてみると「実際はショイルマンの手によるフィクション(偽書)」、とのこと❗でなんだかこちら側も興味深い。
Wikiによると
近年の研究により、ツイアビは現地語で「酋長」を意味する言葉であり、本書でツイアビとされている人物はアガエセ(Agaese)という名のドイツ軍の軍属で、ヨーロッパを訪問したこともなかったことなどが分かっている。しかし、ドイツ及び日本での出版時にはフィクションとの断り書きがなかったので、真実だと取り違えている人も多い
とのことでなぜこの2カ国語だけフィクションの表記が無かったのかは不明ですが、中身も全部フィクションなのかなぁ、、結構面白い内容だったんで少しまとめたんですけどね。
1)モノの名称
家に出入りする場所を出る時には「出口」と、入る時には「入口」と呼ぶことに僕たちは何の違和感も無いが、ツイアビからすると同じものに二つの異なる名前がついていることに不自然さを感じるらしい。
ひとつの物なのに行為や文脈によっっていくつもの名前を持っているもの。
考えてみたら僕たちの身の回りには複数の名前が構造的に折り畳まれて、ひとつのオブジェクトにまとまって与えられているものとか増えた気もする。
パソコンとかスマホとか、見たことの無い人からしたら操作や前後の文脈によって名称(機能)が変わるのって大きな違和感なのかな。知らんけど。
2)所有のことば
彼らの言葉に「ラウ」というものがある。これは「私の」という意味であり、同時に「おまえの」という意味でもある、らしい。全ての物は(彼らが信仰する)神様のものであり、人間が自分の所有権を主張するのは愚かだ、みたいな考え方。
神のたくさんの手は、全ての人間に向かって伸びており、だれかひとりが他のものとは不釣り合いにたくさんの物を持つのは、決して神の心ではない。
とか、いい考え方のひとつだと思うんですけどね、創作なんですね・・・
僕たちが普段当たり前に思っていること、常識だと考えていることの視野がいかに狭いかを突きつけられます。
まぁ仮にフィクションだとしても、こうしたコロナのような危機的な状況の中読んで、自分の価値観に向き合う機会になるのはいいなと思いました。