「動画を送ります」
よっぽどのことがない限り、バレエのレッスンは休みたくない。
だが、以前は風邪気味でもレッスンに行くと治っていたのに、この頃は悪化するようになってきた。
これが年を取るということなのか、と50代になったばかりの晴美は思う。
寒気がする。やっぱり休んだ方が良さそうだ。
ただ、今日から踊りの振りに入るわよ、と茜先生が言っていたことが気がかりだ。
白鳥の湖第3幕「花嫁候補たちの踊り」が今度の発表会の演目だ。
そうだ、動画を送ってもらえばいい。
それを見て次回のレッスンまでに覚えれば、仲間にも迷惑をかけずに済むだろう。
近年は各自スマホで動画を撮り、振り覚えに活用している。先生も公認。便利になったものだ。
「風邪引いちゃって休みます。後で動画送ってもらえる?」
LINEを送った相手は芽衣子さんだ。
彼女は、大人クラスの学級委員長的存在。
きちんと結ったシニヨンを見ればその几帳面さがわかる。
撮り損なうこともないだろう。
すぐに返事が来た。
「了解です。お大事に」
その晩9時半頃、もう早めに休もうと思っているとLINEの着信音がした。
芽衣子さんからだ。
トーク画面を開くと、妙なものが表示されている。
「え?」
踊りじゃない。芽衣子さんの顔のアップのようだ。
よくわからないまま、タップする。再生。
ベッドに横たわった芽衣子さんの首から上が映っている。
乱れた髪が頬に貼り付いている。
芽衣子さんが揺れてイヤイヤするように頭を左右に振っている。
眉間に皺をよせ、切ない喘ぎ声を上げている。
晴美は息をするのも忘れていた。
何やらウィンウィンというような振動音。
芽衣子さんは、次第に顔を紅潮させ、
甲高い悲鳴を上げ、そして、おとなしくなった。
……これって……。
また、LINEの着信音が鳴った。
「間違えました。さっきのは消去してください」
連続して、
「お願い。晴美さんを信じています」
そして、今度こそ、踊りの動画が送られてきた。
晴美は、それを再生する。
大人クラスのレッスンメイト6人が、茜先生から「花嫁候補たちの踊り」の振りの指導を受けている動画だ。
芽衣子さんは間違えてしまった。
あの几帳面な芽衣子さんが。
あの動画は別の誰かに送るつもりだったのだろう。
いったい誰に?
芽衣子さんのご主人は、どこかに単身赴任していると聞いた。
ご主人に? それとも……。
晴美は、自分の風邪のことも忘れてしまった。
衝撃が強すぎる。
……でも、やるじゃない。芽衣子さん。
晴美は踊りの動画を止め、最初に送られた動画をもう一度タップした。
《終わり》