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健常者と障害者
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「どもどもー」
「あっ、いらしゃい!」
「今、障害の人をちゃんと案内してて偉いじゃない」
「笑 いやぁ〜、よく来て頂いてるんですよ。
コーヒー美味しいって言ってくれて」
「そう。それは良かったね」
「うちはこんな古い建物だから、
バリアフリーになってなくて申し訳ないんですが、
いざやるとなると費用もかかるし難しいんですよね」
「でもそれを考えてるってことは大事じゃないかな〜。
僕は前に介護の仕事も覚えたくて、
障害者サポートの講習を受けたりしたことがあるのね。
実際に服を着替えさせたり、車椅子押してみたりさ。
ところが道路なんか出てみると、
それはそれは整備されてないところもたくさんあってものすごく大変だった。
日本は点字ブロックとかも海外のそれと比べると
ちゃんとしてるっていうけど、実感としてはまだまだだな」
「そう思います。さっきのお客さんみたいに目が不自由な人が
外を安全に歩けるかっていうと、首傾げちゃいます」
「うん。それでも杖をつきながら頑張って外出してるよね。
その勇気には尊敬しかない」
「えぇ。日本人はシャイだって言いますけど、優しい人が多いから、
その分ではまだいいのかな?とは思いますけど」
「そうだな。それとさ、前にね、やっぱり目の障害がある人が、
テレビで平等を訴えてたのね。
障害者っていう目で見ないで欲しい、かわいそうだって思わないで欲しい、
健常者と同じように扱って欲しいってさ。
でも僕はそれには異論があるんだ。
障害のある人がそれを言っちゃうと声をかけてあげにくくなっちゃうんだよ」
「あぁ、わかります、わかります。
声をかけること自体が差別してるふうに、哀れんでるふうにって
考えてしまうんですよ」
「そうなんだ。 ほら、電車でさ、
席を譲ろうとする時に、例えば高齢者とか、妊婦さんとかにね。
僕も言われたことがあるんだけど、年寄り扱いせんでくれって言われたり、
失礼ね、私妊娠なんてしてません!って言われたり 笑
良かれと思ってしたことでも、
それが必ずしも相手に喜ばれるとは限らないだろ?」
「笑 そうですね〜。そうなると触らぬ神に。。
になってしまう。声、かけにくくなりますね」
「だろ?障害のある人を健常者と同じように扱えってことは、
サポートだって拒否してるように思えてしまう。
かわいそう、困ってそうって思わないで欲しいって、
障害のある人が言ってしまうと、
こちらとしてもサポートすることを控えるようになってしまうと思うんだ」
「僕の友人にも目に障害のある人がいるんだけど、その人は話していたよ。
もっとかわいそう、困ってそうって思って欲しいって。
そうでなければ目に障害のある人は外出すら出来なくなるって。
障害者差別には反対だけど、
自分は障害者なんだって考えてもらうことに何の異議もないって。
自分たちは健常者のサポートがあって初めて色々なことにも挑戦できる。
それを差別だなんて思わないし、
サポートしてもらうことに屈辱なんて感じるどころか感謝しかないって」
「それでいいのかもしれませんね。
サポートする側としても、それをしてやってる、
かわいそうなやつだ、なんて思いながらしてる訳じゃないですからね。
特別なことをしてるなんて思わない。
日本人は特に小さい頃からそうやって育ちますから。
困ってる人を助けることなんて当たり前のことなんですもん」
「差別は絶対いけないよ。でも区別はあっていい。
男女でもそうじゃないか。差別なんてあってはならないけど、
区別は断然たる事実としてある訳でしょ」
「そういう意味で平等なんですよね、区別は差別にはならない」
「そうなんだ。身体だけじゃなくて、
この世界には同じ人なんて一人としていないんだから、
そういう意味で区別こそ個性であり、その人を表すアイデンティティでもある。
障害のある人はもっと障害があるってことをアピールするくらいでいいと思う。
隠したり、卑下するんじゃなくてさ。
そうしてこそ本当の意味で障害が個性やアドバンテージにすらなるんだ」
「日本なら出来ますね!」
「あぁ。100%ね。それが日本人ってものだもの」
「はい。コーヒー入りましたよ」