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「多言語と共に生きる:文化、情報、そして未来への扉」

私の言語と文化の旅

私は、日本語を第一言語、英語を第二言語、インドネシア語を第三言語として話します。5歳まで日本に住み、その後英語圏に移住しました。幸い、本を読むのが好きだったおかげで、12歳で日本に戻ったときも日本語に苦労することはありませんでした。


言葉は文化そのもの

言語にはそれぞれの文化が反映されています。不思議なことに、私は話す言語によって性格や考え方が変わるのを感じます。

  • 日本語を話すとき:自己主張を控えめにし、多様で繊細な意味を含めた慎重な表現を心がけます。

  • 英語を話すとき:あまり深く考えず、思ったことをそのまま口に出すことが多いです。

  • インドネシア語を話すとき:気軽な雰囲気になり、冗談や軽い会話が増えます。

こうした言語の違いは、私の中で3つの文化が混ざり合い、私という人間を形作っています。それぞれの文化の良いところを選び取り、自分の価値観に取り入れているのだと思います。


多言語がもたらす情報量の違い

多言語を理解できることで、得られる情報量は格段に増えます。これは、私がバリ島に移住した理由のひとつである東日本大震災の経験からも実感しました。

震災当時、私は日本国内のニュースだけでなく海外のニュースも追い続けました。その中で、国内と海外の報道の仕方の違いに驚かされました。日本のニュースは、政府や経済への影響を考慮してか、原発事故の危険性を強調することはありませんでした。一方、海外ではより直接的な報道が多く、その温度差に衝撃を受けたのです。

これを機に、私はマスコミが政府の影響を受ける可能性があることを強く意識するようになりました。そして、多言語で情報を得る重要性を痛感しました。


言語が広げる視野

多言語を理解することは、単に情報量を増やすだけでなく、異なる視点を学ぶ機会でもあります。各国の言語で得られる情報を比較し、自分の頭で何が正しいのかを考えることができるのです。

日本では英語教育が行われていますが、多くの場合、実際のニュースや深い議論を理解するレベルには達しません。その結果、日本語だけで情報を得る人が多く、視点が限られてしまいます。だからこそ、多言語を学ぶことで視野を広げ、より柔軟な思考を持つことが重要だと感じています。


終わりに

言語を学ぶことは、新しい文化や価値観に触れる旅のようなものです。それは、自分自身を広げ、より豊かな人生を送るための手段です。

多言語を話せることは特別な才能ではありません。それぞれの言語が私を形作り、少しだけ自由にしてくれただけです。これからも言葉を通じて新しい世界とつながり続けたいと思います。そして、多くの人がその喜びを体験できるよう願っています。


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