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SHERLOCK最高傑作。Season 3 - 2「三の兆候」(シーズン全体のネタバレ有り)

 シャーロッキアン(コナン・ドイル作のホームズ物語を「正典(カノン)」として、それらが事実の記録であるとの前提に立って字義通りに解釈して整合性を研究している、いわゆるホームズ・オタク)と言えるほどではありませんが、小学生以来ホームズは大好きです。それこそ、原作は何周読んだかわからないくらい。
 で、ホームズの映像化としてはジェレミー・ブレット主演のグラナダ版が最高峰だと思っていますが、現代を舞台に翻案されたBBCの「SHERLOCK」も大好物なんですね。ベネディクト・カンバーバッチのホームズ…いやシャーロックは、「駆け出しのシャーロック・ホームズ」を見事に表現していると思います。「グロリア・スコット号事件」や「マスグレーヴ家の儀式」の時のホームズが現代に生きて育っていたら、まさにこんな感じになるだろうなぁといった感じ。
 その完成度が高い「SHERLOCK」でも、特にSeason 2 Ep.1の「ベルグレーヴィアの醜聞」は「ボヘミアの醜聞」映像化としては完璧で、グラナダ版よりも完成度高いと思うくらい。原作から大分かけ離れているにも関わらず、「ベルグレーヴィア」でのホームズとアイリーン・アドラーは、映像作品史上最も素敵なホームズとアドラーでした。
 もちろんEp.3の「ライヘンバッハ・ヒーロー」も最高で、「ああ、〈シャーロック〉はここから帰還したら〈ホームズ〉になるんだ!」という計り知れない期待と共に、Season 3を待ち望むようになったのでした。

 待望のSeason 3が幕を開けてみると、確かに面白かったのですが、帰還したのは紛れもない〈シャーロック〉。ホッとするやらちょっと期待はずれやらで、Ep.1を見た時は正直複雑な気持ちになりました。
 そんな気分を見事に晴らしてくれたのが、このEp.2「三の兆候(The Sign of Three)」なのです。元となった「四つの署名(The Sign of Four)」とは共通要素がかなり少ないので、原作主義者からは評判があまりよくないこの第2話。しかし、私にとってはこの話は、「〈シャーロック〉が『SHERLOCK』世界の〈シャーロック・ホームズ〉となった!」と思える、大変重要な回なのです。

 細かい話に行く前に触れておくと、このお話はユーモアに溢れており(「部屋の中の象」のインパクトといったらない!)、しっかりとスリルもあり(ベストマン・スピーチの場での、マインド・パレスの描写を挟みながらのシャーロックの推理が展開されるシークエンスは逸品)、そして最後はしんみり終わるという、まさに「SHERLOCK」らしい回だったと言えます。トリックの非現実性や印象に残らない犯人(お話的には、これはこれで正解なのかもしれませんが…)など、不満点もないわけではないです。しかし、二日酔いのシャーロックとジョン(・H・ワトソン)など、他では絶対見られない二人がホントに笑える。

 そんなユーモアの中でも、ジョンとシャーロックの両者に対するメアリー(ジョンの妻)の心遣いは素晴らしい。それこそシャーロックへの思いやりは時にジョン以上ではないか? と思えるくらいで、シャーロックの保護者はハドソン夫人よりもメアリーですね。変人のシャーロックになぜメアリーがここまで気遣えるかという点は、Ep.3「最後の誓い」への重要な伏線となっていきます。

 シャーロックへのメアリーの思いやりがあるからこそ、最後、披露宴を後に独り去っていくシャーロックの切なさと格好良さが際立ってくる。そこに至るまでのラスト数分間を見て、私はここで〈シャーロック〉が現代版の〈シャーロック・ホームズ〉になったのだと確信しました。

 シャーロックは数年間のジョンとの同居、一時の別れ、そして再会を通じて、人としてのジョンの暖かさを知りました。彼はジョンを完全に信頼しています。だからこそ、彼が結婚相手として選んだメアリーを邪険に扱うようなことはしない。それどころか、メアリーはシャーロックとジョンの関係の邪魔にすらならず、むしろ二人にとって素晴らしい「円滑剤」の役割を果たしてくれました。それでも、シャーロックにとって、普通に「恋愛」から「結婚」のステップへ進もうとしている二人は(特にその中の親友ジョンは)遠い存在になりつつありました。
 そしてシャーロックは、メアリーの「三の兆候」から、ジョンとメアリーの夫婦がさらに自分とは離れた道を歩んでいく「遠い存在」になりつつあることを知るのです。(脱線しますが、今回の「三の兆候」というタイトルは何重にも意味を持っていて、毎度のことながらうまいと思わされました。)
 このとき、シャーロックはきっと、兄マイクロフトからの「深入りするな」という言葉を思い出したことでしょう。それは、自分が傷つくからではない。自分が偏屈な存在であり、二人の「普通」という幸せを傷つけてしまうかもしれないからです。この認識は、シャーロックのベストマン・スピーチの中で垣間見ることができます。
 ではシャーロックはただ単に二人から距離を置こうとするかというと、そうではありません。彼はむしろ、自分の能力を、二人の「普通」という幸せを守るために使っていこうと決めるのです。だからこそ、最後、彼は「三人を守る…」とつい口に出してしまったのですね。人々──特にジョンとメアリー、そして彼らの子の守護者となる。Season 1から頻繁に使われていた表現でいえば、「天使の側につく」。
 原作では「最後の事件」でホームズがモリアーティ教授を滅ぼすことを明言したとき、彼はヒーローとなりました。しかし「SHERLOCK」では、シャーロックがヒーローとなったという表現は、Season 1, 2それぞれのEp. 3よりも、Season 3 Ep.2の方が力強い。シャーロックはここで、原作とは違い、まずはワトソン一家のためのヒーロー〈シャーロック・ホームズ〉になったのです。

 だからこそ、最後、「踊ろう!」となったときのメアリーの「シャーロックは?」という心遣いが本当に切ない。彼女はおそらく、シャーロックの誓いの重さを理解したのでしょう。彼女が(特殊な過去を持ちながら)「普通」という幸せへ歩み出したのとは対照的に、シャーロックは彼女(とジョン)の幸せを守るために、そこから離れていく決意をしたのです。
 ジョンは「3人じゃ踊れない!」と、メアリーと踊り始めます。シャーロックが周りを見渡すと、ディスコミュージックをバックに、みんなが幸せそうに踊っている。一瞬、花嫁の付添人ジャニーンのもとへ行こうとするが、彼女もまた別の男を見つけて一緒に踊っている。モリーもまた、恋人トムと楽しそうに踊っている(しかし、モリーは一瞬シャーロックを気にするのである…たぶん彼女もまた、シャーロックの決意の重さを理解していたのだろう)。
 シャーロックはたぶん、ここでうっすらと、ジョンとメアリー以外の「普通の人々」の幸せを守っていくのが自分の役目だと気付いたのではないかな? だからこそ、彼は人々の幸せを守るためには「自分は深入りすべき人物ではない」という事実を再確認し、独り静かに披露宴会場を後にするのであります……ここ、初めて見た時は泣きました。正直、こんな愉快な話で、最後に泣くとは思わなかった。

 このEp.2のシャーロックの「人生で最初で最後の誓い」もまた、Ep.3「最後の誓い」の展開への伏線となってくるわけですね。そこで彼は、まさに自分自身を犠牲にして、ジョンとメアリーの幸せを守ろうとするわけです。

 Season 4は今まで以上にダークでシリアスな展開が待っていると制作者側は明らかにしています。おそらく、レギュラー陣の誰かが不幸に遭うんじゃないかと思います。特にメアリー。彼女は原作でも途中で死んでいる(ただし詳細は不明、読者側からは気づくとワトソンとメアリーが死別しているという事態にf^_^;)し、Season 4で最も死ぬ可能性が高いのは彼女かな、と。
 もしそうなった場合、シャーロックは彼らの幸せに対して「深入り」してしまったことへの後悔、そして自らの無力を噛みしめることになるでしょう。
 Season 4で〈シャーロック・ホームズ〉として歩み出した彼は、後悔と無力、悲しみを経験し、乗り越え、原作にも通ずる「シャーロック・ホームズ」へと成長していってくれるのではないか。この「三の兆候」と続く「最後の誓い」を通して、私は「SHERLOCK」シリーズに対してそんな期待を抱いているのです。

 といっても、Season 4はしばらくお預けで、まずは本国イギリスでは今年のクリスマス、ヴィクトリア朝を舞台にした番外編が放映されるそうですね。実年齢はもう40歳に近づき、役者として貫禄も出てきたベネディクト・カンバーバッチがいかにヴィクトリア朝の「シャーロック・ホームズ」を演じるか。はたまた、ヴィクトリア朝でも〈シャーロック〉のままなのか(笑)。期待大です!