
恥ずかしい体なんてない
高校時代、すらっとした細身で可愛らしい顔をした友人が、さっきまで話していたクラスメイトの後ろ姿を指差して、顔をしかめた。
「見て、あの子、太ももと太ももがべたーってくっ付いてるの。気持ち悪い」
私は、中学時代の自分もあのくらい太っていたとはとても言えず、気まずい思いで笑うしかなかった。
思春期を過ぎてからこれまでずっと、ストレスで太ったり、無茶なダイエットで痩せたりを繰り返しながら生きてきた。今はBMIも標準に収まっているけれど、自分の体型にコンプレックスを持たなかった時期はない。
首は太くて短いし、顔は大きいし、太もももふくらはぎも太くて、肉を掴むとセルライトが浮いてくる。
モデル体型の可愛い女の子とは、遺伝子レベルで差が付いていた。
骨格からブサイクなのにも関わらず、私は体型維持すらうまくできなかった。 それをストレスのせいだと言ったら、「言い訳するな」と怒られるだろうか。
そして太っている時期は、女性扱い……と言うか、対等な人間扱いされる事も少なかった。不摂生で一番太っていた20歳そこそこの頃には、見ず知らずの30過ぎの男に「おい、おばさん!」と大声で呼びかけられた事もある。
怒りと恥ずかしさで、顔が真っ赤になった。
可愛くて小綺麗な女じゃないだけで、人はここまでバカにされなきゃいけないのか、と。
そんな私がボディポジティブと言う概念を知ったきっかけは、Netflixで見たオーストラリアのドキュメンタリー映画『ありのまま抱き締めて』だった。
ある調査では、女性のうち90パーセントが自分の体について不満を感じているのだと言う。
ここがああなら完璧なのに、あと何センチ細ければ完璧なのに……、と、人はとかく自分に欠けているところばかり見てしまう。
だけれど「完璧ではない」と言うことは、美しくないということを意味しない。
この映画はそんなテーマを掲げながら、「完璧な外見」ではなくても、誇りを持って生きている人たちを何人も紹介している。
無理なダイエットを辞めて、自分が健康でいられる体型で生きることを決めた女性や、火傷を負って外見が変わった女性、手術で片方の乳房を失った女性も出てくる。
私の印象に残ったのは、ヌーディストビーチで行われたイベントで、乳ガンの手術を受けた初対面の人同士が知り合い、お互いの片方しかない乳房を見て「おそろいね!」と笑い合ったと言う話。
人は孤独ではないだけでこんなにも強くなれるものなのだ、と、ちょっと泣いてしまった。
それからしばらくして、コメディアンのエイミー・シューマーが主演した『アイフィールプリティ』もNetflixに入ってきた。
太っていて自信のないヒロインが、頭を打った事をきっかけに自分が絶世の美女だと思い込むようになり、成功を掴んで行くけれど……と言う映画。
とにかく楽しく、エイミーがチャーミングで、こんな風に生きられたら毎日が明るくなるだろうなと思った。 バイリンガルニュースのMamiさんも絶賛していて、SNSでも、女の子にとにかく好評だった記憶がある。
さらにその少し後に見たのが、Netflixオリジナル作品の『スペシャル 理想の人生』。
これは脳性まひの青年が、障害を隠してブログサイトのライターとして就職し、今までは無縁だったパーティや恋愛、キラキラした人たちの世界でやって行こうとする話。
主演で脳性まひ当事者でもあるライアン・オコンネルの自伝的著作をドラマ化した作品なのだけれど、ブログサイトの同僚として出てくるふくよかな女性が、自らコンプレックスを抱えながらボディポジティブを提唱しているライターでもある。
彼女はパーティで、彼女の記事を読んで勇気付けられたと言う女性ファンに囲まれる。
「私たち、自分の体がコンプレックスだったの。いつも二の腕がマッチ棒みたいって言われて」
「私は鎖骨のケイティって呼ばれてたわ」
そして細くて美人な彼女たちは、声を揃えてこう言うのだった。
「でも私たち、あなたの記事を読んで変わらなきゃって思ったの」
「だって“あなたでも”自分の体で好きな所を見つけられたんでしょ?だったら、私たちにもできるはずだわ」
要するにこの美女たちは、彼女のような太った女が自分に誇りを持つなんて、なんて勇気ある、大胆な行動なんだと称賛しているのだった。
やりきれなくなって、彼女はその場を黙って立ち去る。
ボディポジティブと言う言葉はどんどん広がって行ったけれど、こんなふうに言葉が履き違えられている事態も、きっとありふれているんだろう。
以前、私が美容室に行った時、iPadでふと読んでみた雑誌で「ボディポジティブ特集」が組まれていた。
何の気なく読んでみると、そこには「ボディポジティブを実践するためのエクササイズ」と言うコーナーがあり、「太いのは良いけど、たるんだ二の腕はNG!」と言う煽り文句が付けられていた。
加齢や運動不足でたるんだ二の腕は愛せない? それは誰が決めた事なんだろう?