あの日の既読スルーと、桜桃の味
数年前の冬、友人から届いたLINEのメッセージを、ずっと既読スルーのままにしてしまっている。実を言うと、それ以来LINEはアプリ自体開いていないし、新しいスマホにはインストールしてすらいない。
「ジョンヒョンのニュース、見た?泣」
メッセージはそれだけだった。お互いK-POP好きだったから、衝撃的な報せを見て、思わずLINEをしてきたんだろう。彼女は何も悪くない。
返事ができなかったのは、私の個人的な問題だ。
2017年12月18日の夜、人気グループSHINeeのボーカル担当・ジョンヒョンが27歳の若さで亡くなった。マンションの一室で、自ら命を絶ったらしい。SNSのトレンドは瞬く間にそのニュース一色になり、多くの人が一様にショックを受け、悲しんでいた。
私が彼を知ったのは、2010年頃、2ndアルバム(正規2集)Luciferのダンス動画がきっかけだった。
今はもっともっと高画質で洗練されたダンスを公開しているグループが山ほどいるけれど、2010年当時、私たちの最先端にあったのはこの動画だった。「テミン(中央のボーダー)可愛い~~!!!ジョンヒョン(タンクトップ)筋肉すごっ!!歌うまっ!!ミノ(右端)顔良すぎスタイル良すぎ~~!!オニュ(白T白キャップ)すき~~!!KEY(左端)なんか知らんけどすき~~!!」と、SHINeeに関する動画や情報を掘れば掘るほどどんどんハマっていき、気付くと約一年後、私は彼らの日本デビューシングルのリリースイベント会場、中野サンプラザにいた。
その日、私は生まれて初めて、人を見て眩しいと思った。
好きなバンドのLIVEには何度も行った事があるし、アイドルと偶然すれ違ったこともあったけれど、そんなのとは全く違っていた。ステージ上で、カタコトの日本語を話し、パフォーマンスを披露していたSHINeeは、圧倒的にキラキラしていた。比喩じゃなく輝いていた。当時私はKEYのファンだったのだけれど、KEYの色の白さは本人が発光しているとしか思えなかった。イベント中はほとんど白昼夢を見てるみたいで、終わった後は夢から醒めたような非現実感にくらくらした。
だけど、それから韓国版のアルバムを買い集めたり、見ても見てもどんどん出てくるまだ見ていない動画を見たりしているうちに、私の興味の中心は少しずつSHINeeではなくなって行った。結局、他のグループに目移りしてしまったのだ。相変わらず新曲が出れば必ず買うし、MVも見るけれど、常に細かい動向を追いかけることまではしなくなっていた。
だから私は気合いの入ったSHINeeファンと言うわけでも、ジョンヒョンのファンと言うわけでもない。単独コンサートにも一度も行ったことはない。そして、ジョンヒョンがソロアルバムを出し、どんどんスケールの大きい歌手になって行く頃には、私は仕事で潰れ、うつ病になり、出社もままならなくなっていた。だから、その頃から訃報までの記憶と言うのが、今ほとんどない。
友人からLINEが届いた時、私はすでにニュースを知っていた。Twitterで、最初は文章がよく頭に入って来なくて、だんだんと理解できてくるにつれ、心臓がばくばくしてきた。何だこれ、嘘だろう、と思った。どうしてジョンヒョンが。あんなに歌が上手くて、格好良くて、多くの人に愛されて幸せなはずの人、幸せになるべき人が、なんでそんな事になったのか、まるでわからなかった。
友人もきっと同じ気持ちだっただろう。だけど、私はどうしても彼女に返信できなかった。悲しみを分かち合い、「どうしてだろうね、悲しいよね」「死ぬなんて間違ってるよね」「そうだね」と言い合うことが、私にはできそうもなかったから。
ジョンヒョンが私と同じ病気だったことは、その後、SNSで知った。
うつ病を象徴する黒い犬のタトゥーを、彼は入れていたらしい。そして、親友に託したと言う遺書の全文を読んだ時、私は「彼は本当に、私と同じ病気だったんだな」と思った。
彼も一人だったのだ。
きっと、彼もずっと死について考え続けてきたんだろう。真っ黒な夜の海で、一人凍えながら泳いでいるような毎日に疲れ果ててしまったんだろう。
私も何度も思った。もう泳げない、もう終わりにしたいと。
傷口から血を流しながら書いたようなこの言葉を、私はただ「その通りだ」と思いながら読んだ。誰もわかってはくれないんだ。そして誰も責任を取ってはくれないのに、ただ「生きろ」とばかり言う。それがどれだけ苦しいか、私自身もよく知っていた。
だから、友人に返す言葉がなかったのだった。なんの悪意もなく「死んじゃいけないよね」と思える彼女やみんなは正しい。
それでも、あの時はそう言う正しい言葉を何も聞きたくなかった。
だけど、今はまた少し違う。私にもあれから色んな出来事があった。そして、こう思う。
歌を歌っても歌わなくても、輝いていてもいなくてもいいから、生きていてほしかった。耐えられないほど苦しい日々からいつか抜け出せることを、まだ信じていてほしかった。あの頃はとてもつらかったと、今、幸せに笑っていてほしかった。
ジョンヒョンは見た事があったかどうかわからないけれど、『桜桃の味』と言うイラン映画がある。
映画の主人公の男は、生きる望みを失って命を絶とうとしている。そして、自分が死んだ後の後始末を頼むために、通りかかるさまざまな人々に声をかける。道を歩いていた大工、ゴミを拾っている若者、若い兵士や神学生……しかし、「大金をやるから手伝ってくれ」と頼んでも、誰も引き受けてはくれない。むしろ、「自殺は罪だ」と引き留められてしまう。
最後に出会った老人だけが、病気の孫の治療費のために仕事を引き受けてくれたが、それでも彼もまた、思い直すよう男を説得する。
人生にはそんなこともあるのだから思いとどまってくれ、と訴えても、男の考えは変わらない。老人は悲しんで、さらに言葉を尽くして男に語りかけた。
それでも、男の意志は固かった。さんざん話した後、老人はやっと諦め、二人は明朝、「もし男が死んでいたら、その始末をする」と約束して別れる。
絶望の深さには、どんな言葉も届かないことがあるのだ。
ただ、映画にはまだ続きがある。男は帰り際、ほんの些細なきっかけで少しだけ気が変わり、引き返して老人に告げる。
ほんの些細な、何と言うこともない出来事が、あれほど意志の固かった男に、もう少しだけ生きたいと思わせたのだった。
そういう事もきっとある。
あるはずだと思いたい。
生きてさえいれば、きっと。
私はもうしばらく、しがみ付いてみようと思う。