破壊のための金曜日?気候ブランキ主義の奇妙な魅惑

原文:https://roarmag.org/essays/climate-blanquism/
原文掲載日:2021年9月30日
著者:エリアス゠ケーニッヒ

平和的な大衆運動で気候大変動を防げないのなら、化石燃料資本主義に対するもっと急進的な抵抗方法を想定する時が来たのではないだろうか?

なんと異様な時代に生きているのだろう!白昼堂々、生物生存圏全体の組織的殺戮を目の当たりにしている。新たな山火事や台風が猛威を振るう。またもや取り返しのつかない転換点に到達する。もう一つの世界がどこかで失われる。こうしたニュースを聞かない日などない。

過去30年間で、生態系崩壊と金融崩壊という破滅的情況に直面し、インドの40万の農民は、既に、家族を残して 自殺する 選択をした。その多くが、自分が所有する除草剤を飲んだのだ。過去10年間だけで数万人が、気候崩壊と帝国主義暴力から逃げようとして、サハラ砂漠の乾ききった砂丘で 亡くなった。マダガスカルの母親達は、10年にわたる干ばつの後、子ども達を食べさせるために昆虫と木の葉を 探さねば ならない。

誰もが、この世界的気候災害の背後にいる犯人を知っている。その犯罪は細心の注意を払って報告される。公然の秘密だが、犯人は今も、否認・誤報・偽の環境保護情報に全力を注いでいる。化石燃料資本主義--現在の化石燃料型で蓄積主導の地球規模経済システム--の構造設計から今も利益を得ながらも、私立学校と役員会議という郊外のパラレルワールドに守られているため、奴等の生活は自分達が至らしめた災害の最悪の結果から今のところ免れている。

この不条理な現実を目の当たりにすると、化石燃料資本の犯罪に対する不気味な沈黙に驚愕せざるを得ない。破滅的現状に立ち向かってきた人々の声は、遅かれ早かれ地球規模の広大なアテンション゠エコノミーの中に静かに消え去ったり、権力者に取り込まれてその計略に利用されたりしている。

70億の人類同胞が、これまで、集団的未来の消滅に対する効果的な大規模抵抗を全く組織できなかったのは何故だろうか?いつまでこの緊張状態に耐えられるのだろうか?

沈黙を破る

少なくとも文芸レベルでは、現状に刺激されて、新しい著述家の一団が「沈黙を破る」必要を、そして、もっと目標を絞った急進的行動で化石燃料企業と対決する必要を述べるようになっている。『ロンドン゠レヴュー゠オブ゠ブックス』に掲載された小説家ジョン゠ランチェスターによる悪名高き2007年の エッセイ を取り上げてみよう。この文章は、かなり率直な疑問で始まる:

気候変動活動家がテロ行為を行っていないのは奇妙で衝撃的だ。結局、テロリズムは、現代世界で個人が行える政治行動の内で間違いなく最も有効であり、気候変動は、例えば動物の権利と同じぐらい、人々が痛切に感じている問題である。ガソリンスタンドの爆破やSUVの破壊など簡単なのだから、なおさら注目に値する。SUVを運転している人々を除けば、都市では誰もがSUVを嫌っている。ロンドン規模の都市なら、数十人の人が短期間でこうした車の所有を事実上不可能にできるだろう。車の側面に鍵を走らせるだけで、車の所有者に一度に数千ポンドの損害を与えられるのだ。例えば、50人が4台の車を1カ月にわたり毎晩破壊する。1カ月で6千台のSUVがぼろぼろになり、すぐにチェルシートラクター(四輪駆動のSUV)が街路から消え去るだろう。何故こうしたことが起こらないのだろうか?

気候犯罪者自身でさえもが、自身の惑星破壊ビジネスに対する本気の充分組織された抵抗がないため驚いているように思える時がある。『エコノミスト』紙は伝統的にブルジョアの感傷について信頼できる指標だとされてきた。まさにこの新聞が、将来の展望に関する記事を連載し、その一つ、2020年に掲載された シナリオ で、「地球防衛隊(EDA)」という急進的気候変動活動家の秘密グループが出現すると予測した。2020年代後半に二酸化炭素排出量削減の政治的失敗が続いていることへの反応として、EDAは気候危機に責任ある石油企業の資産を集団で破壊し始める:

世界が自称「地球防衛隊」について耳にしたのは2028年2月だった。インドのグジャラートにある世界最大のジャムナガール製油所が強力なサイバー攻撃によって操業停止した。EDAは犯行声明動画で、関与の詳しい証拠を示した。このグループの覆面をしたリーダー達は、世界中の石油企業は同様の攻撃を受けるだろうし、そうした企業と関わっている銀行と投資家も同じだ、と警告した。「惑星は反撃できない」一人のEDAメンバーは宣言した。「だから、我々が惑星のために反撃するしかない。」

この記事は、化石燃料資本主義世界の重役フロアにつきまとう根深い不安を上手く垣間見させている:気候変動危機に自分達の命と生活を奪われた人々が、最終的に、もっと過激な手段で反撃してきたらどうなってしまうのだろう?安心したのも束の間、記事の最後は現行秩序の回復で締めくくられている。EDAはより大きな気候正義グループの支持を得られず、結局は内ゲバが起こって解散してしまう。

しかし、それと同時に、当然ながら、このシナリオには地球環境の情況に関する希望的見通しもない。パリ協定は失敗し、地球規模の二酸化炭素排出量は上昇し続ける。これが「ハッピーエンド」だなど明々白々たる矛盾であり、読者にそれが分からないわけではなかった。「批判的思考を脅かすほど現実から分離した世界に住んでいると、石油とガスの複合企業体は本物のテロリストではないと納得するようになってしまうようだ」と、あるフェイスブック゠ユーザーはコメントしていた。

多分、気候変動危機の時代の急進的抵抗行動を最も感動的に小説で解説しているのは、SF作家キム゠スタンリー゠ロビンソンだろう。ロビンソンの近著「未来省(Ministry of the Future)」は2025年で幕を開ける。インドで壊滅的熱波により一週間で2千万人が死ぬ。この大災害の後、覚悟を決めた生存者達が「カーリーの子ども達」という小集団を結成し、気候変動による残虐行為に復讐すると誓う。「犯罪者に教えてやろう:鍵の掛かった屋敷にいようが、夜にベッドで寝ていようが、カーリーの子ども達はお前を襲い、殺してやる。」カーリーの子ども達は、社会運動が今までやれなかったことをすぐさま成し遂げる:ドローンの群れで商用航空便を狙って世界中の飛行機旅行を止め、石炭火力発電所を破壊し、生物兵器を使って世界中の乳製品製造を崩壊させる。

気候ブランキ主義

ランチェスターとロビンソンのような作者がイメージする「テロリスト」は、恨み・復讐心・正義の切望に駆り立てられた普通の人々である。しかし、気候大変動の瀬戸際で世界に変革を強要する際の効率性は圧倒的で、長年失敗に終わった「気候政治」と無力な市民的不服従を回避している。

資本主義の終焉を想像する時間などもはや実質的にないほど、世界の終わりがすぐそこまで来ているように思える時に、EDFやカーリーの子ども達のような「プロの気候革命家」集団がスポットライトを浴び、もう一つの世界はまだ可能だと主張する。彼等は、職業化されたNGOセクターの中で気候正義を達成しようとしている人々よりも急進的で、同時に、平均的常勤気候活動家よりも組織され、資源を持っている。今まで本物の気候変動対策を強制しようとする活動に欠けていた大胆さと決断力をまさに体現しているのである。

資本主義国家が自身の解体を始めると当てにしたり、化石燃料企業に「もっと行儀よく振る舞う」よう働きかけたりする代わりに、こうしたグループは自分達の手で気候正義を実現する。化石燃料資本主義の動脈を直接標的にし、この惑星を殺しているインフラを機能できなくする。このようにして、彼等は報復的正義の強い力を示すだけでなく、そもそも気候危機を生ぜしめた集団的沈黙を暴力的に粉砕する--私達が尚も何とかこれに揺さぶりをかけられるというわずかな希望を提示しながら。

気候理論家アンドレアス゠マルムの 提案 を取り上げて、19世紀フランスの革命家オーギュスト゠ブランキの思想を思い起こし、このアプローチを一種の「気候ブランキ主義」と呼ぶ人がいるかもしれない。ブランキは、当時、生まれたばかりの労働者階級運動を構成する大多数に対して、社会主義の実現は、大衆運動を通じてではなく、少数の高度に訓練され充分な準備をした革命家集団の手による、と主張した。大衆運動は反革命の潜在的影響に逆らえないと見なしたのである。ブランキによれば、職業革命家が権力を奪取すると、一時的な独裁が導入され、警察と軍隊は廃絶され、逆に労働者階級を武装させ、大衆政治教育キャンペーンを行い、その結果、プロレタリア階級の意識を覚醒する時間を与えるという。「共産主義を突如押しつけるなどできない。勝利の翌日でも、前日でもない。そんなのは空に向かって飛ぼうとするようなものだ」とブランキは考えていた。

ブランキの革命エリートは、ブルジョア階級を一時的に武装解除し、共産主義の条件を創り出して社会主義社会の道を開こうとしていたが、カーリーの子ども達やEDFのようなグループと関連する気候ブランキ主義は、主に地球温暖化の時代に起こる最悪の情況を避けることに関わっている。幅広い大衆型社会運動が、重大な社会-生態学的変革を押し進めるべく充分な力を手に入れ、その力を結集するための時間を稼ぐことを理想としているのである。

ブランキ自身の革命活動はただの一度も成功しなかった。周知のとおり、彼は、複数の陰謀と 6つの叛乱 を計画したために生涯の半分を獄中で過ごした。しかし、それ以来「職業革命家」の亡霊は急進主義者の想像力に付きまとい続けている。

伝説的な批判理論家でエッセイストのヴァルター゠ベンヤミンは、晩年、ブランキが「最後の瞬間に人類を破滅から救い出す」決意を持っていると 評していた。気候ブランキストの物語が今日の気候正義運動に訴えかけている理由は、革命的焦燥感かもしれない。ほぼ間違いないと思うが、有効な気候対策の時間枠は極めて狭い。地球気候システムのいくつかの重要な閾値は、十年後には既に到達している可能性がある。これまでのところ、大衆デモと気候ストライキに世界中で数百万人が参加していても、この傾向を逆転させられていない。資源抽出産業の莫大な力に事実上耐えられないのだ。

従って、最悪のゴタゴタから私達を何とか救ってくれる専門集団の出現を待ちこがれるのは、現在の急進的時代精神を蝕む深い不安、平和的大衆運動では気候大変動を回避できないという実感の投影と見ることができる。ある同志が最近告白していた。「5年もすれば、自分は戦うのを完全に止めるか、ぶち壊し始めるかどちらかだろう。」

この無力感の中、最近の出来事は、現在の化石燃料世界秩序の脆弱性をさらけ出した。スエズ運河でのエヴァーギヴン貨物船の 座礁 や、米国最大のパイプラインを停止させる サイバー攻撃 がそうだ。気候正義サークルはこれらを見逃さなかった。これは政治的行動の前例になり得るのだろうか?

一時の関心を越えるのか?

かなり話題になった「パイプラインの爆破方法」というエッセイで、アンドレアス゠マルムは、化石燃料インフラの効果的破壊事例を幅広く論じている。例えば、2人のカトリック゠ソーシャルワーカーがダコタ゠アクセス゠パイプラインに ドリルで小さな穴を複数開けた。2006年から2008年のニジェールデルタの暴動は、ニジェールの原油生産の1/3を停止させた。2019年に行われたサウジアラビアのアブカイク製油所に対するドローン攻撃は、国際供給の7%を占めていたサウジアラビアの供給能力を数日間半分に落とした。

しかし、中核的インフラに対するこうした断続的で外科手術的な攻撃を様々な政治的意図を持つ反乱者に任せるよりも、マルムは、日常的破壊ビジネスに介入する「急進的中核のような気候変動SWATチーム」を 思い描いている。マルム--彼自身、気候正義運動のベテランだ--は、その優れた論説で、既に、市民的不服従の境界を広げるよう新しい世代の活動家を鼓舞してきた。ドイツでは、「破壊のための金曜日」という名のツイッター゠アカウントが最近、ガス゠インフラ攻撃の犯行声明を出し、運動戦略の地平を拡大すると明言している:

我々は、この破壊攻撃が、気候正義運動において正当な抗議手段として確立されることを望む。そして、行動形態をめぐる会話がこの破壊に影響されることを望む。破壊すべき場所は数多くあるが、それと同じぐらい、抵抗可能な場所も数多くあるのだ。

2016年に、気候活動家集団ヴァルヴ゠ターナーズは、5つのパイプラインの遮断弁を同時に閉め、カナダから米国への原油の流れの約7割を 一時的に止めた。しかし、こうした個別の破壊行動は、未だに、大規模な組織的抵抗構造に埋め込まれてはいない--今もなお、化石燃料産業そのものだけでなく、仲間の活動家に対しても向けられた一つの象徴的な「警鐘」に過ぎない。

一時的な妨害のレトリックや実際の不法侵入以上に、気候活動家も、ロビンソン・ランチェスター・マルムといった作家も、現在まで、もっと組織的な気候ブランキ主義との控えめな関わり合いの範囲から外に足を踏み出してはいない。彼等は、自分達が書いているような革命集団の設立を行ってもいなければ、直接呼びかけてもいない(公平を期すために言っておくが、もし彼等がそうしていたとしても、公にはしないだろう)。

そして、これまで、職業的気候革命家は、まだ文芸的領域から足を踏み出しておらず、現実世界に現れていない。こうした作家が気候正義の名で政治的暴力が行われる可能性に関わることに不安感を持つのは理解できる。規模の大きな気候運動は、命と生活を守る責務に基づいているため、平和的な市民的不服従へ規律正しく献身できなくなると、多くの大衆支持を失ってしまう。キム゠スタンリー゠ロビンソンは、「カーリーの子ども達」の暴力を実際に一度も書いていない。彼は 次のように述べている。「私のように成功した人が、不公正に対して抵抗する上で暴力を支持して、現行システムに苦しめられている人々がそうした暴力行為に訴えたなら、彼等は投獄されるか殺されるかするでしょう。だから、私は政治的暴力を自らも、著作の中でも支持しないのです。」

化石燃料資本主義秩序に対して効果的な急進主義抵抗運動を組織しようとすると、実際、国家弾圧の鉄拳で迎えられるだろう。気候犯罪の中心地、米国では、多くの州で既に気候活動家を標的にした法律が可決されている。同様の展開 は、ブラジル・ポーランド・フィリピンでも見られている。支配階級が幅広いイデオロギー覇権を享受している限り、化石燃料インフラへの攻撃は、とりわけ運動内部の争いの種になる。特に、大規模な破壊活動によって、基本的生計を--生活様式だけでなく--当該インフラに 直接的に依存 している人々に対する影響を考えれば。結局、権力による暴力や供給危機の直接的結果は、大抵、経済的に最も立ち直れない層に生じるものなのだ。他方、富者と権力者は、単に自分の ワイン貯蔵室 や発電器付き 超高層ビル に隠れれば良いだけである。

アース゠ファースト!・地球解放戦線(ELF)・動物解放戦線(ALF)といった組織--1970年代後期から2000年代初頭に米国西海岸と数多くのグローバル゠ノース諸国で活躍した戦闘的前衛主義グループ--の運命は警告的な実例となっている。石油インフラと自動車販売店などを標的として見事な(そして平和的な)エコタージュ゠キャンペーンを長年継続できていたが、国家弾圧がますます激化したためにほとんどのグループが結局は解散してしまった。グループの消滅には多くの要因が寄与していただろう。幅広い大衆運動と関係がなく、支持を得られなかった(ただ、エコタージュ活動家は著しく 緊密な ケアと支援のネットワークを構築できていた)し、階級と人種という点で運動自体の構成を広げられなかった--その結果、イデオロギー的死角を生み出した。

しかし、疑いなく、究極的にこの運動を敗北させたのは、穏健な動物の権利グループさえも対象にした国家装置の残忍な攻撃だった。2004年、右翼のテロ攻撃が増大する中、FBI職員は、「エコテロリズム」を「国内テロリズム捜査の最優先事項」だと 宣言した。政府は、「動物関連企業テロリズム法(Animal Enterprise Terrorism Act)」のような新法を制定し、環境保護抗議行動の犯罪化を推し進め、活動家を監視するために国家安全保障局のような安全保障機関を動員し、運動からあらゆる公的正当性を剥奪しようと--前世紀の赤狩りになぞらえて--メディアキャンペーンを巻き散らした。こうした容赦ない迫害は、化石燃料資本主義国家が、人間と人間以外の自然の継続的資源抽出と商品化の上に成り立っているシステムを維持するために、どれほど長い期間準備しているかを示している。

これらの構造的制約は、同時に、革命主体の問題も提起する。化石燃料資本主義国家とその抑圧機関を上手く出し抜く能力と意志を持っているのは誰なのか?誰が「気候正義SWATチーム」のスタッフになり得るのか?それは、現在の運動の怠慢のために疎外されている比較的恵まれた大学生なのか、もしくはロビンソンが示唆していたように気候大変動の生き残りなのか?搾取と不公正に対する闘争でよく見られるように、化石燃料資本に対する長期的な大規模キャンペーンを組織するために必要な手段と実際にそれを行おうとする具体的関心は、社会の様々なセクター間で偏って分布している。

今のところ、大部分の気候正義グループは、運動指向アプローチで活動している。その焦点は、ケア・連帯・集団的行動という機能的で世界規模の構造を構築することであって、今も気候危機から暴利を貪っている奴等に対する決定的攻撃の準備ではない。この戦略には確かに利点がある。特に、近年、化石燃料資本に対して最も精力的な運動を行っているのは、以前から産業化されていた植民地メトロポリスの外であり、生存と尊厳を求めて土地と水を巡る物質的闘争の形を取っている。ビア゠カンペシーナ、ブラジルの土地なし労働者運動(MST)、インドの農民運動、モザンビークとナイジェリアの叛乱者、ボリビア・エクアドル・ブラジルの先住民運動、世界中の社会主義者・フェミニスト・反人種差別主義者・先住民の闘争がそうだ。

こうした運動は既に、グローバルノースで行われている戦略議論の眼界を越え、他の地域の気候正義運動とは比べものにならない戦闘性を示している。破壊行動・封鎖行動・暴動・大規模結集など様々な行動を行っている。ただ、秘密主義の暗がりから世界の舞台へ登場する気候ブランキ主義者とは異なり、こうした運動の戦闘性は有機的に出現し、既存の抵抗・連帯構造に埋め込まれている。

地球規模の気候正義運動は、地球規模の舞台でこうした民衆闘争を団結させ、拡大する上で重要な役割を果たし得る。どのように機能し得るのかの一例は、先住民族主導の反パイプライン闘争である。これは、先住民族ウェットスウェテン゠ネーション のテリトリーや、計画中の ライン3 沿いで現在も続いており、他の活動家が連帯の 直接行動 を行うようになっている。そうした行動には、線路の破壊 も含まれている。グローバルノースでもグローバルサウスでも労働者・農民・学生の決然たる戦闘的同盟が生まれ、大規模な気候ストライキなどの集団的行動が行われれば、次の十年間で化石燃料資本の行き過ぎた行為に挑戦する上で大きな役割を果たし、生存と相互扶助のためにすぐにも必要な構造を創造する有利な地点として働くだろう。

しかし、十中八九、気候正義運動が急成長し、急進化したとしても、既に世界の大部分に重大な影響を与えている気候危機の急激な悪化を防げないだろう。つまり、気候ブランキ主義の物語--このゴタゴタから最後には誰かが助けてくれるという希望--は、その奇妙な魅力を近い将来失う見込みは少ないのである。結局、私達は、地球規模の気候システムがスピンして制御不能になるのを目の当たりにする最初の世代かもしれない。しかし、同時に、犯罪の責任者に罪を償わせる機会を持つ最後の世代かもしれない。

いつの日か、地球防衛隊のようなグループが特定の作家の躊躇いがちな想像力から離れ、現実世界に存在し始めるかどうか分かる時が来るだろう。最終的にそうなれば、攻撃対象には事欠かないはずだ。

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エリアス゠ケーニッヒは、北京大学で哲学を専攻する大学院生で、哲学・植民地主義・気候危機について執筆している。

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