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第十四章 私達の組織

原文:http://www.spunk.org/texts/writers/makhno/sp001781/chap14.html
原文掲載日:Dyelo Truda(労働者の大義)、第4号、1925年9月、7~8ページ

万国の労働者階級が目下過ごしている時代は、革命的アナキストに求めている。最も重要な問題を明らかにしようとするなら、革命的アナキストはその想像力とエネルギーを最大限発揮しなければならない。

ロシア革命に積極的に関わり、信念を貫いた同志達は、確固たる組織の欠如が私達の運動に害を及ぼしていと感じているだろう。こうした同志達は、現在行われている同盟の追求で際立った貢献をするのにふさわしい立場にいる。こうした同志達も気づいていないわけではないと思う。アナキズムは、ロシアとウクライナの革命的勤労大衆の間で叛乱を惹起した要因だった。アナキズムが至る所で彼等を扇動し、闘争に参加させていたのだ。しかし、革命の敵に対してその資源を結集できる厳密なアナキスト大組織がなかったため、組織的役割を担うだけの力がなかった。革命におけるリバータリアンの推進力は、この悲惨な結果に悩まされている。

ロシアとウクライナのアナキストがこの欠点を理解しているならば、この現象の再発を許してはならない。過去の教訓はあまりにも痛ましい。この教訓を心に留めながら、何よりもまず、自分達の勢力を結集して模範によって教示しなければならない。どのようにして?社会革命が始まろうとしている時だけでなく、その後にも、アナキズムの使命を達成できる組織を結成するのである。こうした組織は、あらゆる革命的アナキズム勢力を団結させ、社会革命とアナキズム社会を実現する闘争への大衆の準備に躊躇なく着手しなければならない。

私達の大多数はこうした組織の必要性に気づいているが、残念ながら、必須となる献身と一貫性を持って組織作りに取り組む覚悟をしているのは極少数だと言わざるを得ない。

現時点で、欧州全土で様々な出来事が加速している。汎ボルシェヴィキの網にかかったかもしれないが、ロシアでもそうだ。私達が再びこうした出来事に積極的に参加するよう求められる日もそう遠くはない。適切な組織がなければ、再び呼び掛けに応じたところで、私達は無力で、様々な出来事が国家主義システムの渦中に吸い込まれてしまうのを防げないだろう。

人間生活がある場所ならどこであろうと、アナキズムは具体的な存在になる。一方、個人がアナキズムに接しやすくなるには、宣伝者と闘士を擁する場があるだけでよい。現代の奴隷精神と誠実に完全に断絶し、その断絶過程で獰猛な迫害を頭上にもたらすものとの繋がりを断ち切る人々がいる場があればよいのだ。こうした闘士達は無私無欲にその信念に仕えようとしている。発展の途中で予想外の局面の発見を恐れず、必要であれば、事態が進行する中でそれらを吸収する。このようにして、闘士達はアナキズム精神が服従の精神に打ち勝つよう立ち働くのである。これらから二つのテーゼが出現する。

  • 一つ目。アナキズムは雑多な表現と形態を取りつつも、その本質において完全な統一性を保持する。

  • 二つ目。アナキズムは本来革命的であり、敵に対して革命的闘争様式しか採用できない。

革命的闘争を行う中で、アナキズムは政府を転覆し、その法律を放棄するだけでなく、政府の価値観も、そしてその「慣習」と「道徳」を産み出した社会も扱う。これによって、抑圧された側の人々が徐々にアナキズムを理解・吸収できるようになる。

これら全てによって、私達は断固として確信するようになっている。アナキズムはもはや、孤立して活動している少数のちっぽけな集団だけが賛同する狭い傍流の思考範囲に閉じ籠もってはいられない。アナキズムが、闘争する人間集団のメンタリティに与える自然な影響力は、明々白々だ。この影響力を意識的な形で融合させるのなら、今後、アナキズムは新しいアプローチを身につけ、今ここで社会実践アプローチを取り入れ始めねばならない。

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