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プロールテリヤン:IWW(世界産業労働者)の日英バイリンガル新聞

原文掲載日:2022年2月2日
原文:https://libcom.org/library/proletarian-1909-1910-iww-japanese-english-bilingual-newspaper

1909年から1910年にシカゴで発行されたIWWの日英バイリンガル新聞『The Proletarian(プロールテリヤン)』の創刊号から4号のデジタルスキャンを掲載する。

第1号(英語のみ)
第2号(英語と日本語)
第3号(英語と日本語)
第4号(日本語と英語)
プロールテリヤン英文記事の転写

『プロールテリヤン』は1909年から1910年にかけて高橋武がシカゴで発行した短命のIWW機関紙である。第2号から英語と日本語のバイリンガル新聞となった。以下のPDFは、元々アムステルダム国際社会史研究所に所蔵されていた最初の4号をスキャンしたものである。また、掲載したエクセルシートには、英文記事の転写がある。

高橋武は、初期の著名な日本人アナキスト「幸徳(伝次郎)の弟子」として米国に来た。幸徳は一時サンフランシスコで組織を作り、後に天皇暗殺計画を画策したと訴えられて国家に殺害された。(原註1)高橋は渡米後すぐに、幸徳がサンフランシスコで立ち上げる手助けをした日本人移民アナキズム組織「社会主義革命党」のシカゴ支部を組織しようとした。また、シカゴでは、日本人社会主義者、金子喜一と協働していた。近年、ある歴史家が彼の興味深く悲劇的な人生を記録しているが、彼女は『プロールテリヤン』の「原本を見つけるのは不可能に近い」と述べ、その内容を把握するにはそれが転載された文献に頼らざるを得なかったという。

1900年代初頭、アメリカ労働総同盟(AFL)は、またもや北米西部全域で組合主導の人種差別キャンペーンを行った。AFLによる1905年の反アジア同盟は、サンフランシスコから遠くはカナダのブリティッシュコロンビア州まで拡大した。新興のIWWは逆の立場を取り、この長年の慣行に対して西部の「白人」労働者階級内部から初めて大規模な挑戦をしたのである。西部の日本人移民は、IWWの広域ネットワークの中で反植民地・反資本主義行動の綱領を構築する上で、一般的入植者の規範から外れて他の多くの人々と結び付いた。この支援は理想的なものではなかったが、多くの点で、世界帝国の基盤を揺るがすことになった。(原註2)

ハワイでの日本人労働者の闘争をIWW新聞に寄稿した後、高橋武はIWW支部の新聞を創刊した。日本人労働者に思想を広めること・白人労働者に差別を止めさせることがその目的だった。

発行が短命に終わったことは、一つの証拠を示している。『プロールテリヤン』は第4号以降続かなかった。第4号が最後だった。その時も、適時の発行に苦労していた。いくつかの急進主義雑誌、『Mother Earth』(高橋が支援していた)・ジョセフィン゠コンガー-カネコが夫の金子喜一と出版した『The Progressive Woman』・ベルリンの『Vorwärts』さえもがこの新聞に注目していた。(原註3)最初に挙げた2つの雑誌は新聞の内容が重大だとして、定期購読を勧めていた。

白人のウォブリー(IWW組合員)が学習しようと雪崩を打って支持したわけではないようだ。継続する弾圧のため、日本人移民急進主義コミュニティがカリフォルニアで既存の小規模な出版物以上のものを維持するのは難しく、そうした出版物でさえも挫折せざるを得なかっただろう。それでも、英語で書かれた情熱的アピールは説得力があり、他の歴史家にとっても有益であろう。

残念ながら、これをアップロードした私は、日本語を分からないため、日本語部分のテキストについては語れない。英語と同じなのか、オリジナルの内容なのかは、他の人が判断してくれるだろう。何か情報があれば、是非教えてほしい!

原註:
1.Takako Day's "Takeshi Takahashi’s Chicago" を参照
2.Kornel Chang, Pacific Connections: The Making of the U.S.-Canadian Borderlands. を参照
3.“International Notes,” Mother Earth, July 1910. The Progressive Woman, p. 8. March 10, 1910. “Japanisches Parteiblatt in Amerika,” Vorwärts, Berlin, August 19, 1909.