解説:サパティスタの新しい自治
原文:https://freedomnews.org.uk/2023/11/21/explainer-new-zapatista-autonomy/
原文掲載日:2023年11月21日
先週、サパティスタ民族解放軍(EZLN)は、この声明を発表し、チアパスの先住民族自治コミュニティの新たな分権構造に着手した。Freedomは、この変化とその意味についてさらに洞察を得るために、ビル゠ウェインバーグ(長期にわたるニューヨークシティのジャーナリスト・アナキスト)に話を聞いた。サパティスタに関する彼の著書『Chiapas: The New Indigenous Struggles in Mexico』はVerso社から2000年に公刊されている。彼は1990年代にチアパスとメヒコの様々な場所で過ごし、サパティスタを含めた先住民族運動を取材した。ここ数十年、彼は南米で多くの時間を過ごし、アンデス山脈、特にペルーでの原住民族闘争に関わる本を完成させようとしている。彼はサパティスタとチアパスに密着し続け、自身のサイトCounterVortex.orgで世界の自治運動を報道している。
Freedom:サパティスタが自治構造変革を発表した宣言を読んで、この変化をどのように解釈しますか?この宣言が発表した変革や移行の本質は何だと思いますか?
ビル゠ウェインバーグ(BW):そうですね、私はこれを新たな圧力に対する反応だと読んでいます。チアパスでの、特にサパティスタ゠コミュニティを標的にした準軍事活動の復活に対する反応です。現在、これはメヒコとグアテマラの国境で支配を確立しようとしている麻薬ギャングと密接に関係しています。そして、これはこの運動のさらなる分権化だと思います。彼等が最初に自治地区の解散を発表した際、私は少し心配でした。これは11月6日に発表された第四コミュニケに含まれていました。しかし、11月13日に発表された第九コミュニケで、彼等は「サパティスタの新しい自治構造」を説明し、基本的には地域自治の統治システムを維持するが、それをさらに地域主体的なものにすると明らかにしました。
彼等は、いわゆるMAREZ(サパティスタ叛乱自治地区)をその構成基礎コミュニティに分解しようとしています。こうしたコミュニティは地元自治政府(スペイン語の頭文字を取ってGAL)と呼ばれます。一方、このコミュニケによれば、MAREZサパティスタ自治地区は数十しかなかったけれども、今やGALと地元自治政府は数千あるという。さらに、このコミュニケでは、複数のGALが自発的連携に基づいて連合構造に結集し、地域レベルでさらに大きな組織体へと結集できる一連の構造を持つとされています。
そして、次の上位レベルは、様々なサパティスタ自治政府コレクティヴ(CGAZ)です。旧自治区を調整していたいわゆる「善政フンタ」に置き換わるもので、チアパスの複数の村落に建設されたサパティスタのコミュニティ議会集会所「カラコレス」に相当します。
次に、ここからもう一つ上位のレベルがあります。自治政府コレクティヴの集合が「ゾーン」でACGAZを形成します。「地方」よりも大きな地域体です。従って、あらゆるものが基礎コミュニティに対してこれまで以上に多くの説明責任を果たし、自発的連携と連合原則に基づいて形成される最も大きな構造も基礎コミュニティの自発的行動から生じるものになるようです。この運動のさらなる分権化が進んでいるように思います。この方がより弾力性があると見ているのでしょう。
かなり悲観的な表現ですが、サパティスタのウェブサイトに掲載されているコミュニケの公式的英訳は「EZLNの構造と配置を再編するのは、侵略・攻撃・伝染病・自然を食い物にする企業の侵入・部分的または全体的な軍事占領・自然災害・核戦争が生じた場合に、町と母なる大地の防衛と安全を強化するためである」と述べています!
Freedom:麻薬カルテルやメヒコ警察・軍隊など、サパティスタのコミュニティを脅かしている勢力の最近の動向をもう少し説明してもらえますか?
BW:そうですね、1990年代、1994年のサパティスタ蜂起直後の数年間を振り返ると、こうした準軍事組織全てが、基本的に地元地域や地方のレベルで組織を作り、サパティスタ運動を恐怖に陥れて服従させようと、反サパティスタ同盟を形成していました。これを形成したのは、地元の地主・牧畜業者・いわゆる「カシケ」です。こうした先住民村落のボス達は、当時メヒコの一党独裁政権だったPRI、いわゆる「制度的革命党」のお客様でした。誰もが知っているように、PRIは革命的というよりも制度的だった。言うまでもなく、これは、あるコミュニティのメンバー約40人が虐殺された1997年12月の有名なアクテアルの虐殺で頂点に達します。このコミュニティは、正確にはサパティスタのコミュニティではなかった。先住民農民平和主義グループで、サパティスタの指揮構造下にはないものの、サパティスタに共感していた「ラス゠アベハス」(ミツバチを意味します)というコミュニティだった。これが、1990年代に行われたサパティスタとサパティスタに共感するコミュニティに対する準軍事キャンペーンの醜く忌まわしい頂点でした。
そして、PRIは2000年の総選挙で権力を失いました--そして、サパティスタがメヒコの民主的幕開けを誘発した功績は大きいと思います。PRIは、自分達が譲歩しなければ、革命に直面すると悟ったのです。1994年当時はこんな感じでした。可能性があると思われていたのです。そして、この時に多少なりとも自由選挙を認め始めました。残念ながら、民主的幕開けを最も上手く利用したのは、政治的左派ではなく右派だった。ビセンテ゠フォックスの下でPAN(国民行動党)が政権を握り、その後、新自由主義改革が加速していったのです。
とはいえ、これによってPRI・公的軍隊・地元チアパスの準軍事グループという三者の繋がりは断ち切られました。ただ、私の知る限り、「カシケ」の多くはPRIに忠誠を誓い続けていた。それでも、恐らく、彼等が公的軍隊から秘密裏に得ていた協力は減り始め、この繋がりは弱まり始めたようです。この過程の中で、21世紀初頭の数年間、準軍事組織の動きはある程度まで停滞していきました。
ビセント゠フォックスが、チアパスのジレンマを解消し、15分でサパティスタと和平を結ぶと述べたのは有名な話です。もちろん、彼は失敗しました。政府が、サパティスタが和平のために最低限要求していること、つまり、先住民コミュニティの自治権を確立する有意義な憲法改正を未だ実現していないからです。エルネスト゠セディージョ大統領の下で1990年代に行われた協議が失敗した結果、一種の疑似改革はあったものの、サパティスタは受け入れなかった。実際、そのような改革は一度も実現しなかったし、サパティスタ民族解放軍はどれも受け入れなかった。このように、フォックスが自信満々に約束したのとは逆に、政府とのいかなる和平協定も存在しなかったものの、チアパスでの暴力は鎮静化し、政府はある程度まで不干渉アプローチを取り、サパティスタのコミュニティを自主運営に任せていました。恐らく、ある程度まで「抑圧的寛容」アプローチを取っていたのでしょう。
その間、麻薬戦争が手に負えないものになり始めました。最初は主としてメヒコ北部と米国への入国港に影響を与えました。ティフアナ・フアレス・メヒコ湾の敵対する麻薬カルテルが国境検問所の支配権を巡って争っていました。しかし、2000年以後の数年間で、暴力はメヒコ全体に広がり始める。基本的には北部から南部へと広がり、麻薬カルテルはメヒコ全土の交通ルートを支配し、芥子栽培と大麻栽培の支配権を確立しようとする。同時に、ロス゠セタスのようなグループが出現し、実際の準軍事要素をさらに持つようになった。フォックスの後継者でPANのフェリペ゠カルデロンは麻薬カルテルに対して軍を放ったものの、予想通り、劇的に暴力をエスカレートさせただけに終わった。
彼の支配下で、暴力は国中に広がり、最終的には南部に広がった。最も顕著だったのはゲレーロ州です。しかし同時に、メヒコ最南端のチアパス州でも増加していきます。そして、現在、様々な犯罪ネットワークの側も--多分、その一部はロス゠セタスと結び付いていると思われます--グアテマラ国境とメヒコへの入国港の支配権を掌握しようと動いているようです。この文脈で、反サパティスタ準軍事組織による暴力が再燃しています。1990年代程のレベルではありませんが、それでも、ここ数年間で数名が殺され、基礎コミュニティが武装襲撃されました。
興味深いことに、再編を発表した最初のコミュニケ、自治地区解体を発表した11月6日のコミュニケで、コミュニケに署名したモイセス副司令官は、チアパスにおける「組織化されていない犯罪カルテル」の勢力拡大による新しい圧力を遠回しに述べていました。まさに典型的なサパティスタの皮肉というか、からかい表現ですね。組織的犯罪ではなく、「組織化されていない」犯罪、つまり、麻薬カルテルが内輪の戦争でいかにバラバラになっているのか仄めかしているのです。言い換えれば、誰が主導権を持っているのかハッキリしない。ティフアナ・フアレス・メヒコ湾の三大カルテルがあった90年代とは違います。今や事態は遥かに複雑です。それにも拘わらず、今カルテルは当時よりもさらに暴力的です。
Freedom:そのことが構造の分権化とどのように関係しているのでしょうか?以前の構造では与えられなかった弾力性をどのように与えてくれるのでしょうか?
BW:良い質問です。私がチアパスにいたらもっと良い答えを出せたかもしれませんが、私はそこにいないので、一般的に言います。中央集権では敵に攻撃目標を与えることになりますよね?分権化の推進によって、攻撃目標が分散し、運動に弾力性を与えることができる。新しい準軍事グループが標的にできるようなサパティスタ組織の中心的焦点はなくなる--実際、これらのグループが新しいのかどうか、私には分かりません。というのも、先ほどお伝えした通り、PRIは地元の準軍事グループと公式軍隊との同盟を維持する接着剤のようなもので、PRIが権力を失うと、麻薬カルテルは、少なくともある程度まで、停滞状態に陥ったからです。では、その繋がりはどの程度残っているのでしょうか?もちろん、これはもっと大きな疑問、麻薬カルテルと国家の関係というもっと大きな問題と関わっています。
カルデロンは麻薬カルテルに軍をけしかけつつ、同時に、彼の官僚の多くが、軍関係者を含め、麻薬カルテルに取り込まれていたと明らかになっています。メヒコの様々な地域で麻薬カルテルの殺し屋と民兵が州警察や連邦警察の制服を着ている。このような極度に邪悪な展開があったのです。こうした制服はどこから手に入れているのでしょうか?模造品なのでしょうか、それとも、実際に本物の制服を手に入れているのでしょうか?これは興味深い疑問です。準軍事組織と公式軍隊との間にかつてあった反サパティスタ連携はどの程度まで今も生きているのでしょうか?
Freedom:これは、麻薬カルテルや民兵のようなヒエラルキー型非国家もしくは半国家主体に、分権型で反ヒエラルキーの非国家主体がどのように戦えるのかという問題を提起しています。これはアナキズムに対する典型的反論です。「警察がいなくなって、ギャングがやってきたらどうするのか?」今回の変化はサパティスタの答えを示しているのでしょうか、それとも、サパティスタは答えを持っていないと示しているのでしょうか?
BW:前者だと思います。そう、これが回答です、と言えるでしょう。つまり、ほら、サパティスタには多くの批判があるじゃないですか。いわゆる極左とか、メヒコだとウルトラスと呼ばれている連中からです。彼等によれば、1994年に、政府を転覆して民族革命を起こし、メヒコシティをデモするという大きな野望を持って始まったのに、言うまでもなく、実行していない。だから、ウルトラスはサパティスタを、実際は「武装した改良主義者」だと嘲笑している。しかし、私はそのように考えていません。既に述べたように、サパティスタは主に、メヒコの民主的幕開けを惹起し、憲法改正をさせました。サパティスタは要求が満たされたと考えてはいないものの、それでも、メヒコ憲法下で先住民コミュニティに大きな自治権が与えられているのです。
結局、最も重要なのは、チアパスで戦争も平和もない状態が数世代にわたって現在まで続く中で、限界に直面しながらも、自治区の維持に成功しているということです。チアパス州内には今も広大な土地があります。大部分が貧困で辺境で辺鄙な地域ではありますが、山岳地帯やジャングルの広大な領土は政府の管理下にありません。中央政府でも、州政府でも、「公式的」自治体政府でもない。サパティスタは基礎コミュニティの統治下にあるのです。だから、彼等は既にかなりの弾力性を実現していると思います。あらゆるプレッシャーに直面しても、特に準軍事グループからの軍事圧力、時には政府の敵対的軍事活動による軍事圧力に直面していても、彼等は自分達の領土に踏み留まり続けられているのです。
彼等は自分達が自治に関して何を行っているのか分かっていると思います。様々な事実がこれを証明していると思います。新しい構造を整え、今発表したところですが、既にしばらく前から実施されているのではないでしょうか。恐らく、州の最小地域単位、基礎コミュニティに根差したものとして自然発生的に発展し始めたのでしょう。この構造はより有機的であり、従って、もっと弾力性を持っています。
これに関連して、サパティスタ内の先住民指導部全般関わる疑問があります。いわゆる「幹部」の役割は何だったのか、もしくはその現在の役割は何か。悪名高きマルコス副司令官は数年前に「自分自身を廃止」し、運動の新たな代弁者はガレアーノ副司令官になると述べたのですが、誰もがマルコスが新しい名前で書いているだけだと思い込んでいました。
しかし、今、最新のコミュニケを公布したのはモイセス副司令官です。モイセスは運動に最初から関わり、初期の先住民族指導者の一人でした。彼はツェルタル゠マヤ族だと思います。また、彼は、運動の軍事組織「先住民革命秘密委員会(CCRI)」の指揮命令系統で司令塔の一人でした。従って、この全面的再編過程の中で、マヤ族がさらに本領を発揮して、運動を実際に指導するようになっているのかもしれないという感じもします。逆に、彼等が存在し続けている限り、メスティーソ幹部の存在意義は薄れてきています。
Freedom:チアパスと、戦時下の様々な分権型革命組織--例えば、現代のロジャヴァの情況・スペイン内戦におけるカタルーニャやロシア革命中のウクライナのマフノ叛乱運動といった歴史的事例--の経験とには明らかな類似点があります。分権型自治の可能性の条件に付いてこうした事例から何か一般的洞察を得られるでしょうか?
BW:思うに、その違いは、一世紀前のウクライナの情況とは逆に、そして今日のロジャヴァのクルド人とは逆に、サパティスタが自分達の土地を防衛するために直接的軍事闘争を行わないようにしてきた点にあります。そして、それに必然的に伴う政治的ゴタゴタで手を汚さねばなりません。というか、私がこれを言うとアナキストは嫌がるのですが、事実として、ロジャヴァのクルド人は米帝に支援され、隊列には米国特殊部隊が組み込まれ、ISISに対する軍事キャンペーンをペンタゴンと調整しています。
同様に、マフノ叛乱運動は、白軍やウクライナ民族主義者と戦うために赤軍と協定を結ばねばなりませんでした。結局は裏切られてしまうのですが。同じことがスペインにも言えます。カタルーニャのアナキストは、フランコ軍と戦うためにマドリーの人民戦線政府と取引しなければならなかった。そして、人民戦線政府に裏切られ、フランコが政権を握る前に潰されてしまった。サパティスタはある程度までこれを避けてきました。世界の中でも辺鄙で辺境で余り戦略的ではない場所にいるという幸運に恵まれたに過ぎないのですが。ただ、石油があります。現在ここを戦略上重要なものにしている一つが、石油がグアテマラ国境沿いにあり、麻薬カルテルにとって魅力的なものになっているという事実です。従って、ある程度まで、今サパティスタはゴタゴタの領域に引き込まれる可能性があります。これまでのところは、ほぼ回避できています。
Freedom:分権化がコミュニティを強制から守る活動だとすれば、孤立主義の危険をはらんでいると思います。しかし、サパティスタは分権化を通して国際主義の観点を維持しようとしているように見えます。サパティスタが地元活動と世界情勢とをどのようにリンクさせ続けているのかコメント頂けますか?
BW:サパティスタはメヒコの政治的幕開けの口火を切ったと申し上げました。私が思うに、彼等は国際的舞台の政治的幕開けの口火も切ったのです。1999年のシアトル抗議行動で頂点を迎えた反グローバリゼーション運動は、サパティスタに大きく触発されていました。言うまでもなく、サパティスタは1994年1月1日の北米自由貿易協定(NAFTA)発効に合わせて蜂起したのです。彼等は長年国際的結び付きを維持してきました。この結び付きを「銀河間の出会い(インターギャラクティック゠エンクエントロス)」と称して、世界中から活動家を自分達の領土に連れて来ています。明らかに、国際主義と多文化主義の精神です。ロジャヴァのクルド人といった他の運動との使者の交流もしています。これは本当に、本当に励みになっています。
さて、11月6日の最初のコミュニケで、この新しい自治構造を導入すると発表した時、彼等は部外者に対して領土を閉鎖すると述べていました。私は、もしかしたら、彼等は世界から引きこもり、国際主義倫理を放棄し、もっと孤立し、鎖国状態になると示しているのではないかと少々心配しました。しかし、新しいコミュニケは違いました。これは、新しい体制への移行を進める上での一時的措置だと思っています。彼等は何らかの形で「銀河間」精神を維持すると思います。
--インタビュアーはウリ゠ゴードン
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