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戦争・専制政治・社会変革の中で:ロシアのアナキスト黒十字

原文:https://freedomnews.org.uk/2024/08/30/through-war-despotism-and-social-change-russias-anarchist-black-cross/
原文掲載日:2024年8月30日
インタビュアー:シーン゠パターソン

今年のアナキスト受刑者国際連帯週間のために、フリーダムはアナキスト黒十字(ABC)モスクワにインタビューし、投獄されたロシア人アナキストをロシアで支援してきた長い歴史・プーチン政権下で直面する課題・ウクライナに対する戦争中の活動について意見を交わした。


ロシアには政治囚と政治囚を支援する活動家双方を弾圧してきた長い歴史があります。実際、ロシアは、後にアナキスト黒十字(ABC)になったアナキスト赤十字発祥の地です。ロシアにおけるABCの歴史的起源・活動・ロシアにおける重要性について読者に紹介してもらえますか?

 一般的に、19世紀には、政治囚を支援するグループは「政治的赤十字」を名乗っていました。そうした組織の一つが、1876年のピョトール゠クロポトキン脱獄を助けたのです。
 1905年~1907年の革命的出来事の後、ロシアでは数万人が投獄され、受刑者擁護の必要性が高まりました。アナキスト達は、政治的赤十字がアナキスト受刑者よりも他の社会主義者受刑者を優先していると感じ、独自の組織をロシア国内外に設立したのです。特に活発だったのが、英米にあるロシア系移民とユダヤ系移民の中心地です。1917年の二月革命が起こり、旧ロシア帝国の政治囚全員が解放されると、こうした組織は活動を停止しました。しかし、1918年の春には既に、ボルシェヴィキに弾圧された同志達を支援する新たな組織を立ち上げねばならなくなり、アナキスト黒十字(ABC)という名で組織を設立したのです。
 ロシアのABCの活動は100年前と大差ありません。受刑者への経済的支援と連絡です。唯一の違いは、20世紀前半にはロシアに数百人のアナキスト受刑者がいたのですが、現在は、20人に満たないという点ですね。
 ソ連にいるアナキストが次々に投獄されたり、移住を余儀なくされたりしたため、支援組織は国外に拠点を置くようになりました。アレクサンダー゠バークマン支援基金のような組織はABCの名前を使っていませんでしたが、同じ系列の組織でした。
 1937年の大粛清で、アナキスト受刑者の大部分と連絡を取れなくなりました。処刑されたからです。1940年頃には、ソ連国外から受刑者と連絡することは全て禁止されました。ソヴィエト連邦にいるアナキスト政治囚の支援は不可能になり、連帯の焦点は、他の国、例えばスペインのアナキスト受刑者に移ったのです。
 アレクサンダー゠バークマン支援基金は1970年代まで活動を続けました。一方、ABCの名を使った最初の現代的グループは、1967年にアルバート゠メルツァースチュワート゠クリスティ等の人達が設立しました。このグループは、イタリアやドイツ等の国々に瞬く間に広がり、それ以降、ABCの名の下で様々なグループの活動が継続しています。

ABCモスクワについて具体的に教えてもらえますか?いつ、どのように始まったのでしょうか?創設の理念は何ですか?設立当初、組織的な障害に直面したのでしょうか?

 ABCモスクワは2003年に設立されました。「新たな革命の選択肢(NRA)」のメンバーに対する裁判がきっかけです。NRAはアナキストと権威主義的マルクス主義者で構成される武装集団で、モスクワとモスクワ地方で象徴的爆破作戦を展開していました。最も有名な行動は1998年にモスクワ中心部にあるルビャンカ広場近くのロシア連邦保安庁(FSB)のレセプションビルを爆破した作戦です。私達はNRAメンバーのアナキストを支援していましたが、国外のアナキスト受刑者も支援すべく、より長期的なグループを設立することにしたのです。
 私達の基本的考えはウェブサイトに掲載されています。これは過去20年間ほとんど変わっていません。私達が誰を支援するのか概要を説明しましょう:

私達は、アナキズム理念と矛盾しない政治活動や行動によって迫害されているすべての反権威主義者とその支持者を支援する。可能な時ならいつでも、服役中に反権威主義者になった受刑者も、生活のために・支配階級の専制主義との闘争で法を破らざるを得なかったいわゆる「社会的受刑者」も、刑務所‐産業複合体と内部から闘争している受刑者も支援する。

 ただ、実際には、リストされたグループ全てを支援出来てはいません。
 今年まで、当局から深刻な挑戦を受けることはほとんどありませんでした。最初の数年間、私達の物資を受け取った後にヤロスラヴリで逮捕された同志が、警官に殴打された事件がありました。ABCモスクワの背後に誰がいるのか突き止めようとしたのです。しかし、この事件以外には、私達のグループに対する深刻な脅威は一度もありません。2022年まで、自分達の安全についてさほど懸念してはいませんでした。もっとも、私達のグループは公然と活動していたわけではなかったのですが。
 現在、21年経ったわけですが、私達は世界で最も古いABCグループの一つです。恐らくブライトンのグループも古いと思いますし、米国のABC連盟にはもっと古い支部がありますね。

ソ連崩壊後、アナキストの投獄はいつ始まったのですか?当局は常にアナキストを標的にしているのでしょうか、それとも、時間が経つにつれ投獄レベルは悪化しているのでしょうか?

 新しいロシアが設立されるとすぐに新ロシアでのアナキスト受刑者の闘争は始まりました。最初の大規模なキャンペーンはロディオノフとクズネツォフという2人のパンクスのためのものでした。彼等は、ソ連によるテロの犠牲者のために行われた1991年3月のデモを警察が襲撃した際に、剃刀とペンナイフで身を守ったとして告発されたのです。キャンペーンが始まったのは彼等の判決が出た後の1992年2月、ソ連崩壊から2カ月と経たない時期です。連帯キャンペーンは広く注目を集め、刑期短縮に成功しました。

『フリーダム』1992年10月31日号の報告

 1998年~1999年のNRA事件の前にはクラスノダール事件がありました。保守派のクラスノダール地方知事コンドラチェンコの殺害を企てたとしてアナキストが告発されたのです。ラリサ゠シプツォワ(後にロマノワ)は、弁護士のスタニスラフ゠マルケロフ(2009年にナチスに殺害された)に弁護されて、執行猶予判決を受けました。ロマノワは最終的にNRA事件で懲役6年の判決を受けました。
 2004年には第2のクラスノダール事件が起きました。1995年にクラスノダールで創刊された雑誌『アフトノム』の編集者2人に当局が麻薬を仕込んだのです。編集者達は警備の緩い刑務所での短期刑を言い渡され、雑誌はモスクワに移転せざるを得なくなりました。
 約20年間、『アフトノム』は最大発行部数を誇るアナキスト雑誌でしたが、2022年の全面侵攻以後、休刊を余儀なくされました。それまで、この雑誌は、3つの号が発禁処分を受けたものの、当局と大きなトラブルはありませんでした。
 ABCモスクワは『アフトノム』と常に緊密に協力していました。この雑誌は黒十字から提供された資料を掲載し、ABCモスクワは『アフトノム』ウェブサイトに専用のセクションを設けていました。『アフトノム』を中心として、リバータリアン共産主義グループ「自律行動」が組織されました。「自律行動」は、2010年代にアナキズム運動で組織という概念が衰退するまで、ロシア最大のアナキスト組織でした。ABCモスクワは「自律行動」と緊密に協力していたのです。
 2000年代初頭、国家によるアナキストと反ファシストへの弾圧は断続的だったため、ABCモスクワは国際的な闘争に参加する余裕がありました。例えば、2005年に私達は、ドイツのアーヘンで行われたスペインのアナキスト逃亡者ホセ゠フェルナンデス゠デルガドとガブリエル゠ポンボ゠ダ゠シルバ、そして彼等の同志バート゠デ゠ギーターの公判を訪れ、この事件や世界中のアナキストに対する事件を翻訳しました(PDF)。
 パヴェル゠デリドンはアナキスト同志で、2007年にスタールイ゠オスコルで上司が支払う賃金を着服しようとして4年半の懲役刑を受けました。この事件はABCを再生する上で重要でした。モスクワにいる彼の友人達がABCに参加して、彼の支援を組織すると決めたのです。デリドンを弁護したのもスタニスラフ゠マルケロフでした。
 2000年代の最後の数年間、ABCはアンティファへの弾圧への対応に忙殺されていました。アンティファは1990年代後半にモスクワ・ヴォルシュク・クラスノダールで初めて出現しました。ナチスとの対立の規模と激しさは徐々に増大し、ナチスはモスクワとサンクトペテルブルクで反ファシストに対する標的型の暗殺を始めました。以前は無関心だった当局も関与するようになり、多くの反ファシストが投獄されたのです。
 スタニスラフ゠マルケロフは何度もアンティファの弁護士に選ばれているだけでなく、まさにこの運動の活動家でもありました。彼は匿名で『反ファシストの赤本』を書きました。闘争の原則を概説した小さなパンフレットです。マルケロフ自身はアナキストではなく、アナキストに同調する左翼で、アナキズムの歴史に精通していました。彼は、結局、ナチスの暗殺リストに載り、2009年にアナスタシア゠バブロワ(アナキストで「自律行動」のメンバー)と共に殺害されました。マルケロフの殺害はABCモスクワにとって大打撃でした。それ以来、私達は今も立ち直れていません。彼ほど信頼できる弁護士の同志がいないという意味です。マルケロフは無料で弁護をしたわけではありません。政治的告発を受けた政治的な人達を弁護する方法を理解している弁護士を見つけるのは本当に難しいのです。

 2017年~2018年にペンザとサンクトペテルブルクで起きたアナキストに対する「ネットワーク」事件は悪い意味で大きな転機となりました。イスラム原理主義者・国家ボルシェヴィキ・ナチスは既に20年前から日常的に尋問で告白を強要されていましたが、現代ロシアでアナキストが組織的な拷問の対象となったのはこれが初めてでした。この事件によって、アナキズム運動は活性化し、数年間、運動の大部分が弁護活動に参加したのですが、結局は徒労に終わりました。被告は全員、検察が要求し、明らかにFSBが決めたと思われる判決を受けたのです。
 拷問と厳しい判決は、恐らく、2008年~2014年にかけてロシア全土で起こったアナキストによる蜂起的直接行動の波に対する当局の復讐だったと思います。当時、誰も逮捕されなかったのですから。運動とってもう一つの打撃は、「ネットワーク」事件の逃亡者の一人が、2017年にリャザンで起きた麻薬がらみの二重殺人事件に関係していたと発覚したことです。被告の大半はこの殺人事件と何の関係もなかったのですが、このためにロシアの広範な反対運動にあった被告人への連帯はほぼ消滅してしまいました。
 「ネットワーク」事件を阻止できなかったために、その後のパターンが設定されてしまいました。2022年、当局は、今回、チュメニ・エカテリンブルク・スルグトで別な地下「アナキスト組織」をでっち上げました(チュメニ事件)。被告人全員が拷問され、この事件は現在裁判中です。今、当局に狙われたアナキストは誰であれ拷問され、罪状をでっち上げられ、数十年の懲役刑に処せられると予想されています。

刑務所の廃止をどのように定義しますか、また、この考えに一度も出会ったことのない人達にこの目標の重要性をどのように説明しますか?

 私達は全ての刑務所に反対しています。しかし、世界中の他のABCグループの多くとは異なり、収監の批判とその代案、修復的司法や変革的司法にそれほど集中してきませんでした。私達の活動は、弾圧された同志達に対する非常に実際的な支援活動に集中しているため、残念ながら、私達はこの問題に対して賢明な答えを出せません。
 私達は、プーチンとそのチェキスト、オルガルヒとマフィア仲間に対して、いかなる修復的・変革的説明責任プロセスも行えると思っていません。逆に、厳しい報復があるでしょう。ただ、現在、私達はこの目標から遠く離れているので、彼等に対する適切な罰がどのようなものか論じるのは意味がありません。

ABCモスクワはアナキスト受刑者に対してどのようなサービスを提供していますか?どのようなイベントを開催していますか?

 私達は小さなグループで、弾圧のケースを全面的に担当することは滅多にありません。むしろ、大抵の場合、一種の情報交換所・資金集配センターのようなもので、受刑者に弁護士と小包を提供している友人や家族と国際的アナキスト゠コミュニティとの仲介をしています。多くの場合、受刑者の家族が弁護費用を最も負担しています。知名度の高い受刑者の多くには専門の支援グループとキャンペーンがあります。私達はそうした人達の募金活動といったニュースを広めようとしています。
 ロシアで手紙の書き方講座・映画上映会・コンサートといった受刑者支援イベントの開催はまだ可能ですが、時として、当局に踏み込まれることもあります。ただ、私達のグループへの注目が高まっているため、私達はそうしたイベントやオフラインイベントを開催する際にグループの名前を使っていません。

あなた方の組織で注目すべき成功例や特に強調したい事例がありますか?

 支援キャンペーンによって誰かが釈放されるということは本当に稀です。通常、私達は、弁護士の面会や手紙を通じて受刑者にライフラインを提供するといったささやかな「成功」に満足しなければなりません。
 例外の一つがヒムキ事件でした。モスクワからサンクトペテルブルクへの新しい高速道路建設に反対した2010年のキャンペーン中に、反ファシストのアレクセイ゠ガスカロフとマキシム゠ソロポフが、市政に対する暴動を組織したとして告発されました。ガスカロフは無罪となり、ソロポフは非常に寛大な2年の執行猶予付き判決を受けました。しかし、この判決のどこまでが支援キャンペーンのおかげなのかは何とも言えませんね。

ウクライナでの戦争は、ロシア国内でのABCモスクワの活動能力にどのような影響を与えていますか?2024年初頭、ロシア連邦はABCをいわゆる「望ましくない組織」に指定しました。このレッテルはABCのロシア国内の地方支部に適用されているのですか?そして、あなた方の活動に実際的な影響はありましたか?

 私達は、このラベルがロシア国内の地方支部に適用されているかどうか調べるつもりはありません!
 実際、「望ましくない」とレッテル貼りされたのは米国の「アナキスト黒十字連盟(ABCF)」です。ロシア当局のこのような動きを誘発したのは、もしかすると、ロスアンゼルス支部による私達への寄付だったかもしれません。ABCFは主に米国内の事件で多忙にしています。欧州とロシアのABCグループは全て互いに独立して活動しており、連合していません。こうしたことをロシア当局が認識しているのかどうかは分かりません。しかし、明らかに、この動きの目標は、ロシア国内のABCグループ全てを弾圧の対象とすることです。
 これは私達に対する重大な警告です。多分、さらに深刻な前兆は反戦活動家ウラジミール゠セルゲーエフの拷問でしょう。セルゲーエフはモスクワの反戦集会でパトカーに放火しようとしたとして8年近い懲役刑を言い渡されました。判決後、彼はシベリアの刑務所に送られ、刑期を過ごすことになりました。2月にクラスノヤルスク刑務所にいた時、当局は刑務所運営に協力するよう彼に圧力を掛け、彼は拷問されたのです。
 彼は反戦直接行動受刑者として知られる最初の受刑者の一人で、元々はこうした受刑者の支援はABCの名の下に行われていました。しかし、最終的に、アナキスト達が新たな支援組織「連帯ゾーン」を反戦直接行動受刑者(大部分の受刑者はアナキストではありません)のために組織しました。
 どうやら、ABCからの手紙は2年近く経っても当局にとって興味深いようで、セルゲーエフはABC等について尋問を受けていました。これは、当局がロシア国内でのABCの活動全てを潰そうとしているもう一つの兆候でもあります。
 このため、私達は自分達のセキュリティ上の懸念を大幅に高めねばならなくなり、新たな事件を引き受けられなくなる等、様々な困難を招いています。現在、私達のメンバー全員がロシアからの移住を余儀なくされ、アナキスト受刑者の数も直接行動受刑者の数も増え続ける一方なのに、以前よりもずっと少ない活動しかできない状態です。

他のグループと活動を調整していますか?国外のABC支部との連帯をどのように推進していますか?

 他のABCグループとの情報交換をしています。ABCグループの間でより効果的に協力するために様々な取り組みがなされています。例えば、「国際アナキスト防衛基金」がそうです。しかし、こうした取り組みへの私達の参加は限られています。
 残念ながら、私達は長い間ロシアにおける弾圧の問題に忙殺され、他の国のアナキスト受刑者へ連帯を提供することがほとんどできないでいます。

あなたの組織と投獄されているロシア人アナキストに対して、国際コミュニティがどのように支援するのが最善でしょうか?

 主に、情報を拡散する・受刑者に支援メールを送る・弁護士費用と小包費用を寄付する、という3つの方法があります。
 ニュースについては、私達のウェブサイトの英語ニュース゠セクションをチェックしてください。ただ、ロシア語バージョンの方が頻繁に更新されており、自動翻訳を使えば最新ニュースを追えますが。
 また、私達が現在支援している受刑者のリストとその郵送先も私達のサイトにあります。
 Prisonmail.onlineというサービスを使えば、多くのロシア人政治囚にオンラインでメールを送ることができます。英語のインターフェイスもあります。ただ、手紙はロシア語で書かねばなりませんが、様々な自動翻訳サービスを使えば良いでしょう。今では、かなり良い翻訳をしてくれますからね。欧州の多くの国がロシアへの郵送サービスを停止しているのでご注意ください。
 受刑者を選んで定期的に文通するのは、例えば、自分の生活情況のためにグループへの参加が難しい場合に、連帯を示す優れた方法です。
 私達の寄付のガイドラインはこちらを参照してください:https://wiki.avtonom.org/en/index.php/Donate

最後に読者へのコメントをお願いします。

 インタビュー、ありがとうございました!アナキスト受刑者の数はロシアだけでなく、他の国々でも増えています。地元のABC支部を支援し続けてください!

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