第十五章 革命的規律について
原文:http://www.spunk.org/texts/writers/makhno/sp001781/chap15.html
初出:Dyelo Truda(労働者の大義)、第7~8号、1925年12月~1926年1月、6ページ
何人かの同志が私に次のような質問をしてきた。あなたは革命的規律をどのように考えているのか?この質問に答えよう。
私にとって革命的規律とは、全ての人に等しく課せられ、厳密に規定された集団活動の文脈で定められる個人の自己規律を意味する。
これが集団の成員が責任を負うべき政策路線でなければならない。これによって実践と理論が正確に一致するのである。
組織内の規律がなければ、重要な革命活動を全く行えなくなる。規律なしに革命的前衛は存在できない。何故なら、こうした場合、前衛の実践は全くの混乱に陥り、目下の課題を特定できず、大衆が前衛に期待する主唱者としての役割も果たせなくなるからだ。
私は一貫した革命的実践の観察と経験を背景にこの問題を想定している。私の基盤にはロシア革命の経験がある。ロシア革命は多くの点で本質的にリバータリアンの内実を含んでいた。
アナキストが組織的条件の中で密接に連携をとり、その活動において明確に規定された規律を厳密に遵守していたなら、このような大敗北に見舞われはしなかったろう。しかし、「あらゆる信条と傾向を持つ」アナキストは(特定の集団においてさえも)明確な行動方針を持った一つの均質的集団にならなかったが故に、まさにこの理由のために、革命的情況が課した政治的・戦略的精査に耐えられなかった。組織の崩壊がアナキストを政治的無能者に変え、アナキストは二種類に分かれた。第一は、ブルジョア財産の組織的占領に身を投じ、そこに家を建て、快適に暮らした人々である。こうした人々を私は「観光客」と呼んでいる。様々なアナキストが町から町へと駆けずり回り、途中で当面の住処を見つけようと当て込み、快適で安楽に生活すべく暇に任せてできるだけ長くぶらぶらしていた。
第二の種類は、アナキズムとの現実的繋がりを全て断ち切った人々である(ただ、ソ連内部に留まった人々の中には、革命的アナキズムの唯一の代表者だと偽っている者も少数いる)。そして、革命家としての資質に忠実であり続けたアナキスト達がボルシェヴィキの裏切りを非難し、ボルシェヴィキ当局に銃殺された時でさえも、ボルシェヴィキが提示したポジションに堂々と飛びついたのである。
こうした事実を鑑みれば、私が現在仲間内で出会う無頓着と怠慢に平然としていられない理由を容易く理解できるだろう。
一つには、この態度が革命の中でアナキストが正当な地位を占められるような一貫したリバータリアン集団の創設を阻害しているからであり、もう一つには、私達が洗練された言葉と壮大な理念を何とか作り上げても、行動の時が来ると消え失せてしまう情況を導いているからだ。
だから、私は友愛的規律の原則に立脚したリバータリアン組織について語っているのである。こうした組織は、現存する革命的アナキズム諸勢力間に不可欠な理解を導き、資本に対する労働の闘争で正当な地位を占める手助けをするだろう。
このようにして初めて、リバータリアン思想は大衆の支持を獲得し、弱体化しないですむようになる。頭が空っぽで無責任なお喋り屋だけがこうした組織創設に尻込みするのだ。
組織的責任と規律に議論の余地はない。これらは社会的アナキズムを実践する旅の道連れなのである。