コミュナリズム:解放的代案(3)
ヒエラルキー
既に述べたように、ヒエラルキーは制度化された社会関係から成り立っている。ヒエラルキー型の諸関係は、同時に、ピラミッド型のメンタリティを伴う。そこでは、相違が対立的に位置付けられる。初期の人間社会では、年齢やジェンダーのような人間間のあらゆる生物学的相違は、集団の団結と生存を促すよう組織されていた。時間の経過と共に、ゆっくりと不規則な過程を経て、人間関係は変化し、性差別主義・人種差別主義・同性愛嫌悪・能力主義などの現在私達が知っている苛酷なヒエラルキー諸形態へと制度化された。(原註6)
ヒエラルキーが最初に出現したのは、かなり温和な老人支配からだった。そこでは、地域社会の長老が若者に対して意思決定を行っていた。男性と女性の関係は区別されていたが、補完的な形だった。これが集団全体の調和を維持していた。こうした役割バランスが変わり始めたのは、男性の市民領域が拡大し、女性の家庭領域に侵入してきた時だった。この社会的文脈は父親中心性(patricentricity)として知られている。時間の経過と共に、人口増加のような他の要因によって男性の地位が高まり、部族間会戦の拡大と戦争の蔓延を導いた。社会が階級へと階層化されると、王の身分と君主政治が形成された。人種差別イデオロギーが成長し、支持者を獲得していった。欧州人が、生物学的人種という架空の信念を広め、人はその人種グループに応じて本質的特徴を持つと主張したのである。この信念が白人と有色人の重層化した秩序を導き、白人は非白人よりも優れており、非白人を犠牲にして利益を手に入れるとされた。(原註7)
この略史は、現代社会で私達がどのような情況にいるか理解するための文脈を示している。ヒエラルキーの破壊的効果は、戦争・大量虐殺・奴隷制といった事例に明々白々である。しかし、ヒエラルキーは当たり前のようにして、さりげなく私達の生活に染み込み、相互の人間関係や人間以外の自然との関係を破壊している。ヒエラルキー社会での個人の経験は、抑圧と特権の混合で形作られかねない。確かに、ある種の集団にいる人は、他者よりも大きな特権を行使している。ヒエラルキーを強化するのは、他者の生活を統制する力を持つ人々からなる特権的集団である。
さらに、ヒエラルキー型のメンタリティは、人が環境諸問題について考えるやり方に影響を与えてきた。ヒエラルキーと支配の勃興は、環境は人間界とは異質であり、人間は環境を支配できる、という考えの基になった。自然を支配するという考えに拍車をかけているのが、自然界は静的物体で、人間が飼い慣らし征服できるという誤った認識である。現代で良く知られているイデオロギーの多くは、リバタリアニズムからマルクス主義まで、自由を実現するには環境の支配が必要だと論じていた。しかし、環境支配の社会的起源を認識し、こうしたヒエラルキー型階級構造を変革しない限り、現代の諸問題は増加し、自由は不可能となるだろう。(原註8)
強調しなければならない。ヒエラルキーは、共生と多様性に向かう自然の傾向と対極にある。ヒエラルキーは昔から常に存在しているわけではなく、突然湧き出たわけでもない。歴史を通じて、社会が協力の方向に向かい得た時点がいくつかあった。その時点で、人々は自由を実現しようと戦い、死んでいった。ヒエラルキーは、何千年もの間に断続的に発達し、国民国家・現代資本主義・大規模な環境破壊と共にその絶頂期に到達したのである。
原註6.The Ecology of Freedom - p.80-129
・Remaking Society - p.30-53(「エコロジーと社会」、39~70ページ)
原註7.The Ecology of Freedom - p.130-214
・Remaking Society - p.54-94(「エコロジーと社会」、70~124ページ)
原註8. Remaking Society - p.44-46, 154(「エコロジーと社会」、57~60ページ、205ページ)