入植者が市民になる時:入植者植民地主義の悲劇
原文:https://africasacountry.com/2023/10/when-settlers-become-civilians
原文掲載日:2023年10月13日
著者:モハンメド゠ジャメール゠アブドゥラ
入植者が最初に到着すると、土地を奪われた人々に宇宙的暴力が降りかかる。
入植者は人々に破壊・死・荒廃をもたらす。歴史・知識・精神性・人間性は抹消され、無に帰す。入植者は原罪を制定し、民族の天命は「可能性」だったのに「持たざる者」にされてしまう。
それ故、入植者は「持たざる者」の明確な敵だ。侵略者。人殺し。泥棒。これが意味するのは戦争だけだ。引喩ではない。全ての線は明瞭だ。入植者問題の論理帰結は明快だ。
しかし、剥奪の原罪が生じてから何年も何十年も何世紀も経つと、二次的茶番が「持たざる者」に降りかかる。
入植者は、定住後に家族を作り、コミュニティを築き、独自の歴史を発展させ、その土地を学び、その土地との関係を作る。中には「持たざる者」と交じり合う人すらいる--それはパートナー関係だったり、経験の共有だったり、人間関係だったり、政治的忠誠心だったりする。
この段階でも原罪はまだある。しかし、「持たざる者」の相手は、撲滅しようと武器を振り回す暴徒ではない。今や相手にしているのは、その場所への帰属意識を持つようになった子供達、暴力の受益者達だ。この受益者達は、今や、「可能性」の未来に突き進んでいる。一定条件下であれば「持たざる者」の一部もそこに参加しているかもしれない。
第二の宇宙的暴力が「持たざる者」に降りかかる。侵略者は普通の人になった。征服は完了した。入植者は民間人になった。
この悲劇が起きると、原罪の解決は果てしなく複雑になる。入職者問題の論理帰結を追求すれば戦争になる。民間人に対して戦争の態度を取るなど、常識的道徳に反する。
原罪に対する正義の途を追求すると、第三の宇宙的戦慄が「持たざる者」に降りかかる。「持たざる者」はテロリストになるのである。
モハンメド゠ジャメール゠アブドゥラはケープタウンのTshisimani Centre for Activist Educationでソーシャルメディア専門家・コンテンツ゠クリエイター・デジタル゠アクティヴィズム教育者として働いている。