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ネオファシズムは叛乱という偽りの外套を着る

原文:https://freedomnews.org.uk/2024/09/03/neo-fascisms-false-mantle-of-insurrection/
原文掲載日:2024年9月3日
著者:ブレードランナー

極右は「叛乱」をしているのではない。白人至上主義を支持するためにパフォーマンスで暴力をしているだけだ。

この夏、英国で起きた外国人排斥騒動は、「民衆の暴動」を演出しようとする厄介な試みであり、看過するわけにはいかない。私達の敵は、叛乱の言葉と戦術を取り入れて、白人至上主義を守ろうとしている。「叛乱」は次第に、トランプのような下劣な資本主義者の権力を回復する戦いだの、トミー゠ロビンソンのようなソーシャルメディアを原動力とする扇動者の下に結集するといったような、反動的保守主義を意味するようになるかもしれない。

ネオファシズムの台頭を組織的に培い・維持しているのは、権力システムである。その根幹は、欧州の植民地拡大と植民地支配に起因するファシズム・レイシズムの歴史的パターン拙訳)に深く根差している。現代の帝国主義戦争は移民の大量移住を引き起こしている。移民は、先進的な消費主義の都心部という天国に到達することを夢見ている。現代国民国家の枠組みで多様なアイデンティティと文化が統合されたことは一度もなく、「私達」と「彼等」との間で煮えたぎる憎悪をもたらしている。

特に陰湿なのは、英国のネオファシズムの台頭を、あたかも「イスラムの侵略」を正当に憂慮する人々の自然発生的蜂起であるかのように、メディアが仕立て上げている点にある。実際には、ここで取り込まれているのは叛乱という概念そのものである。抑圧されている側が抑圧者に対して立ち上がる。この叛乱の本質は剥ぎ取られ、空虚なスペクタクルにすり替えられている。単なる暴力のパフォーマンス、多くの場合は警察と様々な過激派の衝突として描かれるのだ。

問題は、叛乱がアナキストの独占領域だという点ではなく、階級戦争・国家弾圧・戦争・大量虐殺・緊縮財政などあらゆる形態の強制された不正に対する闘争で、抑圧されている側にとって不可欠な戦術だという点にある。抑圧されている側が抵抗する時、彼等は、権力体制が課す残酷な現実に直面し、必要に迫られて抵抗するのである。

逆に、警察に石を投げたり、反ファシストと衝突したりするネオファシストは、この抵抗の一部ではない。彼等は国家権力の執行者であり、ナショナリスト白人至上主義の現状を支持している。

私達は、パレスチナ被占領地での第1次インティファーダと1990年のサパティスタ叛乱拙訳)から、アルゼンチン・チリ・ギリシャ・スペイン・エジプト・トルコ・香港での民衆蜂起まで、近年の歴史で本物の叛乱の波を目にしている。こうした出来事は、多くの人々が叛乱について真剣に考えるきっかけになり、将来の革命の種は今日の叛乱に植えられかもしれないという希望をアナキストに与えた。

本物の民衆叛乱がどのようなものか忘れてしまう危機に瀕しているのなら、進行中のバングラディシュの闘争拙訳)にインスピレーションを見つけてはいかがだろうか。この闘争はインドネシアで起こっている闘争の火種かもしれない。あるいは、組織的暴力やエコサイドと戦う世界中の局所的運動が持つ多様な戦術にインスピレーションを見つけてはどうだろう。記憶が役に立たないのなら、自分達の想像力を使い、叛逆の魂を再発見し、再生しなければならない。


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