オリンピックは誰のため?
原文:https://africasacountry.com/2024/07/who-are-the-olympics-for
原文掲載日:2024年7月24日
著者:マハール゠メザヒ(Maher Mezahi)
一体感というイメージの裏で、世界最大のスポーツの祭典は未だ差別と排除に悩まされている。
画像はルカ゠ドュガロ(Luca Dugaro)。Unsplashより。
金曜日の夜(訳註:日本時間では土曜日の午前2時30分)、世界の注目は夏季オリンピックの開会式に集まるだろう。近代オリンピックの父、ピエール゠ド゠クーベルタンの誕生地、パリに戻ってくるからだ。128年の歴史の中で、ド゠クーベルタンのオリンピアードはかなり劇的な変化を経験してきた。1896年にアテネで開催された第1回大会には僅か12カ国しか参加しなかったが、今夏のパリ大会には206カ国が参加する予定である。ギリシャでは僅か9競技しか行われなかったが、フランスでは32の競技が行われる。恐らく最も重要なことは、今日のオリンピックは何十億ドルもの負債を抱えながら、何十億ドルもの収入を生み出しているという点にある。遥かに質素な第1回大会とは全く対照的である。
しかし、オリンピックが時間と共に進化し、拡大してきたことは事実だが、このマルチスポーツ巨大イベントがオリンピズムの諸原則を完全に支持し、他のアスリート達と同じ敬意をアフリカのアスリート達に払ったことは一度もない。実際、近代オリンピックに出場した最初のアフリカ人アスリートは、1904年にミズーリ州セントルイスで開催された夏季オリンピックに出場した2人の南アフリカ人マラソン選手、レン゠タウニャネ(Len Taunyane)とジャン゠マシアニ (Jan Mashiani)だった。しかし、彼等2人はプロのアスリートとしてではなく、1904年の世界万博にアングロ゠ボーア戦争を再演する俳優として米国に連れてこられていたのである。この万博はルイジアナ買収100周年を記念してセントルイスで開催され、タウニャネとマシアニは8月11日~12日に開催された「野蛮人の競技大会」と題されたイベントに出場した。後に彼等がどのようにして8月30日の夏季オリンピックのマラソンに登録したかは不明だが、それぞれ9位と12位でゴールしたということは分かっている。
その後10年間、アフリカ人アスリートは植民地支配者の旗の下でしか競技できず、その抑圧的政権が、原住民アスリートがスポーツをする頻度と方法を統制していた。フランスの諺にある通り「Plus ça change, plus c’est la même chose…(変われば変わるほど、ますます同じ)」であり、今年のオリンピックも差別の伝統を引き継いでいる。
7年前、フランスが2024夏季オリンピックのホスト国となる権利を得た時、若々しい顔のエマニュエル゠マクロンは次のように言って喜んだ。「オリンピックは万人の、あらゆる地域の、あらゆるセクターのための大会だ。」オリンピック開幕の僅か数日前、フランスに住む多くのアフリカ人とアフリカ系フランス市民にとって、パリ2024は「万人のためのゲーム」にはならないとハッキリした。
例えば、言論の自由について言えば、ムスリムの女性アスリートは数十年にわたり最高水準のスポーツでヒジャブ着用を禁止されてきた。アムネスティ゠インターナショナルによる7月16日付け報告書「オリンピック・パラリンピックを前に仏スポーツ界におけるヒジャブ禁止は差別的二重基準を露呈」によれば、フランス当局は国家の中立性といった概念を武器に、ムスリム女性と少女に偏った影響を与える法律と政策を正当化していると指摘している。アムネスティはまた、フランスが、国内法や個別のスポーツ規則で宗教的帽子を禁止している欧州唯一の国だと指摘している。国際オリンピック委員会(IOC)は人権団体に対して弱気な対応をし、「主権国家によって宗教の自由は多様に解釈される」と述べた。
アフリカ人アスリートも、歴史的に自分達の政治的懸念がオリンピック関係者に無視されることが多いと感じている。エジプトは1956年のメルボルン大会をボイコットしたのは、スエズ危機で三国共同軍事作戦を行った英国・フランス・イスラエルをIOCが排除しなかったからである。1976年には、アフリカ大陸のほぼ全土でモントリオール大会のボイコットが起こった。IOCがニュージーランドの出場禁止を拒否したからである。その年、ラグビーのニュージーランド代表チームはアパルトヘイト体制下の南アフリカに遠征していた。
今日、多くのアフリカ人は、オリンピック大会にイスラエルの参加を維持しつつ、ロシアを排除するという二重基準を見ている。IOCの説明では、ロシアは占領されたウクライナ領土(ヘルソン州・ルハンスク州・ドネツク州・ザポリージャ州)で様々な地方スポーツ組織を吸収しており、オリンピック憲章に違反しているという。しかし、イスラエルのオリンピック委員会は、2023年10月7日以降パレスチナ占領地でスポーツ活動を続け、ガザのスポーツ゠インフラを完全に崩壊させ、300人以上のスポーツ選手と関係者を虐殺しているにもかかわらず、何の影響も受けないのだ。
2020年東京大会でアルジェリア人柔道家フェティ゠ノウリン(Fethi Nourine)がイスラエル選手との対戦を避けるために試合を棄権した際、彼と彼のコーチはその後10年間の出場禁止処分を受けた。他のアフリカ人アスリート達が、今年の大会でイスラエルのアスリート達と対戦することになった場合に出場を辞退したとしても不思議ではない。
パリの現場で、マクロン政権は、疎外されたグループを犠牲にして、洗練されたパリのイメージを世界に示そうと躍起になっている。過去1年間で、警察と裁判所は首都から5000人を立ち退かせた。その大部分は、スーダンなど戦争で荒廃した国から来た独身男性だった。DWニュースとニューヨークタイムズの報道によれば、社会的弱者である移民は首都郊外の公営住宅を提供されることが多い。しかし、すぐに彼等は、自分達は騙されて強制送還される・最も基本的な基準も満たしていない住宅に住んでいると実感する。
残念ながら、オリンピック開催について言えば、こうした戦略のどれ一つとして目新しいものではない。しかし、最高の競技パフォーマンスを数週間分消費する中で、私達は心に留めておかねばならない。パリ2024の主催者は、この夏、包摂性・公平性・人間の尊厳に関わる根本的問題の解決に完全に失敗したのだ。