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誰がプルードンを必要としているのか?

原文:https://freedomnews.org.uk/2025/01/18/who-needs-proudhon/
原文掲載日:2025年1月18日
著者:モーリス゠シューマン

死後160年、最初の自称アナキストは批判に値するが、忘却には値しない。

ピエール‐ジョセフ゠プルードンは1865年1月19日に65歳で亡くなった。死後数年で、彼の思想の一部は、現在私達が「パリ゠コミューン」として理解しているものの基礎となり、後にアナキズムの様々な潮流の基礎となった。「古典的」アナキズムの主人公の多くがそうだったように、今日の視点からすれば、プルードンは深くアンビバレントな人物である。

一方で、アナキズムの多様な潮流は、最初の理論的基盤を彼に負っている。所有・国家・宗教の批判、連合主義・相互主義・労働者自主管理、社会的分析の拠り所がそうだ。プルードンは、バクーニンやトルストイといった様々な人物に影響を与え、クロポトキンは彼を「アナキズムの父」と呼んだ。

他方、プルードンは、ジョルジュ゠ソレル(『暴力論』)・リヒャルト゠ワーグナー(『ニーベルングの指環』)・ファシストの「アクション゠フランセーズ」(セルクル゠プルードン)といった人々にも大きな影響を与えた。私達は、彼の著作にある反ユダヤ主義・女性蔑視的発言を嫌悪している。こうした面は許しがたいが、歴史的背景がそれらをより十全に説明する手助けをしてくれる。

プルードンの反ユダヤ主義は、当時の社会主義思想が持つ構造的諸傾向に根差していた。「ユダヤ人=資本家」という粗雑で誤った等価性は、当時、社会主義者の言説では当たり前だった。反ユダヤ主義の暴発--この言葉自体はまだ存在していなかったが--は、シャルル゠フーリエ(『産業の新世界』)、そして有名なカール゠マルクス(『ユダヤ人問題によせて』第2部)といった初期の社会主義者の著作にも見られる。プルードンの場合、こうした発言はある程度まで、ハインリヒ゠ハイネ(『アッタ゠トロル』)やマルクス(『哲学の貧困』)など、彼自身が「ユダヤ人」というレッテルで括っていた批判者達に対する個人的敵意を一般化したものである。

また、女性蔑視という点でも、プルードンだけではない。多くのアナキスト男性の発言と行動は女性に対する明確な敵意を特徴としていた(これは今も残っている)。後のプルードン信奉者でゲイ解放運動の先駆者ダニエル゠ゲランは、プルードンの女性蔑視を抑圧された同性愛の現れだと解釈した(『Proudhon, oui et non』)。だからといってこのような発言を軽く捉えて良いわけではなく、これらは様々な同性愛アナキスト達(例えば、ジョン゠ヘンリー゠マッケイやエーリッヒ゠ミューザム)が表明した類の女性蔑視と結び付いているのである。

プルードンの影響

プルードンの思想のよりポジティブな側面については、少なくとも3点に触れる価値がある。所有権批判・相互主義・労働者自主管理である。

よく引用されるフレーズ「所有は盗みである!」は、プルードンが最初の大著『所有とは何か』で分析したことの真髄である。この本の付録には、彼が自分はアナキストだと宣言し、この言葉を蔑称からポジティブな概念へと転換させる有名な対話が載っている。

所有を盗みと見なす考え方それ自体は新しいものではなかった。ジャン‐ジャック゠ルソー(『人間不平等起源論』)や、物議を醸したマルキ゠ド゠サド(『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』)にすらも見られる。しかし、プルードンの思想を通じて初めて、所有概念への徹底的挑戦が社会主義運動の一部になったのである。彼の熱狂的読者には、後に彼を批判するカール゠マルクスがいた。1844年、マルクスは『独仏年誌』に寄稿するようプルードンに依頼した。そこにはミハイル゠バクーニンも寄稿していた。

ブザンソンのプルードンの生家。 画像:イヴォンヌ゠シュワルツ、Semiramis Photoart

相互主義によって、プルードンが意味したのは、相互扶助・協働・自発的交換に基づく、資本主義の搾取から解放された社会的・経済的交換形態である。彼はこの概念を『人類社会における秩序の創造』と『経済的矛盾の体系、または貧困の哲学』といった著作で発展させた。相互主義の実践例は、短命に終わった彼のプロジェクト「人民銀行」であり、無利子で融資をしていたが、結局フランス国家に禁止されてしまった。

今日、開発協力プロジェクトで実施されているマイクロクレジット゠プログラムは、ある程度まで、相互主義を希釈した形態だと見なせるかもしれない。しかし、プルードンの相互主義概念に欠落しているのは、価値の批判、もしくは、交換論理そのものに対する批判である。

相互主義概念と密接に結びついているのが、労働者自主管理という考えである。これは、パリ゠コミューンの(そして、他のフランス都市の自由コミューンの)プルードン支持者達が実践した。彼の死後出版された『労働者階級の政治的能力』で、彼は初めて自主管理という理念を展開し、それ以来、アナキズムとリバータリアン共産主義と切り離せないものになった。

では、誰がプルードンを必要としているのだろうか?結局のところ、私は、彼の業績はその歴史的文脈の中で、あらゆる矛盾を含めて、見られ、受け取られねばならないと思う。必要な批判はあるにせよ、彼の業績は重要な一里塚であり、今も現代アナキズムのインスピレーションの源として機能するだろう。