「続・昭和街場のはやり歌・戦後日本の希みと躓きと祈りと災いと」前田和男著

「続昭和街場のはやり歌・戦後日本の希みと躓きと祈りと災いと」前田和男著・彩流社2024年5月発行

著者は1947年生まれ、日本読書新聞編集部勤務を経て、ノンフィクション作家、翻訳家。

本書は2023年8月発行「昭和街場のはやり歌」の続編。雑誌「論座」連載「嗚呼!昭和歌謡遺産紀行」を改稿、単行本化したもの。

第一話は「軍艦マーチ」から、最後の十七話北原ミレイ「石狩挽歌」まで昭和歌謡曲17曲を掲げ、昭和という時代の深層を探る。

最初の「軍艦マーチ」は有楽町パチンコ店「メトロ」が最初に店で流した。海兵団出身の店主が巷での進駐軍兵士と「パンパン」と呼ばれる街娼と歩く光景に憤慨して曲を流したという。

軍艦マーチ二番の歌詞は「石炭の煙は大洋の、龍かとばかりなびくなり」とある。石炭を「いわき」と読む。この歌ができたのは日清、日露戦争の頃、1893年である。

時代は流れて、昭和は軍艦も重油の時代。それが大本営発表スタート曲に使われる矛盾、時代遅れ。日本の敗北を何となく予想させる。

昭和62年5月、米国のサミットに参加した中曽根首相歓迎式典でレーガンと共に軍艦マーチが米国陸軍軍楽隊によって演奏された。

日米マスコミはこの件を大きく取り上げなかった。戦争は遠くになりにけりか?「もっと日本人は気概を持て」との米国ジャパンハンドラーたちからの激励のメッセージだろうか?

子供頃、ラジオから「明るい農村」でよく農村の歌が流れた。歌謡曲も昭和30年「別れの一本杉」春日八郎から昭和40年「帰ろかな」北島三郎まで10年間に22曲の農業、農村の歌が流行した。

その象徴は昭和39年、井沢八郎の「あゝ上野駅」、農村からの集団就職列車である。昭和30年農業人口は2,000万人。日本人口の2割近くを占めた。これが平成2年には249万人まで減少した。

平成16年発売・島津亜矢「帰らんちゃよか」は日本農業崩壊の歌ではないか?人はこの歌で、田舎の母の思いに涙する。

母は、子が都会へ出て、自分の好きなことをすれば良いと訴える。熊本弁で親の心をしみじみと歌う。同時に農業、地方の哀しみの歌。米騒動と言われる昨今、結果的に日本農政は米農家を破壊した。

来年2025年は「昭和100年」区切りに当たる。本書は、昭和歌謡曲の歴史を振り返り、日本の高度成長、一般大衆の変化、昭和の深層を考える良い本である。


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