「桐島聡逃げる・哀しき49年の逃亡生活」齊藤寅著
「桐島聡逃げる・哀しき49年の逃亡生活」齊藤寅著・青志社2024年8月発行
著者は1962年生まれ、週刊誌記者を経て現在フリー記者。「世田谷一家殺人事件殺人者たちの告白」などの著書がある。
本書は、1995年4月19日発生した韓国産業経済研究所爆破事件で全国指名手配となった東アジア反日武装戦線・桐島聡の49年間逃亡生活のルポタージュである。
1975年5月19日、大道寺ら主要メンバーが一斉検挙された。その日より、当時21歳、桐島聡の49年にわたる逃亡生活が始まる。その後、彼の行方、動向は全く不明であった。
桐島聡は「内田洋」の偽名で、神奈川県藤沢市の工務店の社宅に1984年から居住、勤務していた。ステージ4の胃がんで自宅近くで倒れ、2024年1月25日病院へ緊急搬送される。4日後の29日、70歳の生涯を終えた。
当然ながら彼の逃亡生活の資料、データは極めて少ない。少ないデータをもとに著者は桐島に影響のあった人物を探し、面談、その足跡を追う。本人及び関係者の多くがすでに死去しているため、内実は著者の推測に頼るしかない。
学生時代の同棲女性、その友人、東アジア反日武装戦線の周辺に居た人物、彼を匿ったとされる元暴力団で右翼組織の創設者等、その証言、聞き込みは興味深い。
東アジア反日武装戦線は日本赤軍などの過激派の党派とは大きく異なる組織である。党派性、組織的統制力は緩く、個人の自律性に依存する組織である。
桐島聡は逃亡生活中、組織の支援は一切なく、個人の力で逃亡を続けた。その支柱となったのは思想性、党派性ではなく、一人の人間としての生き様、個人的な人生観である。
人生観の背景となったのは映画、テレビ映画だったと著者は言う。著者は、洋画「アラバマ物語」の主人公アティカス弁護士、「波止場」の主人公ボクサーのテリー、「木枯し紋次郎」、金閣寺事件の「炎上」などの市川崑らの映画の影響が大きいと推理する。
東アジア反日武装戦線の起点は山谷、横浜寿町、アイヌ民族など、日本の底辺で生活する抑圧された人達を思想基盤としている。それは日本の支配者、権力者に対する一種の武力的反乱である。
逮捕時に自殺したメンバーもいるように、個々の存在を賭けた行動であり、個人の自律性に依存した運動体である。故に、彼も49年の逃亡生活を持続できたのかもしれない。その途中で、多くの苦悩、迷い、後悔があっただろう。
本書を読み、明治17年秩父事件の「井上伝蔵」を思い出した。彼は秩父事件で会計長を務めた事件の中心人物。欠席裁判で死刑判決を受け、逃亡を続けた。
北海道の野付牛町(現・北見市)で65歳、死の直前、北海道で結婚した妻・ミキに「俺は井上伝蔵」と告白した。
変名は伊藤房次郎。変名のまま結婚した妻と子に見守られ、大正7年、潜行の北海道でその生涯を閉じた。逃亡生活35年。彼の読んだ俳句。「想いだすことみな悲し秋の暮」
伝蔵は「われら暴徒にあらず国事犯なり」と叫ぶ。自称内田洋は「後悔してる」と言った。ともに国家に反逆した人間。ともに苦悩の人生である。
70歳の人生の終点近くで自分の人生を振り返る意味の重さを実感する本である。桐島聡の逃亡生活の映画化が決定した。彼をどのように描くのか?興味深い。