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「バカ老人たちよ!」勢古浩爾

「バカ老人たちよ!」勢古浩爾著・夕日新書2024年3月発行

著者は1947年生まれ、洋書輸入会社に34年勤務、2006年退職。「最後の吉本隆明」「定年バカ」など多くの著書がある。

「暴走老人」の本が出たのが2007年、その後、年寄りが至るところへ進出している。活字メディアは「人生100年時代」と老後を楽しまなければ、損とばかりに老人を煽る。

一方で、最近の年寄りの傍若無人な立ち振る舞いが目に余る。ひとのバカを見て、自分のバカを直そう。まさに「殷艦遠からず」である。

著者は1947年生まれの団塊世代。著者自身が言う。バカ日本人の成れの果てが団塊世代であると。今や後期高齢者である団塊世代は、自尊心が高い、威張る、反省がない、しかも自分は頭がいいと思っている。何ともならないリベラルバカであると言う。

リベラルバカにならなかった団塊世代は反対に頭の悪い小権力者になってしまっている。そして周囲に迷惑ばかりかけるバカである。

銀行員から僧侶になった河野裕韶は「ガン封じの寺・大安寺365日」の本の中で言う。銀行員は家庭訪問すれば門前払い、僧侶は歓迎、お布施を貰える。その衝撃と怖さに驚く。

偉いのは私自身でなく、仏法、寺院。形、恰好が違うだけで中身は全く以前と同じ。しかしこれに慣れると、人間は甘えと傲慢になっていく生き物であると。

著者は、世界三大バカ老人は、プーチン(71歳)、習近平(70歳)ミヤンマー軍総司令官・ミン・アウン・フライン(67歳)の三人を挙げる。共通項は証拠さえなければ何をしても良いと考えている点。巨大国家権力も、弱者に対する小権力も、諸悪の根源は同じである。

池波正太郎の直木賞受賞作「錯乱」は、信州松代藩に親子二代にわたって隠密として入り込んだ堀平五郎が藩主・真田信政の死に伴う跡目相続の藩内の混乱を描いた物語である。

その中で、前藩主・真田信之の言葉が印象的である。「治世する者の務めは領民、家来の幸福を願うこと。そのためにおのれが進んで背負う苦痛を忍ぶことができない者は、人の上に立つことを辞めねばならぬ。

人は自分を名君と呼ぶ。名君で当たり前だ。少しも偉くはない。治世者たるもの、名君なくてはならぬ。それが誉められるべきことではない。百姓が鍬を握り、商人が算盤をはじくことと全く同じである」と。指導者、政治家、経営者たるもの、いつも心に残すべき言葉である。

現代人はメディア、書籍に煽られ過ぎている。現在の人間は見過ぎ、考え過ぎ、買いすぎ、食べ過ぎである。無理やりに見せられ、考えさせられ、食べさせられている。もっと身近で、素直な、簡単、かつ単純な幸せを探し、それで満足できる余裕が欲しいものである。

モンゴルのことわざに「悪く生きるより、良く死ね」がある。司馬遼太郎の解説。悪く生きるとはつらく生きること。良く死ぬとは、例えば26年間生き別れした妻子と再会して、妻子に看取られ死ぬことであると。

沢木耕太郎「天路の旅人」の主人公、戦時中、軍のスパイとしてチベットに潜入、帰国後「秘境西域8年の潜行」を書きあげ、その後は盛岡市で理容品の卸売りして生涯を終えた西川一三の物語である。

彼の楽しみは夕食の肴、もずくと厚揚げ豆腐で二合の酒を飲むこと。昼飯はコンビニのおにぎりとカップヌードル一杯で人生を楽しく単純な毎日。この生活を89歳まで、1年364日、正月以外、1日も休まず、働き続けた。幸せな人生という。

本当の幸せは、金でもなく、知識、食べ物でもなく、楽しさでもない。最も身近なところにあるのではないか?

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