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「海鳴りの底から」堀田善衛著

「海鳴りの底から」堀田善衛著・朝日文庫1993年6月発行

著者は1918年富山県生まれ、戦前、中国国民党宣伝部に徴用された経験から作家デビュー、「広場の孤独」芥川賞受賞。スペイン内戦から国際的な民族問題に関心を持つ作家。「海鳴りの底から」「方丈記私記」の作品がある。1998年脳梗塞で80歳死去した。

本書は、1637年(寛永14年)10月25日、天草、島原一帯で百姓一揆が勃発。その後、老若男女の百姓家族・名主、キリシタン大名有馬家の牢人ら3万4千人が島原の原城に籠城する。翌年の2月28日、12万5千人による幕府軍総攻撃で全滅、皆殺しとなった「天草島原の乱」を描いた小説である。

主人公は天草四郎ではなく、元有馬家旧臣「立ち帰りキリシタン」(一度棄教し、再度キリシタンに戻った人)で南蛮絵師である山田右衛門作。彼は、原城本丸防衛の番頭(副将)で、かつ籠城軍と幕府軍との連絡係に任命される。

山田右衛門作は殉教の百姓とも、また来世に望みをかける指導者らとも異なり、現世と来世を見分ける冷静さと客観性を持つ人物。彼の視点を通じて、一揆の百姓、指導者の行動、心理を明らかにしていく。そして最後は、一揆軍を裏切り、妻子は殺害され、自分のみが生き残る。

彼は、生きるのが人間ではないのか?死ぬのがキリシタンなのか?殉教の疑問、矛盾と戦い、最後は生きる選択をする。扇動され、同化する民衆とは違う知識人・武士の存在を問うているのだろうか?

本書は、60年安保闘争終結した1960年9月から1961年9月まで朝日ジャーナルに連載された小説。それゆえ安保闘争での大衆の敗北と重ね合わせる解説もある。だがそのような政治性はない。むしろ人間とは?宗教とは?戦争とは?そして日本民族とは?の本質的問題を問う。

小説の合間に、「プロムナード」という著者の解説と言うか、感想と言うか不思議な章が挿入される。小説とは直接関係のない。暗示的な文章が入る。それがサイパン玉砕の話などであり、作者がこの小説を書いた理由を説明する。

なぜ主人公が裏切り者・右衛門作だったのか?著者は言う。宗教が本物になるためには裏切り者が必要だ。キリスト教はユダの存在によってはじめて本物の宗教となったと。

「島原の乱」の著者の歴史学者神田千里は言う。乱の原因は領主の圧政に対する反抗、一揆ではない。目的は天草島原にキリシタン信仰公認の郷里を作る宗教戦争であると。

「イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の三者の平和な協力共存は今から考えても、何か夢のようなものに見えてくる」と堀田善衛は述べる。キリシタンは、日本に同化されずに、異教の宗教で終わった。そこには日本民族の宗教への特別な精神、心性があったのだろう。

本書刊行から10年後、1970年に堀田善衛は「方丈記私記」を書く。この本も太平洋戦争での東京大空襲に思いを寄せ、方丈記の戦乱、災害における人間、民衆の生き方を問う本である。

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