からっぽだった
18歳が終わってからもうすぐ半年経つというのに、振り返ると真っ白なのだ。インスタもTwitterも、去年ほどにもがいた跡の引っ掻き傷は残っていなくて、個人事業主になった、テレビに出た、ここには書けないくらいの大事件や悩まされたこと、出来事はいろいろあるはずなのに、なんだか味気ない。味がないというのは澄んでいるという意味ではなくて、自分に起きたことすべてがずっと他人事に感じるということだ。どこかで泣いたり喚いたりもするけれど、それも映画の中の可哀想なわたしに共感して泣いてるみたいだった。
引きこもるかいつもフラフラほっつき歩いてばかりいた最高の高校生活を卒業してからは、自分の守りたいものひとつ守れない弱さを突きつけられて、それが嫌でたまらなくて、いつまでも甘えていられない、こどもじゃいられない、わがままじゃいけない、という声がわたしのあらゆる行動を駆り立て、そして制限をかけて、とにかく自立しなきゃという強迫観念に追われていた。経済的自立。わたしが今年一番苦しめられた言葉だ。働かざる者食うべからず。自分の面倒を自分で見れるくらいのお金を稼げるようになった人間が立派なのだ。高校時代、わたしが何より忌み嫌ってたものからずっと反対方向に全力で逃げていたはずなのに、気づけば大嫌いな人間たちがずっぷり浸る沼に自分で頭から飛び込んでいた。お金が大切。お金がほしい。お金お金お金。
資本主義のマリオネットになってしまった。
引っかからずに、上手く踊れるようにと自分がかけておいた糸でがんじがらめになってしまった。誰かに掬われないようにと見てばかりいた足元は、気付かぬうちに舞台を降りてしまっていた。
インスタやTwitterの投稿も、幼稚に見えるものや誰かの反感を買いそうなものはぜんぶ消して、自分の中で収まり切らないほど感情を揺さぶられるなにか、嬉しくて、悔しくて、悲しくて、寂しくてたまらないことがあった日、こんなことを言ったら、仕事の案件が来なくなっちゃうかもな、わたしを応援してくれる人が減っちゃうかもな、なんて思って、ぜんぶ下書きゆきになった。そのうちフォローもフォロワーも0の自分しか見れないアカウントをつくってひとりごとを言うだけになった。だんだん何処にも何も書かなくなっていった。
わたしが半年を振り返ってもなんの色も感じられないのは、形に残すことをサボったせいだ。綴ること、撮ること、描くこと、弾くこと、歌うこと、吹くこと、写ること、過ぎ去っていく一瞬一瞬を一粒でも手のひらから溢してしまうのが惜しくてもったいなくて、わたしの手元にあるありったけの絵の具を使ってなにもかもを忘れないように色をつけて生きていた。まともに学校に通わずに世の中にべろを突き出していたときは明日も五十年後もどうでもよくて今あるものだけがすべてで、そのすべてを大切にしていた。なのに、いつのまにか今いちばん大切なものは今じゃなくなっていた。
それなりに安定的にお金をもらうようになって、住む場所居場所にも困らなくて、明日はたしかにくるものだと錯覚している今日、魂を削ってでも遺したいものなんてどこにも残っていなかった。
今日の収録の合間に、ふと、なんて今の自分はからっぽなんだろうと思ってnoteを開いたが、思いの丈をここに書き切るよりも先に現場の上司に、もうこんな生活はいやだと口走っていた。
「じゃあさ、成功の定義は人それぞれだけど、あいかちゃんが思う成功、を人生でするとして、それを成し遂げるのは何才くらいだと思う?」
「一個のことをやり遂げるのは28。ぜんぶを叶えるのは38くらい。」
「その頃のあいかちゃんが今悩んでるあいかちゃんに会いにきたらなんて言うと思う?」
「あのね。今までやってきたことと全く違う新しいことを始めても、それまで頑張ってきたことや、積み上げてきた努力や、自分自身は無にならない。なくならないよって言うと思う。」
もしかしたら今までずっと、この半年間、我慢したり背伸びしたりして手にした成果と自分の努力を無駄に思いたくなくて、この生活を手放せなかったのかもしれないなと思った。
そこで生まれた小さな自我、今までの自分を肯定するためにこの生活を続けていってもいいなと思う理由をたくさん見つけていたが、続けていかなきゃいけない理由なんてなにひとつないのだ。自分の人生を惰性で生きるな。自分の人生を妥協するな。原色の感情がわぁっと溢れてきて、もうキャンバスからはみ出しそうなくらいの絵の具が乗ったパレットをぶん回している。
この毎日の延長線上に、理想の自分は立っていない。
わたしがしたいことは、わたしがわたしを脱ぐ芸術だ。