2023/10/11 すっぽんぽん社会学
さっき日記を書いたな。
現在午前3時を前にして、またも日記を書こうとする。書くことあるかいな。
今朝はまず8:30に目が覚めた。昨晩は何時に眠ったか記憶がない。あまりにも疲れ切っていたので、カレーを食べたあとそのまま眠ってしまっていた。
起きると、ストレスからたくさん吸っていたタバコの汚れとカレーの汚れが口の中にたまっている感覚がひどかった。歯を磨かねばならない。伸びきった髪の毛をしっかり固めるために大量のジェルをぬっていた。それも落とさずに眠ったものだから気分が悪い。
シャワーを浴びて、米を炊いてカレーを食べる。さっきカレーを食べた気がする。それにしてもカレーは美味いな。まだまだ食べられる。
家にいるなりに身なりを整えたところで眠たくなってきた。寝ることにした。眠って起きると16時前だった。よくもまあ眠れた。よほど疲れてしまっていたのだろう。寝られるときに寝ようではないか。
そこからは水曜日恒例のバイトである。よく眠ったおかげで眠気スッキリである。現在午前5時前、寝ようとしても寝られないくらいだ。
今日も普通にバイトをした。今日は書くことが無さすぎることにこのあたりで気づいていた。
バイトを終えて、帰りがけにウーバーをやろうとする。高田馬場で注文を待ったがどんどん飛んでくるのは新宿のお金持ちマンションからばかりで、自宅に帰るには真逆すぎる。
仕方なく、家に向かう。家の近くで運よくマクドナルド二軒が飛んできた。これはありがたい。こんな幸運なことはなかなかない。
これを運んで23時前に帰宅した。おお、今日はもう書くことが無いな、まいったぜ。
風呂に湯を張り、ゆっくり浸かった。お湯につかる人間がいないものだから、体を先に洗うなどと言う配慮はいらず、入りたいときに入ることができる。体の芯まであったまったところで洗体しようとした。
私は10年以上、固形せっけんで体を洗っている。単純に安いということもあるが、肌が弱めの人には固形がいいという情報もあるからだ。
牛乳石鹸の赤箱である。なんだかんだ、これが匂いも強すぎずちょうどいい。長く売れているものはやはり良いものである。醤油と味噌もずっと日本にあるのだから、やっぱりいい調味料である。米も日本人はずっと食べ続けているのだから、良いものであると思う。昨今の糖質を目の敵にする風潮はいただけない。なにごとも食べすぎ、かけすぎ、飲みすぎといった「すぎる」ことがいけない。これも昔から言われている言葉だから、確かに正しいのだろう。
「雄弁は銀、沈黙は金」とも昔から言う。たしかにこの日記もしゃべりすぎてことの本質が見えなくなっている。すぎることは良くない。
何の話だ。牛乳石鹸だ。体を洗おうと湯船を出た時、石鹸置き場にはちびっこの石鹸しかなかった。新しいものを取り出そうと、はだかんぼうのまま納戸を開けた。いつもどおり6つの小箱が入ったお得ボックスだ。ここから一つ取り出し、小箱を開け、さらにビニール袋を開ける。
ここで気づいた。ベルマークがなくなっている。
6つ入りのお得ボックスから取り出したこの小箱1つにつき1つのベルマークがついていたのだが、なくなってしまっていた。ベルマークと言えば、学校なんかで集めて、その合計ポイントで備品などが購入される。
さまざまな商品についているものを捨てるのも忍びないと、切り離してこれまた納戸にたくさんしまっていた。牛乳石鹸からベルマークが消えた。消失感のなんたるものかおわかりだろうか。
私はベルマークが好きである。これは企業の社会貢献の一環である。自社の商品が長く売れ続けていくには、商品を買ってくれる消費者を健全に育てなければいけない。学校現場の備品代金の一部を補填することが、まわりまわって自社に返ってくるという心意気だ。
昨今、ことさらにやれSDGsだ持続可能社会だとメディアは持て囃すが、なにをかいわんや、日本はベルマークでもってずっとやってきたことである。
ベルマークの選定などにPTAの保護者が駆り出されるなどの社会問題が存在することは知っている。これは別で解決していくべき問題であるとして、ベルマークというシステムについて、私は好きである。
それが、牛乳石鹸から消えた。何があったのだろうか。やはり、原材料費高騰によるコストカットだろうか。
このベルマーク一つを見ても、日本が貧しくなっていることを感じる。考えすぎだろうか?(考えすぎだよ)
ベルマークはいつから始まったのか、少し調べてみれば1960年から開始であるとのこと。63年前だ。祖父・祖母となった私の両親が生まれた頃だ。大先輩である。
公式サイトにはベルマークの歴史と、おおまかに日本社会で起こったことと言うのを表にしたPDF資料があった。これはなかなか面白い。
https://www.bellmark.or.jp/storage/2021/04/05/1502351682/1682.pdf
1960年、池田勇人内閣が「国民所得倍増計画」を閣議決定した年なんだそう。おいおい、これはまずいんじゃあないの、私の頭の中には同郷の雄、岸田総理大臣のお顔が浮かび上がった。
岸田総理は昨年から「所得倍増計画」に取り組んでいる。それが、あれよあれよといつのまにか「資産所得倍増プラン」と名前を変えている。私は闇金ウシジマくんを読んだほどの金融のプロフェッショナルである。そんな私から解説させてもらえば、資産所得は資産運用で得る利益のことである。資産をすでに持っている人が株式取引や賃貸経営などで利益を上げることだ。
では、多くの場合資産を持っていない、若者を含めた困窮した世帯はどうすればいいのだろうか。資産所得を倍増させることは格差をより広めてしまうことになるまいか。
シャンパンタワーに例えられるように、ピラミッドの最上部が潤うことで、それが溢れて、下支えしているグラスに注がれる(つまり高所得者により消費されたお金が回って、低所得者も潤う)という発想もある。高所得者、資産を持つ人の財布が潤えば結果的に社会全体が潤うという考え方があることは認める。しかし、それで今までうまくいっただろうか。タックスヘイブン騒動があったように、高所得者は貯めたお金を社会に回すのではなく、かくして外国にもっていってしまう。
シャンパンタワー方式で社会を潤そうという発想は現代では失敗したと認めるべきではないかと私は考える。
おい!うるせえぞ!何を語り始めてるんだ!もっとばかばかしい話をしろよ!
何が言いたかったかといえば、池田内閣が所得倍増を掲げた日本で始まったベルマーク運動であったが、岸田内閣によって令和版所得倍増を掲げている真っ最中に、一商品ではあるが牛乳石鹸からベルマークが消えた。
悲しいものを感じてしまった。
まあ、お笑いなんかやって世間に迷惑をかけている私がなにを言ったところで、まずはちゃんとした仕事に就いて税金を納めてくれよ。と皆さん思っているだろう。
いやはや、今日は書くことが無いなと思ったら、風呂場に日記の種は落ちていた。うるせえやつである。皆さん、明日からも日本を支えられるよう頑張ってください!私も頑張ります!
今は6:30になった。眠れない。
今日面白いと思ったことは「風呂場からも日本経済を見ることができた。すっぽんぽんでも社会とつながっているんだなあ。」
こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。