2023/1/21にあった面白いと思ったこと すべりこみカレーと母の愛と足立小台
今日は運動をしようと思っていろいろした。ホームセンターとウォーキングをした。
運動不足ぎみになっていたので、しっかり体を動かそうと思った。そのために、どこに行こうかとグーグルマップを見る。私が時間があるときに行く場所はだいたい決まっている。上野、浅草、南千住あたりだ。上野はなんでもそろうが人が多すぎて辟易する。安い野球道具屋さんがあるので行く。また、衣装のスカジャンもいいものがないかと絶えずチェックしている。夏場は蚊取り線香持参で上野公園によく行っていた。あらためて上野公園はちょうどよい公園だと思う。周辺に ほどよくお店があるので食べ物、飲み物を買ってゆっくりするのだ。
浅草は買い物にちょうど良い。ドン・キホーテにしまむら、西友、OKと生活に必要なものがすべてそろう。ただ、漫才協会の芸人さんをちょくちょく見かけるので気を張らないといけないという点では休日に向いていない。また、観光のお客様も日に日に増えていっており、人混みが嫌いな私はストレスで白髪が増える。
南千住もまたちょうど良い。最近は住みたい町ランキングに北千住が入り、話題となったが生粋のちゃきちゃき東京っ子の私から言わせれば、北千住は行きたくない町ランキング上位だ。めちゃめちゃ道は汚く、夜は老若男女問わず路上喫煙しながら騒いでいる。道を歩く人を全員にらみつけているやんちゃそうな青年もよくいる。住みたい町ランキングに入ったことは本当に理解ができない。南千住の良さを書こうとしていたら、北千住の悪口を書いてしまった。最近、南千住の発展が目覚ましい。タワーマンションが乱立している。商業施設も増えつつある。施工業者を見ると、どうやら商業施設とマンション開発を1つの大手建設会社がおこなっているようで、テクノポリス的な開発地のようだ。南千住はファミリーがたくさん住んでいるので、現時点では変な若者もその若者向けの店も無い。夜は静かで散歩にもおすすめスポットだ。
町の紹介ばかりになってしまったが、これらの場所に休日はよく行っている。今日はこれらの町に行きたい気分ではなかった。程よく体を動かしながら、程よくお金を使いたい気分だったのだ。
そこで、今回は普段いかないところに行こうと思い、足立小台のホームセンターに行った。何をしようということはなく、目に留まったからだ。
家から自転車に乗り、小台に向かう。非常に気持ちが良い道だった。小台は隅田川と荒川に挟まれた地だ。ちゃきちゃきの東京っ子の私だが、出身地は広島だ。広島はセンター試験に川に囲まれた地形として出題されるほど川だらけだ。ちょうど私の地元に似たような雰囲気があり、良い。また、広い河川敷は少年野球・サッカー場でファミリーもたくさんいた。野球を見に来た少年の親の近くで妹が縄跳びをしていた。絵にかいたような休日だ。
夕日の中、自転車を走らせてホームセンターにつく。家を出たのが遅すぎたことがここからうかがえる。遠くからも見えるほどの巨大なホームセンターだ。これはさぞかし見て楽しい、触って楽しいグッズがあるのだろうと胸を高鳴らせた。道中、風が強かったので凧あげでも買って遊ぼうと思った。
到着したホームセンターは私の予想を裏切った。5階建ての巨大ホームセンターだが、地下がスーパーマーケット、1階がホームセンター、2階がインテリア家具フロア、3・4・5階が駐車場だった。拍子抜けした。3・4・5階が駐車場というのは残念過ぎた。となると、品ぞろえが物足りない。凧あげは売っていなかった。子供のおもちゃゾーンは店の隅の一角で、ペット用のおもちゃはフロアの1/3位を占めていた。まさに時代を反映した構成だ。子供にかけるお金よりもペットにかけるお金のほうが大きいのだ。
実家で犬を飼っていた時、母が言っていたことを思い出した。子供は遊びがたくさんあるが犬には家族と遊ぶおもちゃとご飯しか楽しみがないのだから、そこにお金をかけることは当然だと。子供におもちゃをせがまれると腹が立つが、ペットのおもちゃはせがまれなくても買ってしまう。なにか、私の中にモヤっとしたものを残した。
このホームセンターをあとにし、外はすでに日が暮れている。しかし、まだ運動が足りていない気がする。そこで、日暮里まで歩いて食事をして帰ろうと思った。約3.5kmの道のりを歩いた。気温は低いが、体は温かい。運動にはちょうど良い気候な気がする。日暮里につく。喫煙者の私はここらでいったん喫煙所を探す。ちょうどよいところに喫煙所があったので立ち止まる。喫煙所の向かいには学習塾があった。その塾の窓には道路側に向けて有名中学校の名前が合格実績として貼られている。日が落ち、気温も下がった町で、ひとりの女性が自転車を支えながら塾をじっと見つめている。どうやら塾終わりの子どもを待っているようだった。
私は得も言われぬ気持になった。若者言葉にエモいという言葉がある。これはエモーショナルの略と聞いたが、このエモーショナルというのは得も言われぬ感情と共通する部分があると思う。得も言われぬをエモいといいかえることもできるのではないかと、下町の金田一こと私は思った。
日暮里の学習塾には子供を待つ母の姿があった。この姿に私は「岸壁の母」を重ねた。岸壁の母とは、戦地に送り出し、シベリアに抑留された息子の帰りを待つ母の姿を描いた映画・流行歌だ。母とはいつの時代も子どもの帰りを待ち続けるものなのだと思いを馳せた。現代社会は戦中のように直接的な死の恐怖はないが、ドロップアウトによる社会的な死と常に隣り合わせだ。受験戦争に否応なく駆り出される子供はまさに兵隊のようだ。そして、立派に戦い抜いた先に、立派な企業戦士としての労働が待っている。それを誇らしくも寂しいまなざしで母というのは見つめている。時代と状況は変われど、人間の営みには普遍的なものがあるのではないか。
とそんなエモいことを思いながら、立派な企業戦士になれなかった私は一杯300円のハイボールを飲んで辛いことを忘れる。醤油を飲み、兵役を免れた若者がいたと伝え聞く。私もまた、醤油をハイボールに変え、企業戦士としての出兵令を免れる。赤紙はこないが伝票はテーブルに来る。伝票に書かれた金額分は働いて稼がないといけない。この伝票が私を働かせているともいえる。
そこからまた鶯谷の家まで歩いて帰った。今日はカレーを食べることができていなかったので、帰宅後に茶碗1杯のカレーを食べた。すべりこみカレー。
休日の町はたくさんのファミリーを目にして、家族について考える機会になった。
今日おもしろいと思ったことは「家族がいないからこそ、家族について考える暇が多い」という発見。