2025/01/07 無駄なことなんかないけど無駄は無くさないといけない
小さな植物にも大きく広がった根っこがあって、大きな植物となればそれはそれは大きく広がった根っこがある。
それが人間にもよく例えられたりする。広く深い知識(根っこ)があってようやっと立派な表現(茎、枝、葉)ができる。大木になりたいなら、地道に根を太く大きくしないといけないよ。みたいな感じ。
すごく良い例えで、初めて考えた人は相当な根っこをお持ちの方なのだろう。
でもこの例えは、誰しもが植物であり、雑草にも大木にもなる可能性を持っているという前提に立っているところに検討の余地がある。
私は生きてきて、私は枝葉を伸ばす植物というよりも、菌類つまりはキノコの仲間であるような感覚でいる。
キノコの好きなエピソードがある。ある山の一種のキノコを調べたところ、菌糸がその山を覆っており、山が菌糸体であると。山がキノコだとそういう話しだ。これは学者先生から言わせれば大嘘だろうが、山がキノコ、キノコは超巨大生命体ということだ。
菌糸はキノコの根のようなものだと勝手に思っている。その菌糸が山全体に広がり、でも地面に出ているのはポツポツとあのキノコだ。そんなに根っこが広がっているならば、縄文杉のような巨大なものが地上に表れていてもおかしくない。
ここから飛躍して、人間に見立てるならば知識見聞を広げるが、人に見える形で表すのが苦手な人ということになる。
これは果たして私だ。こうして日記を書いて丸二年、三年目。あんな思い出、こんな思い出、こんなに私は手元に思い出を持っていたのに、人に話すことなくお笑いをやっていたんだなと気づいた。キノコである。
キノコに例えたのにはちょっと自分を美化している部分もあるなと自己嫌悪感もある。キノコにはトリュフやマツタケといった高級路線もある。そしてメインで食べるというよりも、料理全体に旨味を加える、出汁の役割で味わい深い。そして毒キノコもいて、お笑いにおいて猛毒とはある種あこがれの存在だ。
なんだか、自分をキノコに例えることが自分を美化するというか自己肯定感を高めまくっている結果をお見せしている気がしてならない。
だから他所では言いません。ここは私のエッセイスペースだから書いたけどもね。
ということで日記です。6時に起きた。早起きだね。
今日のスケジュールはとにかく勉強会だ。パラダイムシフトというコンビが漫才協会にはいらっしゃる。アスカさんと高倉直人さんの二人で構成されている。このお二人ともがバラバラにお笑いについての勉強会をやろうと企画していて、私はそのどちらにも参加している。私はお笑いのことを考えるのが大好きだからだ。でも、しんどい作業ではあるから、一人よりも誰かとやったほうが続く。
その二つともに参加する中で、なぜかお二人とも同日を指定される。今日も朝8時からアスカ会、17時から高倉会となっている。
ということで8時に浅草のタリーズへ。以前は隅田川沿いの景色の良いタリーズでやっていたが、個々のタリーズの方が環境としては居心地が良い。隅田川沿いは特にツアー観光客の皆さんが訪れるから、ひっきりなしに様々な言語が飛び交うし、デート中のアベックが訪れたり。我々は居心地が悪い。
今回のタリーズは良い感じだ。私が営業開始とともに入店し、その後続々と他の客がやってくるが、その多くがパソコンを開いて卒業論文を書いていたり(後ろを通るときになんとなくそうっぽかった)、仕事をしている。
おまけに紙巻きたばこも吸える喫煙室がある。これ嬉しい。最近、喫茶店にて席でタバコが吸えないのは受け入れているが、せっかく喫煙室があるのに加熱式のみ、というお店が多い。腹が立っている。しかしここはいいなあ。
かんでぃさん、アスカさんも到着しておのおののやるべきことをやっていく。数時間経ったところで、アスカさんに明日のライブでやるネタについてじっくりゆっくり相談した。これがとても勉強になった。
パラダイムシフトさんは現在、M-1でトップをとって食べていくんだという考えでは活動していない。すると漫才を作るうえでの考え方もかなりかわってくる。具体内容はコンビの考えもあろうから、ここで書いてしまうことは避けておく。
私の中で今回のネタについて、なんだか言いたいことは言っているけどもネタとしてまとまりは無いかなと感じていた。そこを相談すると的確にまとめかたをお伝えくださった。やはり先人の教えは聞いておくべきだ。
14時になったから東洋館の出番のために席を立つ。15時からの出番に向けて、ちょいと屋上で声に出しをしておく。けっこう変更点がある。
袖に到着したら、漫才協会を応援してくださっている幼いフアンの方からお菓子のセットと年賀状を頂戴した。これはとても嬉しい限り。私は金銭、ギフトカードを貰うと小躍りする。しかしこうして手書きの心のこもったものが貰えるのはより一層嬉しい。お金は大事だけども、私は漫才をお金儲けの道具とは思っていないかもしれない。自己表現ですよね。モネ、ドガ、様々な芸術家が絵を描くようなものです。
金が無くても夢があれば食っていける。昔のラッパーが言っていたさ。
本当に足りないものなんて、実はそんなないんじゃない。僕はこれだけで十分なのにそれだけじゃダメですか。(BASI)
BASI氏はいち・もく・さんくぼたさんに似ている。
出番が終わって、さあてサックスの練習をしようかなと思ったが、あまりにも腹ペコだ。ちょっとお弁当を買って食べた。そうしたらもう眠たくてしょうがなくなってしまった。もう16時を回っていた。うん。今日はサックスはやめて、漫才を拝見して勉強をしよう。
気になったのは、やはり達人の漫才において「無駄な所作の無さ」が気になった。達人たちの中にも激しい動きがある人から、マイクの前に立って淡々とネタをやる人とがいる。淡々とやるうえでは無駄な所作が入っては当然、目・意識が散ってしまうから無い方がよい。激しく動けば、無駄な動きもあるだろうと思いきや、激しく動いているがその動きすべてに意味がある。すごい。
スポーツ選手のようだ。スポーツ選手は、あれだけ激しく動いている中で、練習でたたき込んだ無駄の無い所作を連続して絶え間なく行っているのだ。もちろん、自分の打席以外ではベンチ裏でタバコを吸っているのは無駄な動きだが。
お笑いがスポーツ化しているというのはよく議論されるテーマだ。しかしそれは必然なのかもしれない。過去から現在まで、お笑いは口に出さないだけでスポーツ選手と同じメンタリティで取り組んでいたからだ。
また話が長くなった。早く終わりたい。
17時になったから東洋館を後にして、今度はデニーズだ。こっちでは高倉直人会だ。こちらでは、高倉さん、パワーステアリング佐藤さん、シリアルにっしんさん、とんとん拍子はっぴー鈴木さん、かんでぃ中野さん。またかんでぃさんいる。
こちらでは基本的にネタアイデア、ネタ台本を見てもらって気になったところを話し合うみたいな感じだ。
内容は置いておこう、話が長い。
一つ言えることはかんでぃ中野さんはなかなか曲者である。漫才の話をしているのに突然思い出したように「今日の夢ではCAとエッチした」みたいなことを話し始める。怖いよ。でも面白いのはその支離滅裂さがそのまま漫才台本にも表れていた。私としては「ここは話の流れが変わりすぎている」なんて言ってしまうのだが、それがかんでぃさんであるから、変えなくてもいいような気がする。既存の枠に収まらないのがかんでぃという若手芸人である。
21時までたっぷり話して終わり。いやあ疲れた!ここまで疲れたから0時くらいにはもう眠ってしまった。
お疲れさまでした。
今日面白いと思ったことは「難しいのが無駄の無いようにやろうとすると、それが演技っぽくなってしまう。それを超越するのが漫才の達人だ。なんておそろしい世界に入ってしまったんだ。」
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