2023/4/9 生きてこそ。それは本当か?
今日は10:15頃に起きた。昨日の漫才で自分らしさとはの一端を見た気がする。でも、起きたらまた気持ちはまた今日が始まるということに対ししての怒りとも面倒とも、恍惚とも言える絶妙な気持ちである。
今日は東洋館で出番と袖の当番だ。11:30から東洋館にいる。今日の当番は爆弾世紀末の2人とザ・存在次元という今最も注目を集めている新入会コンビの女性の方、エレガント玉子さんという3人だった。
エレガント玉子さんについて、これまでお笑いの経験はなく、会社員をやっていたそうだ。以前、相方のカンディ中野さんに話を聞く限りでは、飲み友達で変人だから誘ったということらしい。というところまで聞いていた。
女性の年齢を書くことは良くないと言うが、よく考えればそれは男女差別で、でも年齢で人を分類することも差別で、なんてことも言われる。難しすぎる世の中である。40いくつというご年齢だそうだ。ルッキズム問題も取りざたされて久しいが、あえて言えばとても美人である。
いま、年齢とルッキズム。二つの地雷原を駆け抜けてみた。なんとも難しい時代になったものである。
エレガント玉子さんのちょうど良い年齢とルックスというのが今日の私を助けてくれたので書かなければいかんのである。私の相方である田川くんは、表には出さないがとてもスケベな性格である。だが異性と何かイベントを起こすことはできていない。
そんななかで、後輩・年上となるといい感じにノってくれる。後輩であれば、教えるという理由があるので話がしやすい。年上となるとなんとなくモテないおじさんが抱きがちな同年代、年下の女性に対する劣等感のようなものも抱かなくて済む。こういった理由があり、田川くんは始終楽しそうに当番に励んでいた。
私は漫才前のルーティンにバットの素振りを取り入れることにした。昨日やってみて、オーバーヒートしかかっている脳を冷やし、体を動かすことで程よい脱力感を得ることができる。いったんこれを取り入れていくことにした。ただ、これをやるには15分ほど屋上で一人になる時間が必要だ。当番の仕事をやらなければいけない、そして新人さんにやることは何があるというのを教えなければいけない、となると動きっぱなしになる。
そこを田川くんが全部やってくれたので全力で素振りに打ち込むことができた。エレガント玉子さんには感謝したい。
しかし思わぬ副産物もあった。普段、出番直前にやってきて出番が終わると颯爽と東洋館を後にするそんな師匠がけっこういる。ただ、エレガント玉子さんがいらっしゃることで袖におじさんがどんどんたまっていく。
心の中で私は、すけべじじい!と思っていたが黙っておいた。おじさん達が袖を離れたタイミングで、私は玉子さんに伝えた「若手の中でもちょうどいい年齢なのでおじさんがたくさん集まってくるので、誘われても乗らないように気を付けてください」。文字にすると危険な言葉のようだが、いちおう楽しそうな雰囲気で伝えたつもりだ。
玉子さんは「確かに私は年も取ってちょうどいいですから。」という返答だった。そこですかさず田川くんが「いや、もうじじいだから勃たないでしょ」と笑いながら言った。阪神にいたオスンファンなみの石直球である。
私も田川くんと長いこと一緒にいるのでいろいろ見えてきたのだが、田川くんは女性の前で卑猥な言葉を発するということが好きなようだ。
これについて私は何も思っていないということにしておく。
エレガント玉子さん、気を確かに頑張ってほしい。つらいことばっかりだろう。
今日も楽しい当番をやっていく。私の気のしすぎだろうが、宮田陽さんとの変な雰囲気も今日で完全に消えたものと承知している。そもそも変な空気と言うものは存在せず、私の気にしすぎだったと思いたい。
ホンキートンクの遊次さんに、草野球での空振りの仕方に明らかな問題があるので、もっとこうスイングするべきだという話から入って野球を頑張ろうという話をしていると陽さんから、「次はお金がかかってるから絶対に負けられないからね」という感じで入って来ていただいた。この瞬間に和解したのだと私はとらえた。ちなみにお金がかかっているというのはギャンブル的なものではなく、審判さんを呼ぶお金とグラウンド代金を負けたチームが払うというルールでやることから発された言葉である。これって道徳には触れるかもしれませんが、法には触れていないですよね?
こんな素敵な当番の日々である。最後に袖がぴりついた事件が起きた。いや~まいったね。あの師匠があのトーンで話すということは、一個間違えれば一組のエンジョイ芸人ライフを終えさせられかねない。
ここでちょっとおもしろかったのは、さっきまで玉子さんと楽しそうに話していた田川くんが、この事件が発生した瞬間に気配を消し、嵐が去った後もその話には一切入ってこなかったことだ。
これは面白いとおもう。この人間性が良い、悪いではなく一人の人間として、私はこういう人間ですと言うのが垣間見えた瞬間だった。
私のような凡人は、その場では軽いジョークを入れながらなんとか波風を押さえられないかと奔走してしまう。田川くんはしっかり風が止むのを待っている。
日本の歴史を紐解けば、田川くんのスタイルは「風待ち港」のようなものだ。港に停泊し、嵐が去り、航海に出るのにちょうどいい気候を待つのだ。ちなみにさらに歴史を紐解けば、風待ち港は海の男たちがその屈強な体を持て余していることから、飲食店、性風俗産業などが発展したというものがある。田川くんも酒・飯・女が大好きなので、まさしく彼は「風待ち港」なのである。
お手伝い後、ミーナ(漫才協会で唯一未来があるコンビ)の喜助くんがスマホを東洋館に忘れているのに気付いた。
喜助くんとバジトウフーの久保田さんが一緒に東洋館から出ていったのを見ていたので久保田さんに電話をする、読みの通り二人で隅田川でたゆたっているとのことだった。藤崎もスマホを届けるついでにたゆたわないかとお誘いいただいたので、私もたゆたうことにする。
話をしていると、どうやらこの三人はまったくの同学年と言うことが明らかになった。ただ、なんとなくバジトウフーさんは山口さんがお年を召しているので一緒にいる久保田さんも大先輩の感覚。ミーナのお二人はコンビ歴も浅く、漫才協会に入ったのも少しあとだったので、同級生と言うよりかは少し後輩のような感じで接していた。ただし、ミーナには未来があるので私は先輩のような扱いも同時並行でしている。これは皮肉ではない。
漫才協会ファンならば(そんなやつぁいねえよ)、この三人が何の話をしていたか気になることだろう(そんなやつぁいねえよ)。
確かに、漫才協会の若手の頭脳派(漫協若手は文字を読むのがやっとの人が多い中で、書くことができる人材)が集まれば、それはもう会話の中身が気になってしまうのは仕方がないことだ(だからそんな奴はいねえんだよ)。
もうカッコつきの話は読みづらいのでやめる。
どうしても、漫才論に話が至る。私はとにかく、我々の漫才はどうすればいいのかということを聞いていく。お褒めの言葉もいただけるが、やはり褒めから学べることは少ない。なんとかダメな部分を貰えないかと食い下がる。
久保田さんから「藤崎が言いたいことをいっているのに楽しそうに見えないのが漫才としておかしい」。それだ!それそれ!なるほど確かに、この日記もそうだが言いたいことを言いまくっているのに楽しそうじゃないんだよ。
確かにそうなんです。
ここに書くのを忘れていたが、東洋館の喫煙所でもプロポーズ(コンビ名。ややこしいので売れるか、改名するか、辞めるかしてほしい。)の二人にも漫才のダメ出しを貰った。そこでも、田川が変なことを言ってしまうのがおもしろいのに活かせていない、とコメントをいただいていた。そうだな。そうだな。これも、私が楽しくなさそうにしているのが問題なのだな。
私はこんな鋭いコメントができるプロポーズにも未来があると思っている。名誉ミライアルコンビと認定!
ぜひ次の東京オリンピックにはミライトワ、ソメイティ、ミライアルの三組で盛り上げてほしい。
ほんとにちなみになのだが、今日の漫才は楽しそうにやってみた。私的にはいい感覚だった。出番後、田川くんに「今日の感じで楽しくやったほうがおもしろくなるんじゃないかな」と伝えた。すると。
「いや、寄席の笑いはこれでいいけど、ライブで楽しそうなのは違うだろ」とのこと。
おい!私はどうすればいいんだよ!
〇んだ方がよっぽど楽だなと思う日々だ。
Byeノシ
今日おもしろいと思ったことは「人間の関係性を見るのがおもしろい。虫かごの中のカブトムシ観察のようである」ことだ。